電脳筆写『 心超臨界 』

苦労に対する最大の報酬は
その引き換えに得るものではない
苦労したことで形成される人物である
ジョン・ラスキン

真理のひびき 《 信念の重要な事は大抵の人の知るところである――中村天風 》

2024-06-21 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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   [箴言六]

   信念の重要な事は大抵の人の知るところである
   然し それを 現実に堅持して居る人は極めて尠ない
   The necessity of the firm belief is known to most of the people.
   But very few who hold it actually.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p60 )

およそ、われら天風会員たるものは、いずれも皆人生に対する信念の重要性を十分に知っているものと信ずる。

それは、毎回講習会の折に精神生命の理想的な積極化を完成する直接要諦である感応性能を清浄化する必須条件の中の、観念要素の更改を説示(せつじ)する際、天風会員は、すべからく信念で寝て、信念で起き、信念で一日中を活きるべしと、必ず判で押したように私が講述しているからである。

ところが、世の中の人々を見ていると、案外、相当の理智階級者の中にも、この消息を正しく理解している者が少なく、また理解している人でも、標題のごとく、これをその心に的確に堅持して颯爽と、かつ堂々とその人生を活きている人が、実際においてきわめて少ないのが事実である。

だから、信念さえ確固たるものがあれば、もっと成功しもっと幸福になれるはずの人生を、あたら己(おのれ)の影法師を捕えようとするのと同様な、無駄な努力とあせり(焦心)という愚かさのみで、この貴重な人生をただ計画や議論だけに明け暮れて、いたずらに心ならずも無為に活きている人が多いのである。

多くいうまでもなく、人生はオンリーワンページである。どんなに人智が進歩しても、二生は絶対にないのである。

そうである以上は、何としても、今生(こんじょう)の現在は、かりそめにも少しでも不幸を多くすべきではない。

しかもこの自明のことを現実化するために何よりも必要な根本要素は、自己の言行の一切に対して信念を堅持することである。

だから私が、毎年修練会の真理瞑想行のとき「信念なき人生は、さながら、羅針盤を用意しないで、長途の航海に出発した汽船と同様だ」と説示しているのも、このことが重要だからである。

そうでなくとも、人生とは、ある意味からいうと、油断も隙(すき)もないものである。

というのは、いつ何時、思いもよらぬできごとが、運命の中に突発的に生ずるかわからないからである。

そしてそういう場合にもしも信念が堅持されていないと、憐れ、一敗地にまみれると、そのままペシャンコとなってふたたび立ち上がることが容易にできない。

それに引きかえて、信念が確固として堅持されていると、どんな場合にも、文字通り「禍(わざわ)い転じて福を為す」の格言を現実のものとすることができる。

そして結局、健康も運命も、その信念の力で美化善化して、人生をきわめて幸福に活きうることとなる。

もちろん、人生を幸福にするには、富も経験も、理智も計画も、その他必要なものが多々あるに違いない。

しかし、そのいずれも、信念がなければ、理想通りに完全に結実しないのである。

ところが、世の中の人々の多くは、幸福の獲得に金の力,智識の力、または経験の力や計画の密度にのみ重点を置いて、信念をさして重大視しないのである。

要するに世の中の進歩に比例して、本当の成功者も、また健全な生命をもつ者も数において本当に少ない原因的理由は、これらの点にあるといってよいと思う。

またさらに、人格の価値批判にも、信念の有無が輔車唇歯(ほしゃしんし)の密接な関係で存在している。現に数千年昔において、すでにヘブライのソロモンが次のようにいっている。

「人の真の価値は、黄金にあらず、また宝石でもない。さりとて、名声でも権勢でもない。ただ信念の有無にあり」と。

厳かに考えてみてほしい。数千年昔といえば、非文化の未開時代である。

その時代に、人の世を達観する哲人の識見には、まさにこのように崇敬なものがあったのである。

このことだけを考えてみても、真理とは本当に久遠の昔より永劫の将来にわたり、昭(しょう)として耽存(たんぞん)するものであると断言する。

いずれにせよ、かく観じ来りかく観じ去るに従い、多々益々、信念の人生に対する、峻厳なる重要性を、少しの間といえども蔑(ないがし)ろにしてはいけないということを、われらの真人生の探求と、その実践に限りなき情熱をもつものは、今さらながら改めてその心に銘記すべきであると絶叫する。

そして、ナポレオン・ボナパルトが十万の精兵を率いてアルプスの険山を乗り越えたときの言葉として、今なお人口に膾炙(かいしゃ)する「わが辞書に不可能という言葉なし」という名言を常にわが心の座右銘とすべしと、あえて熱奨する次第である。
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