電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意すると決めた解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

自分のための人生 《 “自分の考え”はどこへいった?――ウエイン・W・ダイアー 》

2024-08-27 | 03-自己・信念・努力
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人から認められたいと思ったり、賛同が得られたらよいのにと思っているうちは、認められればうれしいと感じるだけである。しかし、それが不可欠だと思い込むと、それが得られない場合に気落ちしてしまう。そして、そんなときこそ自己破壊的な力が入り込んでくるのだ。


◆“自分の考え”はどこへいった?

『自分のための人生』
〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p97 )

  人から認められたいと思うのは、「あなたが私をどう見るかのほう
  が、私が自分自身をどう思うかよりも重大だ」と言うのに等しい。

3章 自分で考え、自分の足で立つ
1 “自分の考え”はどこへいった?

あなたは他人に認められたいと努力したり、あるいは認められなかったことを気にしたり――そういうことに時間を浪費しすぎてはいないだろうか。人に認められたいと思うのは、それが必要だからというよりも、むしろ一つの欲求であると考えることである。

誰でもお世辞、称賛などはうれしいものだ。心をなでられればいい気分になる。誰が好きこのんでそういったものを拒むだろうか。確かにその必要はない。賛成そのものは毒にはならない。事実、お世辞は甘美で快いものである。ただ。単にそれを欲求するにとどまらず、人から認められることがその人生になくてはならないものとなってしまったときはじめて、それは誤りの部類に入るのだ。

人から認められたいと思ったり、賛同が得られたらよいのにと思っているうちは、認められればうれしいと感じるだけである。しかし、それが不可欠だと思い込むと、それが得られない場合に気落ちしてしまう。そして、そんなときこそ自己破壊的な力が入り込んでくるのだ。

同じように、是認や賛同を得るのが必要事となった場合には、この人の支持を得なければならないと思う「第三者」に自分自身を預ける恰好になる。その人たちに認めてもらえないと、例の金縛りが起こるのである(たとえ軽度のものでも)。そうして、その人がちょっとほめてやろうという気になったときだけ、内心、気分がよいのである。

他人の是認や賛同が必要なだけでもよくないことだが、何をするにも全員の賛成が必要ということになると本当に厄介である。もし、こういう必要をかかえていると、今後の人生は、非常に悲惨なものとなる。しかも、気力のない非人格的な自己イメージをつくりあげていくことになる。その結果は、自己否定である。

他人の是認や賛同を得なければ気がすまないという習慣は、取り去らなければならない。これについて疑問を差しはさむ余地はない。自己実現を果たすつもりなら、きれいさっぱり取り除かなければならないのだ。こういうことを必要とするのは心理的に逃げ場のない袋小路であり、自分にとって利益となるものは何もない。
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