弁護士の恋人ミッシェル・ド・ブールジュに宛てたサンドの手紙には,情熱的なものが多い。
時にはドキリとするような官能的な言葉も。
ミッシェルの過激な共和主義思想は、サンドの政治思想に少なからぬ影響を与えた。
ミッシェル・ド・ブールジュは非常に有能な政治家でもあり,1851年11月17日に国会(国民議会)でおこなった
彼の演説が、その2週間後、ルイ・ナポレオン(後のナポレオン三世。皇帝ナポレオンは叔父にあたる)の起こした
クーデターの火付け役になったことで、政治史上に彼の名が残されることとなった。
クーデターから二年のちの1853年、モンペリエにて逝去。享年、56歳であった。
サンドのミッシェルへの手紙:
«Ô toi, ma vie! Toi qui me tues aussi et qui m'aimes, toi qui me verses le fiel et l'ambroisie, viens à moi,
ma tête s'épuise, ma vie s'en va. Où es-tu, pourquoi n'es-tu plus là pour me donner un baiser et me guérir?»
(George Sand à Michel de Bourges, 30 avril 1837)