後ろから押し出され

2011年12月20日 22時59分28秒 | 日記
フセイン、カダフィ、そして金正日。
三人とも69歳で亡くなっているという驚きの共通点。
何かあるんでしょうか。何もないんでしょうか。

昨日の6限「宗教学概論」では精神統一の話になりました。
簡単な精神統一の試みとして、黒板に書いた○(まる)をしっかり覚え、
目を閉じる寸前に薄目でもう一度覚え、目を閉じた後に思い出すという方法が紹介されました。
その過程で、自分が呼吸をしたかどうか覚えていなければ、精神が統一出来ているのだそうです。
なるほど、これなら座禅を組むことなく簡単に気を静めることが出来そうです。
黒板には大きな日輪、薄目を開いた学生たちがみなそこに視線を送っている中、先生の、
「ほら、あぶない教室ですね!」の一言で、一気に集中力が切れました。

今日は未明に旅の計画を立てていました。
12/1に「とりあえず」行きの列車の切符を確保しましたが、肝心の日数や現地での行動予定が全く立たず。
また、今回は青春18きっぷを使わず普通乗車券で行こうと思っているので(特急に乗る区間が長く、トータルすると普通乗車券の方が安くつくという目論見)、少しでも安く収められるルートを決めなければなりません。
まぁ、運賃表との闘いの末にそれは何とかなり、現地ではぴったりのフリー切符も見つけられたので、後は細かい予定を立てていくのみとなりました。
ここ数年、冬の旅は「春になくなるもの」が何処に行こうが絶対に絡んでくる状態だったのですが、今回はそこから少し離れられそうな気もします。
広い意味では、「サンライズ」も「あけぼの」もいずれ消えゆくのですが…。

大学では、今日が文学部の卒業論文提出日でした。
提出し終えて安堵する人たち、慌てて表紙を整える人たち、様々見られましたが、
一年後は我が身、我々三回生も今日からいよいよカウントダウンが始まったということです。
いまは「ホントに書けるのか…」というほど壮大なテーマとして立ちはだかっていますが、やがてはそこに立ち向かっていかなければなりません。
これから果たしてどれくらい伸びるのか、最終的にどのような研究になるのか、最後の一年間、頑張っていきたいと思います。


写真は先週の撮影分より、花園を通過する特急「はしだて5号・まいづる5号」。
金曜日の記事に載せた園部寄りアングルに対し、京都寄りはあまりいい写真が撮れません…。