電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

右翼(縦動き)の社会主義であるファシズムが、左翼(横動き)の社会主義よりも強いのだ――渡部昇一教授

2015-02-05 | 04-歴史・文化・社会
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【 渡部昇一、PHP研究所 (1992/02)、p147 】

ナチスと共産党の争いはワイマール共和国での大がかりな内ゲバであった。ここでもう一度「歴史と『血の論理』で用いた比喩を出させてもらうと、それは二種類の甲殻類の闘争であったと思われる。池の中に蟹(かに)とザリガニと鮒(ふな)とを入れてみたまえ。そしてしばらく餌をやらずにおいてみたまえ。まずザリガニと蟹が争って蟹が食われるのである。蟹にもいろいろな種類があるからザリガニより強い種類もいるだろうが、田舎にいた頃、私が飼ってみたその辺でつかまえた蟹は、まず最初にザリガニに喰われて消えてしまった。この意味でザリガニの方が強い。私はザリガニをファシズムに擬し、蟹を共産主義に擬してみたい。第一次大戦後のヨーロッパの諸国のうち、ファシズムと共産主義が争ったところを見るがよい。ドイツでもイタリアでもスペインでも、必ずファシストが勝っており、共産党が食い殺されているのである。日本も同じパタンであったと考えてよい。同じ甲殻類(社会主義)でも右翼(縦動き)の社会主義であるファシズムが、左翼(横動き)の社会主義よりも強いのだ。共産主義がロシアで覇権を確立したのは、そこにザリガニがいなかったからである。鮒や雑魚(ざこ)ばかりの所での蟹の王国であった。雑魚は怖いことはない。蟹の王国で怖いのは別の蟹である。大蟹であるスターリンは、自分に危険になりそうな中蟹を片っ端から喰い殺した。蟹による蟹の共食いのことを政治用語では「粛清」という。その蟹の生き残りのうち、比較的大きいのが共存している現在の状況を政治学者は「トロイカ方式」と名付けるが、文学者は「三匹の蟹」と言うのである。

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