電脳筆写『 心超臨界 』

偶然は用意の出来ている人間しか助けない
( ルイ・パスツール )

日本史 古代編 《 戦前の日本は「後進的」だったか――渡部昇一 》

2024-06-23 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


この事件は、多くの研究者に深刻な影響を与えたものと思われる。日本の古代研究は不発弾がゴロゴロしている古戦場に鍬を入れるような危険なことのようになってしまった。戦後の日本の古代史ブームを一種の解禁現象と言ったのはこのためである。事実、久米先生の後にも津田左右吉(そうきち)博士(歴史家。神代説話は客観的事実ではないと確証した)など、日本古代史の被害者はときどき出ていた。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p32 )
1章 神話に見る「日本らしさ」の原点
――古代から現代まで、わが国に脈々と受け継がれたもの
(2) 実証万能主義・戦後史学の陥穽(おとしあな)

◆戦前の日本は「後進的」だったか

この事件は、われわれに日本史についてのいくつかの特質を示してくれるように思う。

第一に、日本の神道関係者からの圧力は、外国文化を採り入れることにあれほど熱心であった明治の20年代においてすら、はなはだしく強いものであったということである。

久米先生は維新の元勲たちと同じ船で欧米を廻った人であり、その関係も親密であった。そして、そのころたった一つしかない大学の教授という権威ある立場であった。それが論文一つで職を失わなければならなかったのである。昔から、日本では「触らぬ神に祟(たた)りなし」と言っていたわけであるが、久米先生はその神に触ってしまったのである。

この事件は、多くの研究者に深刻な影響を与えたものと思われる。日本の古代研究は不発弾がゴロゴロしている古戦場に鍬を入れるような危険なことのようになってしまった。戦後の日本の古代史ブームを一種の解禁現象と言ったのはこのためである。事実、久米先生の後にも津田左右吉(そうきち)博士(歴史家。神代説話は客観的事実ではないと確証した)など、日本古代史の被害者はときどき出ていた。

このように、日本の古代史研究に障害があったことを言うと、外人は日本がひどく後(おく)れた国だと考えやすいのである。しかし、これは明治政府を支えるイデオロギーとしての神道のためであって、かならずしも日本の後進性のためではなかった。江戸時代の学者は、もっと自由に神代(かみよ)を扱っていたのである。どこの国でも、特定のイデオロギーをもとにして政権が成り立っているときには、それが「神様」になってしまうので、触ったら祟りがあるのだ。

それは、昔のカトリック国でプロテスタントの原理を支持する講義をしたり、プロテスタントの国でカトリックの神学の講義をしたり、あるいは無神論の講義をするに等しいことだったのである。近代の例で言えば、いわゆる社会主義国の経済不振の理由をマルクス主義の欠陥として指摘するのと同じことであり、そういう国ではマルクスが神様となっているので、これに触れれば祟りがあるということである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人間通 《 空しさ――谷沢永一 》 | トップ | 日本史 鎌倉編 《 「30歳前... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事