維新150年を迎えた越前福井を訪ねる

2019年01月08日 01時25分12秒 | 旅行記
書き溜めていた旅行記を公開していきます。
本記事は昨年10月21日の出来事、つまりはこの記事の続きにあたります。

「北びわこ」の撮影後に米原へ戻り、次の目的地・福井までは「しらさぎ53号」に乗車します。
この米原・福井間は18きっぷのワープでは知られた区間で、営業キロが99.9kmということもあって乗車券・特急券ともに100km以内の出費で収まるのがありがたいところです。敦賀までは新快速があるとは言え実質各駅停車なので、時短効果はかなりのもの。この日は「関西1デイパス」を利用しているのでエリア外となる敦賀・福井間の乗車券も買い足していますが、それをさらに今庄で分割して70円浮かせるといったセコいこともしています。(笑)


車中では駅弁を開けます。米原駅構内では新在乗り換え需要のためか井筒屋さんによる駅弁販売が現役ですが、ここは名物の「近江牛弁当」などにしようかと思っていたところ、「できたてですよ~」の一言につられて幕の内を買ってしまいました。冷めても美味しいのが駅弁の魅力ではありますが、ご飯が少し温かかったり、エビフライの衣がサクサクだったのは出来立てを手にした者の特権と言えるでしょう。(笑)オーソドクスな幕の内ながらご当地の赤こんにゃくが入っているのも嬉しいところです。


湖北・嶺南・嶺北と変化する車窓を眺めつつ、約1時間の乗車で福井に到着。


訪れるたびに何かしらの変貌を遂げている福井駅ですが、北口が落ち着いたかに見える一方で、南口に出てみれば奥からJR北陸線、建設途上の北陸新幹線、えちぜん鉄道と3路線の高架が並ぶ過渡期の光景が展開されます。敦賀開業の暁にはJR線が第三セクター転換される見込みですが、既に「えちぜん鉄道」「福井鉄道」がある以上、どのような社名になるのか興味深いところです。金沢開業時に「とやま鉄道」「いしかわ鉄道」が誕生した前例がありますから、「ふくい」とひらがな表記が入るのかな……と予想していますが、果たして。

さて、ここからは、手前の赤い駅舎が特徴的なえちぜん鉄道に乗車して、福井鉄道との接続駅・田原町で下車。


前回訪れた際にあった古い上屋が取り壊され、福井鉄道側はLRT然とした近代的な駅となっていました。


(2014年1月)

田原町駅からは歩いて福井県立歴史博物館へ。(えち鉄の)福井駅で最寄り駅を尋ねた際に一つ手前の西別院かここ田原町かを勧められたのですが、田原町からの方が微妙に遠いぶん道が分かりやすいですね。もちろん、先述した駅舎の変化を見ておきたかったというのもあります。(笑)

歩くこと10分弱で歴博が見えてきました。




2018年は明治維新150年ということで各地のミュージアムにおいて幕末維新期が回顧されており、当ブログでも桑名竜野を訪れたことは記事にしましたが、越前松平家のお膝元であったここ福井でも当然の如く企画展示が催されています。
幕末の越前と言えば逸材揃いで、大河ドラマ常連とも言える松平慶永(春嶽)、安政の大獄に散った橋本左内などが名高いところですが、企画展示では彼ら以外に地元の「推し」として由利公正(三岡八郎)の名がありました。坂本龍馬とも交流があり、維新後は五箇条の誓文の起草や東京府知事として銀座煉瓦街の建設に関わる(先日放送を開始した「いだてん」の明治にも繋がるわけです)などの活躍を果たした人物ですが、詳細な功績を地元で実際に見聞きすると、大河ドラマ化の声が挙がるのもなるほどといったところです。
また、最後には歴代の大河ドラマ幕末ものから越前出身の人物の登場シーンのみを抽出した映像が流れており、その一つひとつは本当に「チョイ役」なのが残念なところではありますが、昨年の「西郷どん」で風間俊介演じる橋本左内がそこそこ多く出演したのはやはり地元にとっても嬉しい出来事であったようです。両隣の加賀や近江は戦国時代が絡めばイヤでも舞台に(一時的にでも)なりますが、それだけにいつかは越前ゆかりの人物が主役の大河を見てみたいところですね。


見学後は博物館内のカフェで一服、次は市立郷土歴史博物館へ向かいますが、徒歩では少し距離があるようだったのでバス停に行ってみれば、タイミングよく京福バスがやって来ました。


ろくに調べていないのでMapアプリを見ながら降りる停留所を考え(随分と便利な時代になりました)、降りた停留所は裁判所前。1954年築の堂々とした福井地裁が出迎えてくれます。とは言え、裁判所に用があるはずもなく……(笑)、


訪れたのはこちら、福井市立郷土歴史博物館です。
券を求めて入館したものの、ちょうど愛知県から来られた大学の先生による講演が始まったところだということで勧められてホールに入ってみれば、「松平慶永の『明治』」という題で講演の真っ最中。
後方の空席で聴講をしていたのですが、慶永は東京で華族に列せられ福井には戻らないと決めた一方、地元への「旧誼」として鉄道建設の発起人に名を連ねるなど、(華族にあっては比較的珍しい)「俺が俺が」と主張するタイプの人物であったと(笑)、あまり知られていない維新後の慶永の動向・思想について、豊富な資料からその実像について理解を深めることができました。

江戸から明治への移行は、ざっくりと言えば――夢はないけど仕事はあった時代から、仕事はないけど(「就活」が生じる)夢がある時代へ。身分制度の変容もあり、「○○藩士としての自分」「○○業としての自分」など、人々は多面性を持つことを強いられましたが、その過程でどうしても、従来抱いてきたアイデンティティと上手く折り合いをつけなければいけません(この辺りは作家・平野啓一郎が提唱する「分人」の概念が詳しいです)。ある者は西洋に追いつこうとし、ある者は武士としての矜持を追求し続け(「西郷どん」に見られた士族反乱)たのは歴史が示している通りですが、おそらく慶永にあっても、越前松平家の元藩主として、そして新時代を生きる華族としての狭間で苦悩したに違いありません(同時代の人物で言えば、森鷗外も軍医・作家など数々の経歴を有しながら最後は〈余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス〉という言葉を遺しています)。
明治150年という節目にあって、社会構造の大変革を振り返るのはもちろん、それに直面した明治人の(個人としての)生き方に興味を抱いていたので、私としてはこの講演は思いがけない収穫でした。

展示も一通り見た後は、近くの福井城址大名町から福井鉄道に乗って郊外へと足を延ばします。


元・名鉄の880形がやって来ました。あまり調べていなかったのですが、いったん福井駅前を経由する便だったので折り返しの所要時間がかかり、結果的には1本後の便(どうやらこれに最新型低床車両のF1000形が充当されていたよう……)が目的地には先の到着だったようです。


とは言え、乗ってしまったものはどうしようもないので、そのまま乗り通して列車は鯖江市に入り、神明で下車。


駅の裏手にある「三六温泉 神明苑」で汗を流しました。最近の日帰り旅は歩き回るので〆に温泉をもってくることが多いのですが、落ち着いて一日を振り返ることができるので非常に良い時間ですね。


帰路は再び福井に戻り(この時間帯は武生や鯖江に停車する便がなかったのです)、羽二重餅を買い求めた後、京都まで無停車の最速達「サンダーバード」に乗って楽をしながら帰ってきました。先頭は初遭遇の681系新塗装。「しらさぎ」色が登場したのも早4年ほど前、先代485系の如くどんどん形態が増えていくさまは趣味的におもしろいところです。一度じっくり腰を据えて撮ってみたいですね。

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