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【 渡部昇一、PHP研究所 (1992/02)、p89 】
日米開戦に至るまでの経過については、日本側の失点が少なくなかったと言うべきであろう。しかし日華事変における日本の非はともあれ交戦中の国に対して、即時無条件撤兵を要求したアメリカのハル・ノートは無茶であった。そんなことができるものでないことは、ヴェトナム戦を体験してみて、アメリカ人にもはじめてよくわかったらしいのである。私がアメリカでこの問題を論じた時は、ヴェトナム戦争中のこととて、ようやくアメリカ人もハル・ノートの現実離れした酷しさというものを理解してくれたようであった。しかしヴェトナム戦争以前のアメリカ人は決してこのことを理解しようとしなかったものである。
そして最終的には在米日本資産の凍結、通称条約の破棄などが続き、最後に石油が禁輸になる。私の小学校5年生頃の記憶に残っているところでは、大人たちの毎日の会話は、シナ大陸の戦況よりも石油の問題だった。「石油の一滴は血の一滴」などという標語もあった。日本は今でも石油問題には敏感であるが、当時でも同じことである。もともと対米開戦に反対だった海軍が、急に開戦の決心を固めるに至ったのは、蘭印(インドネシア)の石油が、アメリカの圧力で日本に入らなくなったからであった。石油がなくなれば連合艦隊も動けず、ゼロ戦も飛べない。石油の備蓄が数カ月分になった時、日本の機動部隊はハワイに奇襲攻撃したのである。
驚くべきことは、開戦の直接原因が石油の禁輸であることを知っているアメリカ人に私はまだ会ったことがないということである。戦後渡米して、アメリカの大学で歴史を教えている日本人の先生たちの中にも一人もいなかった。これでは日本人は本当に陰険な国民で、いつ何をやるかわからないみたいではないか。だから私は機会があればこの石油の禁輸を「首締め(チョーキング)」に比し、ハワイ攻撃を「一撃(パンチ)」に比し、「チョーキングされた人間はパンチを返してはいけないのか」と問いかけることにしてきた。そういう話をしていると講義の意を示して教室から出て行く学生もいた。しかし中には、「それを聞いてなぜ日本人がハワイを攻撃したのかよくわかった。今までは日本人は不思議な国民だと思って気味が悪かったのだが」と言って親交を結ぶに至ったアメリカ人もいる。私はこの点に関する理解がなければ、日米の相互理解などは成り立たないのではないかと思う。
日米開戦の遠因は排日移民法であり、直接の原因は石油の禁輸である、というのは歴史を一方的に見すぎているかも知れない。しかし昭和16年12月8日までに至る日本人の心情は、正に今述べてきたような積り積った怨念とみることができるのである。
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そして最終的には在米日本資産の凍結、通称条約の破棄などが続き、最後に石油が禁輸になる。私の小学校5年生頃の記憶に残っているところでは、大人たちの毎日の会話は、シナ大陸の戦況よりも石油の問題だった。「石油の一滴は血の一滴」などという標語もあった。日本は今でも石油問題には敏感であるが、当時でも同じことである。もともと対米開戦に反対だった海軍が、急に開戦の決心を固めるに至ったのは、蘭印(インドネシア)の石油が、アメリカの圧力で日本に入らなくなったからであった。石油がなくなれば連合艦隊も動けず、ゼロ戦も飛べない。石油の備蓄が数カ月分になった時、日本の機動部隊はハワイに奇襲攻撃したのである。
驚くべきことは、開戦の直接原因が石油の禁輸であることを知っているアメリカ人に私はまだ会ったことがないということである。戦後渡米して、アメリカの大学で歴史を教えている日本人の先生たちの中にも一人もいなかった。これでは日本人は本当に陰険な国民で、いつ何をやるかわからないみたいではないか。だから私は機会があればこの石油の禁輸を「首締め(チョーキング)」に比し、ハワイ攻撃を「一撃(パンチ)」に比し、「チョーキングされた人間はパンチを返してはいけないのか」と問いかけることにしてきた。そういう話をしていると講義の意を示して教室から出て行く学生もいた。しかし中には、「それを聞いてなぜ日本人がハワイを攻撃したのかよくわかった。今までは日本人は不思議な国民だと思って気味が悪かったのだが」と言って親交を結ぶに至ったアメリカ人もいる。私はこの点に関する理解がなければ、日米の相互理解などは成り立たないのではないかと思う。
日米開戦の遠因は排日移民法であり、直接の原因は石油の禁輸である、というのは歴史を一方的に見すぎているかも知れない。しかし昭和16年12月8日までに至る日本人の心情は、正に今述べてきたような積り積った怨念とみることができるのである。
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