電脳筆写『 心超臨界 』

悲しみは二つの庭を仕切るただの壁にすぎない
( ハリール・ジブラーン )

自分を鍛える! 《 朝の遅い人間で志を叶えた者は一人もいない!――ジョン・トッド 》

2024-08-27 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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プロシアのフリードリッヒ2世は、老齢に達し体が衰えてからも、けっして午前4時過ぎまで眠ることを潔しとしなかった。ピョートル大帝は、船大工としてロンドンのドックで働いていようが、鍛冶屋として鉄床(かなとこ)に向かっていようが、ロシア皇帝として君臨していようが、常に朝日が昇る前に起きていた。皇帝いわく、「余は人生をできるだけ長く生きたいので、睡眠はできるだけ少なくとるようにしておる」


『自分を鍛える!』
( ジョン・トッド、三笠書房(2002/02)、p63 )
2章 “いい習慣”をつくれば疲れないで生きられる!

◆朝の遅い人間で志を叶えた者は一人もいない!

早起きを習慣としなかった人で長生きした人は少なく、まして有名になった人となるとさらに少ない。起きるのが遅くなると、当然仕事にとりかかるのも遅くなり、結局、その日全体が狂ってしまう。フランクリンいわく、「寝坊な人間は、一日あたふたし、夜になってもまだ仕事が山積みになっている」と。

『ガリヴァー旅行記』の著者スウィフトは、「朝寝坊する人間でひとかどの人物になった者など一人もいない」と断言している。

現代はいろいろな点で堕落しているが、寝坊がその最たるものであることは、他の堕落とともに、歴史が証明してくれるものと思う。

14世紀には、パリ中の商店が朝の4時には1軒残らず開店していたのに対し、現在では7時をずっとまわらないと開店しない。当時、フランス国王は午前8時に正餐(せいさん)の招待を受け、午後8時には自室に引き取った。ヘンリー3世の時代には、午前7時が上流階級の朝食の時間で、10時が正餐の時間だった。エリザベス女王の時代には、貴族や上流社会の人々や学生は11時に正餐をとり、午後5時から6時の間に軽い夕食をとった。

ビュフォン(1707-88.フランスの博物学者)は自分の著作活動を振り返って、次のように語っている。

「若い頃の私は寝ることが大好きだった。そのため時間がずいぶん無駄にされた。しかし、召使いのジョウゼフが一所懸命やってくれたおかげで、私は寝坊を克服できた。私はジョウゼフに、もし6時に起こしてくれれば、そのつどクラウン銀貨を1枚やろうと約束した。翌朝、約束通り彼は起こそうとしてさんざん私を苦しめてくれたが、そのお返しに彼が受け取ったものは、私のののしりだけだった。次の日も彼は同じようにやってくれたがうまくいかなかった。私としては結局、また時間を無駄にしてしまったと昼になって思い知るはめになったわけだ。私は彼に、「おまえは自分の言いつけられたことを守れないらしいね。私のののしりなど気にせず、言いつけたことだけを考えなくては駄目じゃないか」と言った。次の日、彼はとうとう力ずくで私を起こしにかかった。私は「頼むから勘弁してくれ。ええい、ほっといてくれ」と怒り狂ったが、ジョウゼフは手をゆるめようとはしなかった。で、私はやむなく彼にしたがい、彼のほうは、私が起きる時にあびせかけるののしりのかわりに、毎日約1時間後には、感謝の言葉とクラウン銀貨によって報われたのである。そう、私の著書のうち10ないし12冊は、気の毒なジョウゼフのおかげでできあがったのだ」

プロシアのフリードリッヒ2世は、老齢に達し体が衰えてからも、けっして午前4時過ぎまで眠ることを潔しとしなかった。ピョートル大帝は、船大工としてロンドンのドックで働いていようが、鍛冶屋として鉄床(かなとこ)に向かっていようが、ロシア皇帝として君臨していようが、常に朝日が昇る前に起きていた。皇帝いわく、「余は人生をできるだけ長く生きたいので、睡眠はできるだけ少なくとるようにしておる」
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