電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

真珠湾攻撃の真実 《 日米のすれ違い――小川榮太郎 》

2024-07-02 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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アメリカ側は日本の提案する交渉前の準備案ととり、日本側はアメリカ政府が承認した条件だと受け取る――そういう誤解を与えた点、野村吉三郎の責任は重大だと言わねばなりません。しかし、この日米了解案がどの程度アメリカが承認できる案かどうか以前に、日本側がこの提案をぶち壊しにしてしまいます。日米了解案が自分の外交成果とまったく関係ない、それも民間ベースの案だと知った松岡洋右外相が、ヘソを曲げてしまい、喧嘩を売るに等しい回答を発出したからです。


◆日米のすれ違い

『一気に読める戦争の昭和史』
( 小川榮太郎、ベストセラーズ (2015/8/8)、p138 )

一方、陸軍の南進論も、根本に矛盾を抱えた構想です。資源確保に不安があるから南進するのですが、それが原因でアメリカと衝突してアメリカからの資源輸入が止まれば、元も子もありません。資源確保自体が目的である以上、日米衝突が生じないように外交手続きを充分に踏むか、必勝無敗の軍事制圧に徹するべきで、一か八かで戦争を招く可能性のある行動をするのは不用意だし、本末転倒です。

政府・軍指導者も本音では、アメリカと対立したくはありません。

そこに、松岡洋右外相が外遊で不在の間に、日本に極めて有利に見える日米交渉の案が降って湧いたように提案されます。いわゆる「日米了解案」です。

昭和16(1941)年の4月16日、コーデル・ハル国務長官と野村吉三郎駐米大使の間で交わされたという合意が、それです。この案は、日米関係が急速に悪化する中で、アメリカのカソリックの聖職者と日本側軍人や野村が関与して、日米交渉の基礎とするために作成されました。ハル長官は野村に対して「これを基礎に、非公式の予備交渉を開始してもよい」と回答します。

ところが、野村大使は日本政府に対し、この案にハル長官もほぼ同意したと報告したため、日本政府はこれをアメリカ側の条件だと誤解して受け取りました。

(1) 三国同盟は防御的であることを明言する。

(2) アメリカは蒋介石政府に和平勧告し、蒋政権と汪政権は合流する。支那からの
  日本軍の撤退

(3) 満州国の承認

(4) 日米修好通商条約有効期間中同様の、正常な通商関係への復帰

(5) 日本が南方進出しないことを条件に、対日資源輸出の保障

(6) 日本移民の無差別待遇

従来のアメリカの対日政策からは考えられないような大変な好条件です。

この案が近衛文麿首相から関係閣僚に発表された時、出席者は喜色に溢れました。東條英機は東京裁判供述書で、「今までの問題解決に一の曙光(しょこう)を認め、ある気軽さを感じました」としていますが、これは控えめな表現で、陸軍強硬派も含め、この提案には非常に喜んだのです。

アメリカ側は日本の提案する交渉前の準備案ととり、日本側はアメリカ政府が承認した条件だと受け取る――そういう誤解を与えた点、野村吉三郎の責任は重大だと言わねばなりません。

しかし、この日米了解案がどの程度アメリカが承認できる案かどうか以前に、日本側がこの提案をぶち壊しにしてしまいます。

日米了解案が自分の外交成果とまったく関係ない、それも民間ベースの案だと知った松岡洋右外相が、ヘソを曲げてしまい、喧嘩を売るに等しい回答を発出したからです。

松岡洋右が5月12日にアメリカに返した提案には次のような内容が含まれていました。

(1) 日本側は三国同盟の規定通り、第三国からの攻撃に対しては軍事援助を行
  う、つまり日独軍事同盟に関してアメリカに譲歩しない。

(2) 支那事変については、アメリカは南京政府を認めた上、蒋介石政権に対し
  て和平勧告をすること。

(3) 日本の南方進出については、「武力に訴えない」という条件を削除する

交渉をぶち壊すために、意図的に喧嘩を売ったと考えて差しつかえありません。松岡は「他人の立てた計画には常に反対する人(昭和天皇評)」でした。

松岡にとって、日独伊ソ四国同盟によってアメリカを封じ込められるという自己過信、自己陶酔の絶頂での対米交渉だったにせよ、また、民間や海軍出身の駐米大使ベースの外交に、松岡が反発したにせよ、これは万死(ばんし)に値する外交的失態です。

アメリカが極度の対日不信に陥ったのは間違いありません。
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