電脳筆写『 心超臨界 』

人の長所はその人の特別な功績ではなく
日頃の習慣によって評価されなければならない
( パスカル )

般若心経 《 「苦諦」――人生は苦である/松原泰道 》

2024-08-02 | 03-自己・信念・努力
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人間が生きていくうえにおいて必ず出会う「生・老・病・死」の時間的系列の四苦と、人間対人間・人間対物という空間的系列の「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」の四苦を合わせて「四苦八苦」といいます。四苦八苦というと、四苦の外に別に八苦があるように思えますが、そうではなく、四苦プラス四苦で八苦、という意味です。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p251 )
7章 無明(むみょう)――人間の苦悩はどこから生じるか
(2) 四諦(したい)・八正道の智慧
無苦集滅道 無智亦無得
むくしゅうめつどう むちやくむとく

◆「苦諦(くたい)」――人生は苦である

釈尊の処女説法の内容が、心経の説く「苦(く)も集(しゅう)も滅(めつ)も道(どう)もなく(無苦集滅道)」の苦・集・滅・道の四項目で、これを「四つの真理(四諦(したい))」という真理です。ずばりと「人生は苦である」というのは、釈尊のさとり以前の人生体験ともいうべきでしょう。釈尊の人生苦は、生後7日目に生母マーヤーとの死別にはじまります。

釈尊の悲しい体験は、高次のさとりの経験に高められて、死を正しく理解できる“死の智慧”につながるのですが、それは後に明らかになります。

人間が生きているうえで、時間的に遭遇する苦が「生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)」の四苦で、これはすでに触れたところです。

次に釈尊は、人間が生きているかぎり空間的に出会う四つの苦を挙げます。

(1)愛別離苦(あいべつりく) 愛し合う親子・兄弟・夫婦・恋人も、いつかは必ず生別か死別しなければならない苦しみを、まず釈尊は知ったのです。“逢(会)うは別れの初め”といいます。出会いはそのまま別れにつながり、会ったときの喜びのあとには、やがて別れの悲しみが待っている、というのです。

経典に「会う者は定(かなら)ず離る(会者定離(えしゃじょうり))」(『遺教経(ゆいきょうぎょう)』)とか、あるいは唐の詩人・白楽天の詩に「会う者は離るるの始(はじめ)なり」(『白氏文集(はくしもんじゅう)』)とありますが、いわれるまでもなく、私たちが常に体験するところです。

この悲しい苦しみとはまったく逆の場合の苦が、

(2)怨憎会苦(おんぞうえく) 怨は〈恨(うら)み〉、憎は〈憎(にく)しみ〉で、恨み憎しむどうしが、別れたくても別れられずに、いつも一緒に住まなければならない深刻な苦悩です。

わたしはかなり前に、ある彫刻家の個展で、若い裸身の男女が、それぞれ凶器を手にして相手を殺そうとしている作品を見たことがあります。すさまじい男女の形相(ぎょうそう)に思わず顔をそむけ、ふとその足もとを見ると、二人のそれぞれの片足が鎖でつながれています。つまり、憎みあいながら、わかれたくても別れられないという構想を表わしているのです。その作品の題に『怨憎会苦』とあるのを見て、私は、なるほどと思いました。

(3)求不得苦(ぐふとっく) 「求めても得られない苦しみ」と読みます。欲しいものが手に入らない欲求不満です。欲求不満は、必ずしも貧乏なときや、戦争などによる物資不足のときだけではありません。現代のわが国のように、生活が豊かになっても、なお欲求不満を訴える人は、けっして少なくないのです。人間の欲望は、しだいにエスカレートしていくものですから、いつも不満をかこつのです。求不得苦は物に限りません。恋人と結婚ができないと歎くのも求不得苦です。すべて自分の思うようにならないときに生ずる現象です。

(4)五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊は、先に学んだ色・受・想・行・識の肉体と精神の五要素の集まりで、「この五要素」によって生ずる苦が盛んである苦しみである」とするのが定説です。

たとえば肉体が要求しても精神がそれを拒んだり、あるいは精神が要望しても肉体がそれを適(かな)えることができないというように、精神と肉体とのあつれきと矛盾に苦しまなければならない、というのです。

以上が五蘊盛苦の定説ですが、私は「人間の心身が盛ん(健康)であることから生じる苦」とも考えるのです。病苦とは逆に、健康を持てあまして過ちを犯す例も少なくありません。また愛別離苦と反対の怨憎会苦があるように、欲求不満の求不得苦に対して、持てる者の苦しみが五蘊盛苦です。

経典にも「田あれば苦あり、宅あれば憂いあり」と持てる者の苦を挙げています。貧しくて財産もないときは、盗まれる心配も焼ける心配もなくてのんきですが、マイホーム持ちになると、外出先で聞く消防車のサイレンに、わが家の安否が気にかかるものです。

人間は、物がなければないで苦しみ、あればあるで苦しむのは、今も昔も同じです。

このように、人間が生きていくうえにおいて必ず出会う「生・老・病・死」の時間的系列の四苦と、人間対人間・人間対物という空間的系列の「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」の四苦を合わせて「四苦八苦」といいます。

四苦八苦というと、四苦の外に別に八苦があるように思えますが、そうではなく、四苦プラス四苦で八苦、という意味です。世間で並々ならぬ苦労を“四苦八苦の苦しみ”というのは、仏教語の、この四苦八苦の転用です。
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