西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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サンドの210年目の誕生日

2014年07月01日 | サンド・ビオグラフィ


今日はサンドの210年目の誕生日です。

エルネスト・ルナンの言葉

「すべてを理解しすべてを表現するこの素晴らしい才能は、彼女の善良さの源だった。それは人を嫌うことができない偉大な魂の特徴なのである」

Merci Michelle pour ces mots de Renan!


画像はシチリアのエトナ山です。上の画像のように、一見、富士山のように見える美しい山ですが、ひとたび噴火すると、下の画像のように真っ赤な炎と溶岩をはき出す活火山に変貌します。

エトナ山は、サンドの作品『夢想者の物語』の舞台となった火山です。モーツアルトの名前を連想させる主人公の若者アメデAmédée(アマディウスはフランス語ではアメデAmédéeとなります)は、エトナ山のクレーター見物するために、単独でエトナ山にのぼるのですが、山中で素晴らしい歌唱力を備えた不思議な山の少年に出会い、幻想的な体験をするのです。
アメデが溶岩の上に自分の半身を見る場面は人間球体論を連想させることや、山羊の「洞窟」がプラトン思想の「洞窟」の例えを象徴しているとことから、この作品はプラトン思想の影響が認められると言えるでしょう。



また、サンドとフロベールの往復書簡でふたりはしばしばプラトン哲学に言及しています。ふたりともこのギリシャ人の哲学が好きだったようです。なぜだったのでしょうか。この頃は、ちょうどギリシャ語に長けた哲学者ヴィクトル・クザンが『プラトン全集』を仏訳したところで、一般にプラトンが広く読まれていたという文化的な時代背景がありました。フロベールとしては自分の恋人ルイーズ・コレの前愛人であったV・クザンに関心があったであろうし、サンドもまた、作家として名を成す以前の作品である『夢想者の物語』が物語っているように、若い頃からプラトンを読み、その哲学に興味を抱いていたからだと思われます。

こうした下世話な理由以上に、プラトン思想は、当時の文化人にとって重要性を帯びた哲学思想だったようです。
19世紀になると科学が急激に進歩したため、それまで同じカテゴリーに入れられていた科学者と哲学者は、袂を分かつことになります。今日のように、それぞれが独立した範疇の研究家として分類されることになったのです。そして、度を越した科学万能主義マテリアリスムスが世の中に蔓延するようになっていきます。これを憂えた作家や知識人たちは、この科学一辺倒の風潮に対抗する砦としてプラトン哲学に注目し、これを盾にイデアリスムスの論陣を張ったのでした。
サンド自身は、プラトン思想を称揚することにより科学一辺倒主義はよくないとする立場を示していましたが、しかしだからと言って、科学を一方的に否定したわけででもありませんでした。たとえば、妖精の王国を描いた『ラ・クープ』の王女は、ソクラテスのように毒杯を仰いで死んでいきますが、その遺言は次のようなものであり、それはサンド自身の「病を駆逐するために科学は重要だ」とする理念を反映していると考えられるからです。

妖精の国の王女のズィラ(妖精)への遺言
「貴女はエルマンに教えてね。彼にまず科学においてはわれわれ妖精を超えるよう努力するようにと。なぜなら、人間はお互いに助け合い、永遠に闘っていかなくてはならないからです。(…)叡智により人間は人殺しはしないでしょう。科学により病を追放してゆくことでしょう。」

註:エルマンとは、氷河地帯の穴に落っこちてしまい、妖精に助けられて妖精の国で成長する人間の国の王子の名前です。


コメント
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