電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意すると決めた解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

セレンディビティの予感 《 取り越し苦労——ひろさちや 》

2024-08-27 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]

    
取り越し苦労は百害あって一利なし
( 中村天風 )


◆取り越し苦労

『ほんとうの心の力』
( 中村天風、PHP文庫、p142 )

多くの人が気づかずに盛んにやっていることなんですけれど、“取り越し苦労”を当然と思っている。しかし、取り越し苦労を当然だと思う人は、何のことはない、自分の運命の墓穴を自分で掘っている愚かな人なのであります。昔の人の言葉にも、「さしあたる事柄のみをただ思え。過去は及ばず、未来は知られず」というのがあります。また、「心は現在を要す、過ぎたるは逐(お)うべからず、来(きた)らずは邀(むか)うべからず」というのがあります。

事の如何(いかん)を問わず、たとえ、本当に心配することを心配した場合でも、心配しなくてもいいことを心配した場合でも、結果は同じなんです。すなわち、取り越し苦労をすればするほど、その心の消極的反映が即座に運命や健康のうえにまざまざと悪い結果となってあらわれるからであります。

ですから、積極的精神を堅持して、自己の生命の本当に理想的に完全に確保していこうと思う者は、取り越し苦労は断然やめなければいけないのです。何の役にも立たないんですもの。むしろ「百害あって一利なし」というのが取り越し苦労なんであります。


◆事前の心配、悩みは無駄なんです

『生き甲斐なんて必要ない』
( ひろさちや、青春出版社 (2007/08)、p109 )

災難は地震にかぎりません。火事もあれば水害もあります。

いや、そんな災害ばかりでなく、盗難に遭うのも災難ですし、会社が倒産するのも災難です。また、病気になることも災難です。

わたしたちは災難に遭いはせぬかと怯(おび)え、びくびくしていますが、そのびくびくは無駄ではないでしょうか。

十六世紀フランスの文人、モンテーニュ(1533―1592)は、

《人間は物事自体ではなく、それについての考えに苦しめられる》

と言っています。この言葉は彼の『随想録』第一巻に出てくるものですが、ただしこれはモンテーニュのオリジナルな言葉ではありません。そこで彼が断っているように、古代ギリシャの格言です。

言われてみると、その通りですね。

われわれは歯医者に行く前は、いやでいやでたまりません。一日延ばしにしてしまいます。

でも、行ってみれば、そして治療が終わったあとでは、

〈なんだ、こんなものか……〉

と思うのです。これぐらいであれば、あんなに大袈裟にいやがる必要はなかったのに……というわけです。

つまり、歯の治療そのものよりも、歯医者に行かねばならないといった観念、考えに悩まされていたのです。

災難についても同じでしょう。われわれは災難そのものに苦しめられるのではなしに、災難に対するもろもろの観念で苦しんでいることのほうが多いようです。

ある経営者の話です。会社の倒産の危機に、もう本当は死ぬかと思ったほど心労を重ねた人がいます。連日、金策に駆けずりまわり、最後には血尿まで出たそうです。

だが、結局は倒産しました。

「いやあ、そのあとは、すっかり楽になりました。倒産したのだからどうにもならん……と腹をくくることができました。ぐっすり眠れるようになりました。その前の心労が嘘のように思われたのです」

その人はそう言っていました。

わたしたちは、大学受験に失敗したらどうしよう。癌になったらどうしよう……と、あれこれ悩んでいます。しかし、いくら悩んだところで、それで問題が解決されるわけではありません。

事前の心配、悩みは無駄なんです。いわゆる取り越し苦労ですね。

物事はなるようにしかならないのです。

答案用紙を出したあと、いくらじたばたしても点数に代わりはありません。何十年もたばこを吸いつづけて、癌になったかどうか心配しても、なったときはなったのであって、いまさらそれを変えるわけにはいきません。検診の結果を待つだけです。

取り越し苦労は無駄です。じたばた、あくせく、いらいらはやめましょう。

結果が出れば、楽になれます。いや、楽になれるかどうか、ちょっと保証できかねますが、本当は結果が出れば楽になれるはずです。大学入試に落ちたのであれば、その落ちたということは冷厳たる事実であって、いまさらそれを悔やんでみたところでどうしようもないのです。だから、その事実の上にふんぞり返ればいいのです。そうするよりほかありません。

しかし、その前のほうが苦しい。結果が出る前は、人間はあれこれ考えて悩みます。

馬鹿ですねえ。悩んだって仕方がないのに、仕方がないことがわかっていて悩んじゃうんです。

まあ、われわれは、災難に遭う前にびくびくしたって仕方がないことを、しっかりと認識しておきましょう。

――物事はなるようにしかならない――

そう自分に言い聞かせるようにしましょう。

それだけで、だいぶ違ってくると思います。ほんの少しでも取り越し苦労をせずにいられるでしょう。そのほんの少しが大事なんです。
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