電脳筆写『 心超臨界 』

水の流れが岩と衝突するところ常に水の流れが勝る
力ではなくその持続性によって
( お釈迦さま )

般若心経 《 呪の経典か、色即是空の経典か――松原泰道 》

2024-08-27 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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福井博士の『般若心経の歴史的研究』によれば、心経のとらえ方には、大きく二つの説があります。まず一つは「心経は密教の真言を説く経典である」との説です。つまり最後の呪が中心で、心経の前半の空(くう)観は、この呪の功徳を説くための序説であるとする見方です。もう一方で、前半の空観こそ心経の中心で、呪はその結論と見る考え方があります。言い換えると、心経を「呪を中心とする経典」とみるか、「色即是空の経典」とみるか、ということになります。現在はこの二説が並行して存在します。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p307 )
10章 羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)……仏の真言――心経から何が得られるか
(1) 宇宙の真言
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
こせつはんにゃはらみつたしゅ そくせつしゅわつ ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか はんにゃしんぎょう

◆呪の経典か、色即是空の経典か

私は心経を学ぶに当たり「心経を知識や哲学としてでなく、人生や毎日の生活を豊かにする教えとして学びたい」と念じてきました。といって、学問的研究や知識を無視するのではありません。現代人ですから学問的背景をまなびつつも、異次元の宗教思想を理解することも、必ずできると思うのです。

福井博士の『般若心経の歴史的研究』によれば、心経のとらえ方には、大きく二つの説があります。まず一つは「心経は密教の真言を説く経典である」との説です。つまり最後の呪が中心で、心経の前半の空(くう)観は、この呪の功徳を説くための序説であるとする見方です。もう一方で、前半の空観こそ心経の中心で、呪はその結論と見る考え方があります。

言い換えると、心経を「呪を中心とする経典」とみるか、「色即是空の経典」とみるか、ということになります。現在はこの二説が並行して存在します。

こうした心経の歴史的、社会的意味と価値をふまえて、心経前半の空観を主にして呪を読むか、呪が本論で色即是空の空観は呪への導入と見るかは、読者の自由です。私はどちらの立場を採っても理解できるようにペンを進めたつもりです。ただ私自身は、従来のように色即是空の空観を本論とする立場を採ります。

心経の構造の学習はこの程度に止(とど)めて、では「心経を読むと、どのような功徳があるのか」という点について学んでまいりましょう。
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