「太秦ヤコペッティ」

2014年02月21日 15時58分22秒 | 映画
昨日は久々に立誠シネマで「太秦ヤコペッティ」を観てきました。(二度目)
この一年ほどの間、すっかり単館系の映画ばかり観るようになりましたが、映画都市・京都においてもシネコンが台頭している現在、日本映画発祥の地、そして元・小学校というまたとない舞台を生かした同館での上映作品はいずれも魅力的で、今後も事あるごとに「通学」することになるのだと思っています。


さて、「太秦ヤコペッティ」は、いわゆるスプラッター映画。
磁石で家を造ろうとする変な一家と、彼らに関わる訳アリ警察官の物語……と言うのは簡単ですが、シュール・カオス・エログロナンセンス的要素を多分に含んでいるために、ストーリーの要約、そして感想を述べるのが極めて難しい映画です。(笑)
前回は初めてのスプラッター映画鑑賞ということもあり、血まみれの生々しく気持ち悪い描写、そして対比されるラストの清々しさや美しさが印象に残りましたが、一通りのストーリーが頭に入った状態で鑑賞に臨んだ今回は、(効果的に)ノイジーなサウンドが耳に残りました。
これらは意図的に挿入された箇所、そうでない箇所がありますが、作品独特の価値観が歪んだ世界、敢えて強調された画面の色味やざらつき、陰翳、果ては生と死、美醜の対比までもを表現する役割を担っていたように思います。音楽がただ演出の域に留まっていないのもこの映画の特徴と言えるでしょう。

そして、作品に登場する京都の風景は、大映通り商店街を除けば、いずれも観光とは無縁の地。
しかしながら、錆色の、乾いた、退廃的で殺風景な舞台が何処となくノスタルジックでもあり、一歩外れるとそういった場所の多い、住人目線での京都が良く顕れていました。こうした描き方は宮本杜朗監督の幼少時の心象風景に由来するそうですが、非常にしっくりきます。中華料理屋の場末感もたまりません。
また、二度目の鑑賞にして初めて、あの「斬られ役」で有名な福元清三さんが出演されていることに気付きました。(笑) もちろんここでも被害者役、その大袈裟な倒れ方に思わず笑ってしまいましたが、やはりこの人なくして太秦は語れませんね。

「堀川中立売」「天使突抜六丁目」に次ぐ京都連続シリーズの掉尾を飾る「太秦ヤコペッティ」ですが、綺麗なものから汚いものまで、様々なものを受け止める「京都」の幅の広さ、そのフィールドの上で繰り広げられる表現の多様さを改めて感じたひとときでありました。こんな映画、好きです。(なんて人には言えません)

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