電脳筆写『 心超臨界 』

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( サンテグジュペリ )

日本史 古代編 《 戦前の日本は「後進的」だったか――渡部昇一 》

2024-10-20 | 04-歴史・文化・社会
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この事件は、多くの研究者に深刻な影響を与えたものと思われる。日本の古代研究は不発弾がゴロゴロしている古戦場に鍬を入れるような危険なことのようになってしまった。戦後の日本の古代史ブームを一種の解禁現象と言ったのはこのためである。事実、久米先生の後にも津田左右吉(そうきち)博士(歴史家。神代説話は客観的事実ではないと確証した)など、日本古代史の被害者はときどき出ていた。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p32 )
1章 神話に見る「日本らしさ」の原点
――古代から現代まで、わが国に脈々と受け継がれたもの
(2) 実証万能主義・戦後史学の陥穽(おとしあな)

◆戦前の日本は「後進的」だったか

この事件は、われわれに日本史についてのいくつかの特質を示してくれるように思う。

第一に、日本の神道関係者からの圧力は、外国文化を採り入れることにあれほど熱心であった明治の20年代においてすら、はなはだしく強いものであったということである。

久米先生は維新の元勲たちと同じ船で欧米を廻った人であり、その関係も親密であった。そして、そのころたった一つしかない大学の教授という権威ある立場であった。それが論文一つで職を失わなければならなかったのである。昔から、日本では「触らぬ神に祟(たた)りなし」と言っていたわけであるが、久米先生はその神に触ってしまったのである。

この事件は、多くの研究者に深刻な影響を与えたものと思われる。日本の古代研究は不発弾がゴロゴロしている古戦場に鍬を入れるような危険なことのようになってしまった。戦後の日本の古代史ブームを一種の解禁現象と言ったのはこのためである。事実、久米先生の後にも津田左右吉(そうきち)博士(歴史家。神代説話は客観的事実ではないと確証した)など、日本古代史の被害者はときどき出ていた。

このように、日本の古代史研究に障害があったことを言うと、外人は日本がひどく後(おく)れた国だと考えやすいのである。しかし、これは明治政府を支えるイデオロギーとしての神道のためであって、かならずしも日本の後進性のためではなかった。江戸時代の学者は、もっと自由に神代(かみよ)を扱っていたのである。どこの国でも、特定のイデオロギーをもとにして政権が成り立っているときには、それが「神様」になってしまうので、触ったら祟りがあるのだ。

それは、昔のカトリック国でプロテスタントの原理を支持する講義をしたり、プロテスタントの国でカトリックの神学の講義をしたり、あるいは無神論の講義をするに等しいことだったのである。近代の例で言えば、いわゆる社会主義国の経済不振の理由をマルクス主義の欠陥として指摘するのと同じことであり、そういう国ではマルクスが神様となっているので、これに触れれば祟りがあるということである。
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