電脳筆写『 心超臨界 』

影は光があるおかげで生まれる
( ジョン・ゲイ )

日本史 古代編 《 民族的誇りから生まれた『古事記』――渡部昇一 》

2024-08-30 | 04-歴史・文化・社会
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上代の日本人にとって、シナ大陸の文化は、まさに驚異であり、模倣すべき手本でもあった。しかし、遣隋使を派遣なされた聖徳太子が、最初の日本史編集を意図された人であることは、歴史の編集ということが、国家としてのアイデンティティに重大な関係があることを示している。そして国史編集ということが始まるときは、どの国においても、その国の文明度が、今までひたすら仰いでいたよその国に「かならずしも劣っていないな」という自信が出来はじめてきたことを示すと見てよい。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p219 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(6) 記紀(きき)・万葉と漢文学の関係

◆民族的誇りから生まれた『古事記』

奈良時代は、文献的に見た日本文化の最初の開花期である。それは以前でも文字は用いられていたのであるが、まとまった文献といえば、何といっても『古事記』からはじまる。文献的日本文化が、まず歴史の編纂からはじまったことに注意したいと思う。

上代の日本人にとって、シナ大陸の文化は、まさに驚異であり、模倣すべき手本でもあった。しかし、遣隋使を派遣なされた聖徳太子が、最初の日本史編集を意図された人であることは、歴史の編集ということが、国家としてのアイデンティティに重大な関係があることを示している。そして国史編集ということが始まるときは、どの国においても、その国の文明度が、今までひたすら仰いでいたよその国に「かならずしも劣っていないな」という自信が出来はじめてきたことを示すと見てよい。

ローマが圧倒的であったころは、イギリス史を作ろうというイギリス人は現われない。そういうゲルマン人も生じない。そういうところの歴史を作るのはローマ人なのである。

したがって、ドイツやイギリスに関する最古の記述は、ローマ人タキトスとかシーザーによってなされている。

それから700年ぐらい経って、イギリス人で最初にイギリスの歴史を書いたのは、ベネラブル・ビードというカトリックの高僧である。

その時期は、日本で『日本書紀』(720年)とちょうど同じころに当たる。

ビードのいたイギリスのノーサンブリヤ地方は、当時のヨーロッパでは、最も文化の明るい地方であった。それはビードの弟子のアルクィンが、西ローマ帝国を再興して神聖ローマ帝国の初代皇帝となったシャーレマニュー(カール大帝)の師として招かれていることから見ても明らかでる。国史というものは、そうしたものらしいのだ。

『古事記』が語部(かたりべ)によって受け継がれてきた伝承を筆記したものであることは、いろいろな意味において重要である。

まずひところ、これが口伝のものであるため、その記憶内容はあまり信用できないのではないか、という懸念が持たれていたが、その疑いは妙なところで晴らされることになった。

それは金田一京助博士によるユーカラの筆写である。金田一博士にユーカラを語ってくれたアイヌは、何千行もの叙事詩を一挙に語ることを実証してみせてくれたし、折口信夫(おりくちしのぶ)博士も、台湾の山の土人たちが、先祖のこと、またそれがどのように移動して来たかについて、精確な記憶を持っていることに驚いておられる。

古代の日本人の頭のよさは信頼してよい。多少筆記者が按配(あんばい)したところもあるかもしれないが、『古事記』の内容を全部暗記していた人が、一人以上いたことに間違いはない。

重要なのは、それが口伝であるため、それをそのまま筆記しなければならないことになったことである。

漢字を用いながら漢字の意味に関係なく、日本語を移すという作業が行なわれた。これによって日本の古語はそのまま保存され、仮名というシラブル(音節)表記法の原型が出来たわけである。

仮名は漢字のように表意語でもなく、またアルファベット式の表音文字でもなく、シラブルを表記する日本で独自に発展してきたものであるが、そのもとは『古事記』という大伝承が、その表記方式で完成されたことに、その根があると言ってよいであろう。

『古事記』と同じころに書かれた例のビードの英国史は、ラテン語であった。それを英語に訳させたのはアルフレッド大王で、それから約150年後のことである。

口による伝承のままに書き残された歴史というものは、その性格上、叙事詩の性格を帯びていることになるが、この叙事詩が歴史として現実(リアリティ)であることについては、すでに述べた。
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