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オール人力狙撃システム試作機

タイトルに偽りありの記事

2011年08月02日 15時27分00秒 | 経済関連
学者ならば、学者の作法に則って議論するべきではないかと思うが、今は本題ではないのでおいておこう。

卑怯な議論―言葉がどぎついと言うなら、不誠実な議論と言っておこう―のやり方というものは、一見するとまともなことを言っているかのように見せかけて、巧みに誘導するものなのである。いくつもの仮定を伏せたまま、というか、何段論法みたいに組み立てているもので、そのうちのどれか一つにでも対立論者の意見が含まれていれば、さも間違っているかのような印象を与えることができる、というものなのである。
もし簡潔に反論するとすれば、「そうは言ってない、そんなことは主張してない」というものであろうと、勝手に論を組みたてて、言ってないことの部分を否定することで、その流れの中にある意見をも否定できているかのような錯覚を与える、という戦法なのである。
まことに、卑怯なやり口なのだ。
こういう手口を誰がどこで教えるのか知らないが、まともな学術的研究を行う者が使う手とは何とも情けない話ではある。

閑話休題。

下らない主張を散りばめたコラムを拝見した。
「政府紙幣発行で財政再建可能」のウソ:日経ビジネスオンライン

タイトルにある「まっとうな理論」を見て、腹を抱えて笑うしかない。日本の経済学界というのは本当にロクでもない巣窟なのではないか、と訝る気持ちを理解してもらえるだろうか。「まっとうではない理論」が主流派ということなのか、横行してるということなのでしょうか(中には経済学者気取りの肩書きだけ騙ってるような人物も見かけたことはありますが)。私のような部外者にとっては、判らないことですが。

特徴的な記述を以下に引用してみよう。

『我が国の財政再建や復興財源確保のため、政府紙幣を発行すべきとの意見もあるが、果たしてそうした紙幣は“木の葉”に戻ることはないのだろうか?』

『この納付金は、現在でも税外収入の形で予算に組み込まれている。この通貨発行益を、日銀券を大量増発(論者によっては数十兆円)することで膨張させれば、財政赤字を大きく削減できるとの意見がある。そうした政策は本当に有効なのだろうか?』

到底、学術的な誠実さを持ち合わせている内容とは思われない。言うなれば、専門外の素人の書いたブログ記事と同レベルであろう。ただ、記事の趣旨が「気軽なコラム」ということなのかもしれないので、この論者の責任というものではないのかもしれないが。まあよい。

もしも、本当に誠実で理論的な検討をするというのであれば、きちんと問題を明確にするだろう。

例えば、
 ◎通貨発行益は財政再建にどの程度寄与するか
というような、もっと狭い範囲の論点について検証するべきだろう。それとも、「通貨発行益は財政再建に有効か」でもよい。言うべきことを限定して、その点について検討し結論を示すべきであろう。
論者が専門家でも何でもない人ならば、別に学術的お約束とか作法に則るべきとまでは思わないが、専門知識を有してない一般人を相手に専門家として語るならば、「惑わせない、平易な」議論が求められてしかるべきだろう。
この論者が独自の経済理論でも有しており、新たな知見を披露するというものでもないのなら、特別な理論を展開せずとも、先行研究の成果を紹介すればそれで事足りる。具体的には、「通貨発行益は財政再建には殆ど役立たない」とか「過去の財政再建例では、通貨発行益が有効だった国や事例は殆ど見られなかった」というようなこと(あくまで例示です、実際の研究成果は知りません)を示せば済む話である。

こうしたシニョリッジは財政再建に役立たない、ということと、政府紙幣発行は妥当か否か、という検討は基本的に別問題なのに、これを同一の議論として「誤魔化している」ことが不誠実極まりないのである。問題点の切り分けとして、「復興財源確保を目的とした政府紙幣発行」や「復興財源確保を目的とした復興債の日銀引受」という話は、シニョリッジの額がどうだの、日銀の納付金の多寡だの、財政再建の役に立つかどうかだの、そういう論点とは全く別物であるのに、まるで「政府紙幣が木の葉同然」の代物であるかのような幻想を抱かせることによって、「復興財源確保に政府紙幣発行は無駄(=木の葉だから)」であるかのように結論づけるという論法なのだ。

本当にまっとうな議論を目指すのであれば、まず「通貨発行益で財政再建を行う、これで再建できる」といったような主張を行っている主要な論者を特定すべきだろう。一般素人衆などではなく、学界の主要な人物を挙げて、だ。或いは、他の著名な論者でもよい。その人がどういった主張を行っているのか確認できる形でないと、國枝氏が偶像として作り上げた論を提示するだけでは意味がないからだ。


因みに、拙ブログでも政府通貨発行などの話題を取り上げたばかりだが、これまで財政再建の為に発行せよ、などという主張を行ったことはないはずだ。デフレを脱却するという目的であって、財政再建などの為ではない。
例えば通貨発行を増大せよ、とか、国債買入償却を増額せよ、とか、”日銀がどうしても拒否するなら”政府通貨発行でもいいよ、とか、そういう話をしているのであって、それは財政再建ができるから発行せよ、ということを言うわけではない。
そうではなく、中には愚かな主張をする連中がいるので、副次的作用として「そんなこと言うんだったら、財政再建だってできてしまうじゃないか、バカ」ということを指摘したまでである。
例えば、国債買入を増大しても「インフレは起こらない」だとか、紙幣発行を増大しても何も起こらない(が、ある時点で崩壊を迎えハイパーインフレになるらしい)とか、そういうことを言う連中がいるから、「何も起こらない」のであれば、「100兆円とか200兆円とか通貨発行を増額し、同額の利付国債を購入して、償還期限が到来する度に双方同時に燃やしてしまえば、国の借金が減らせることになる(財政再建にも貢献できてしまう)ぞ」というような極端な話を出したまでだ。


小判や金貨改鋳によって、貨幣量を増大させると、それは、インフレを招く、というのが過去の歴史的事実とか現象として観察されてきたのではないのか?つまり、通貨供給を増やせば、デフレ→インフレという現象が起こりうるということを意味するわけで、その可能性に賭けることが、そんなに悪であるとは思われない。
過去20年にも及ぶディスインフレ~デフレという期間を考えれば、そう簡単に補正ができるとは考えられないのである。世界経済、という全体からすると、日本単独だけの話ではないので、外的要因の影響度が昔に比べて大きくなっていれば、通貨供給量はそれにも影響を受けるかもしれない。だからこそ、もっと供給せよ、ということを言っているのである。

これらはあくまで「通貨発行益で財政再建」みたいなちんけな目標の為ではない。経済活動を支え、日本の経済や財政の「治癒」に必要なことだからこそやるべきだ、と言っているのである。