電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

真理のひびき 《 他力本願でのみ生活すると――中村天風 》

2024-06-26 | 03-自己・信念・努力
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   [箴言二十六]

   他力本願でのみ生活すると
   人間の一番大切な理想というものが 断然貫徹しない
   If we live a life solely depended upon outside help, our ideals,
   the most important thing for man, will never be accomplished at all.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p244 )

この箴言もまた読んで字のごとしで、深く説明をしなくても充分皆さんの理解されるところと信ずる。

ところが、この一目瞭然たる事実を正しく心に認識して、人生に活きている人が案外事実において少ない。

そして、何かにつけて、やたらと人の助けや援護を求める。

誰でもよく知っている諺に、「天は自ら助くるものを助く」というのがある。この言葉が明らかに、人生他力のみをあてにしては断然だめであるということを、合点せしめてくれているといわねばならない。

ところが、今述べたようなことが充分わかっているはずの理智教養をもっている人が、何事かが行き詰まりでもすると、すでに前述したように、他力の援護や助けを求める。

しかも、それをむしろ当然の行為で、何らの間違いのないもののように、平然としていささかの反省をも感じない人が多い。

これもまた極言すれば、曰く「物質文化のもたらした一種の余弊(よへい)」ともいえると思う。

いいかえれば物質文化が偏った形で発達した結果、精神生命の存在を軽視したため心的態度が消極化し、とどのつまり期せずして人間としての極めて重要な、独立自存と言う尊厳な自己統御の真髄にずれが来たからである。

由来他力依存ということでは、前掲の箴言に表示する通り、いかに価値ある高遠な理想も、その片鱗さえも具象化させることもできず、畢竟は空念仏に終わることを余儀なくされるに決まっている。

というのは多くいうまでもなく、自分が抱く理想や希望を実現する者は、自己のみでしかないからである。

要約すれば、他力依存の態度ではとうてい自己自身からの実現性が、何としても発揮されえないためである。

いつも天風が説示している「自己を作るものは自己なり」という真理は、まことに侵すべくもない絶対的なものである。

ところが、このわかりきっていることを、何事ぞといいたいくらい、世の概ね多くの人は健康や運命に支障が生じたとき、その恢復や打開をすぐさま他力に依存して解決しようとする。

否、そうすることがむしろ妥当性のある的確な手段のように思う。すなわち他力に依存すれば、何事もスムースに解決できるものであるかのごとく思ってしまう。

しかし、これはまったく大間違いである。要は自己人生のことはいかなることも、主動力は自己において堅持すべきである。

他力依存は、主動力を他に転移するのと同様の結果を期せずして招くことになる。

考えてみるべしである。すなわち、主動力が他に存在している事物は、もはやそれは自己というものが、その事物の関係から引き離されて、断然間接のものとなるのである。

すなわち、断言すれば、それはすでに自己ではない。自己以外の、自己ならざるものなのである。

したがって、自己でないものの力をもってして、自己の主動力が活動しないと完遂できないものを、自己の思うように顕現しようとするのは、何といっても無所存な存念である!

また万歩を譲って、かりにそれが実現したとしても、それは自己の力の表現ではなく、まったく自己と無関係のものの表現であると、真理は厳かに断定する。

もちろん、宇宙真理に順応して、真正なる人生に活きるわれら天風会の会員諸子は夢にもこの真理に背反する遺憾は行わないと思うが、よりいっそうの戒心をもって普通の世人がややもすると間違いと気付かずに敢行する違徹(いてつ=あやまった筋道)を踏襲しないよう注意すべきことを、「前車の覆えるを後車の戒めと為せ」という言葉に照らして、篤(とく)と慮(おもんばか)って、自力本願という独立自尊の真価を発揮されんことを、真人として尊い格調を確保するため、切に切に熱唱する。

特に、病難に際し、または運命難に直面した場合には、平素充分天風教義の理解に透徹していると思っても、そういう場合、修養未完成の人はそのことがらに引きずられて知らず知らず心の平安を失い、その結果、われら天風会員の誇りとする独立自尊という尊厳な立場から、他力依存という価値階級の極めて低劣な方面へと自己の心的態度を転移して、無益な焦燥と混迷とをあえて為すという愚行を行う怖れがないわけではないから、そういう場合に、さらにさらに入念周到に内省検討と暗示分析とを実行して、心鏡の浄化清純に努力されるよう心より付言する。

ちなみに一種の皮肉な諷刺に類する諺を付加して、皆さんの実際参考に資供する。

   He that is fed at another’s hand may stay ere he be full.
   (人の手で食べさせてもらっていたら、満腹には至らない)
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