昨日のお昼、荼毘に付される為に落合斎場に向かった勘三郎丈の棺は、小日向のご自宅を出てから、江戸川橋交差点で新目白通りに入って練馬方向に進み、中落合2丁目交差点で左折、山手通りを行ったのだろうか。法名は演暢院釋明鏡大居士。他宗では戒名と言われるが、浄土真宗では法名。えんちょういんしゃくみょうきょうだいこじ。
言霊というものは見えないけれども、たしかにあるのかもしれない。平生から後ろ向きなことや他人を蔑むことばかり発言しているひとは得てして自分で自分にそのことばどおりの運命を引き寄せてしまうことが多いような気がする。前向きなプラス思考のことばや態度を他人にも自分にも掛け続けることが大事とあらためて思う今日この頃。今朝は、バロック音楽を聴きながら、宿題の短歌十首のことを考えている。いつもながらに難航しているけれども、もうすぐできそうな気がしてくる。
今朝のTokyoFM「Symphonia」。ラジオを点けたらメナヘム・プレスラーのピアノとエマーソン弦楽四重奏団によるドボルジャーク作曲『ピアノ五重奏曲イ長調Op.81』第2楽章が流れてきて、そのあまりにも独特な雰囲気の魅力的な音楽に思わず耳を奪われました。かつてブラームスは、天才肌のメロディスト・ドボルジャークについて「ドボルジャークの家のゴミ箱に捨てられている書き損じや没になったメロディを拾ってきたらそれだけで魅力的な作品がたくさん作れるだろう」と語ったそうですが、なるほど、頷けます。
エルガー。
大英帝国の音楽 ロンドン編 エルガーのエピソード(youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=vk79c0if4wQ
Sir Edward Elgar conducts Land of Hope and Glory in 1931(youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=R-AmryhlRpI
「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」に始まる堀辰雄『聖家族』の文章は、次いで故人(亡くなった作家・九鬼)の家へと通じる平生は閑散とした坂道が通夜葬儀ゆえに賑わう描写につながってゆくのだが、それを唐突に思い出したのは、昨夕の地震のあと、家に帰って締め切りまで残り約十日の短歌十首を詠んでしまおうと机に向かうもちっとも短歌モードになれなくて果たせぬまま先に亡くなった中村勘三郎丈追悼特別番組をワンセグで見てしまい、番組終わって一風呂ゆったりと浴びたり浸かったりしたくなって、勘三郎丈お住まい近くでもある近所の銭湯へ出掛けることにし、風呂をもらったあと、勘三郎丈もかつてしばしば歩かれたお住まい近くのH坂を見てきたからかもしれない。勿論、今宵のH坂は月光の下で悲しみに口をつぐんでしまっているかのようにまことに静まり返っていた。
今朝の夢はどこかのホールの客席にいて小編成管弦楽アンサンブルの演奏会を聴いている夢でした。本来のプログラムが終わってアンコールにヨハン・セバスチャン・バッハの『管弦楽組曲第2番ロ短調BWV.1067』第5曲「ポロネーズ」と『管弦楽組曲第3番ニ長調BWV.1068』第2曲「アリア」を演奏してくれました。全体にテンポ速めの引き締まった感じのまことに素晴らしい演奏で、心が洗われるようでした。
短歌十首のメモから、です。
百足屋とふネオンに猫の背は消えて町そとの砂漠から吹いてくる風
宇宙駅は砂漠の真ん中 パン屋トラックは砂こぼしつつ町へ入りぬ
パン屋トラックはその朝マツモトキヨシに駐(と)まりぬ甘食八個届けるために
例へばマーラーはこの星からかつて地球へ発つたのですと九代目町長直筆の石碑
この星は偉人を多数輩出してゐます。地球(あちら)にも、火星(こちら)にも。
町の公園隣りの憩ひホームにはさまざまに役目を終へたる人びと
マーラーは蒼きグラスに水注いでちびちびやつてをり地球眺めながら
帰還船と呼ばるる黄色い船ありて朝ごと宇宙駅に人ら降ろせり
船内はマーラー九番いつも流る船長の名はブルーノ・ワルター
その朝の帰還船(ふね)にひとりの女性あり帽子にひるがほブローチつけて
百足屋とふネオンに猫の背は消えて町そとの砂漠から吹いてくる風
宇宙駅は砂漠の真ん中 パン屋トラックは砂こぼしつつ町へ入りぬ
パン屋トラックはその朝マツモトキヨシに駐(と)まりぬ甘食八個届けるために
例へばマーラーはこの星からかつて地球へ発つたのですと九代目町長直筆の石碑
この星は偉人を多数輩出してゐます。地球(あちら)にも、火星(こちら)にも。
町の公園隣りの憩ひホームにはさまざまに役目を終へたる人びと
マーラーは蒼きグラスに水注いでちびちびやつてをり地球眺めながら
帰還船と呼ばるる黄色い船ありて朝ごと宇宙駅に人ら降ろせり
船内はマーラー九番いつも流る船長の名はブルーノ・ワルター
その朝の帰還船(ふね)にひとりの女性あり帽子にひるがほブローチつけて
それは、一晩激しく降り続いた雨がぱたっとやんだ後の美しく晴れた朝でした。
ブルネグロ飛行男爵のお城では、東塔の礼拝堂の大きな扉が内側から侍従たちによって厳かに開かれ、東塔の鐘楼が弔鐘を打ち鳴らしてラッパ隊とパイプオルガンが低く重たく葬楽を奏でる中、眼差しに温和な光をたたえて正面を向いた初老の司祭と喪服姿で俯きがちなアスフィータ王女のふたりが、ブルネグロ公国旗に包まれて衛士たちに担がれた棺を先導してゆっくりと出てきました。
ブルネグロ飛行男爵のお城では、東塔の礼拝堂の大きな扉が内側から侍従たちによって厳かに開かれ、東塔の鐘楼が弔鐘を打ち鳴らしてラッパ隊とパイプオルガンが低く重たく葬楽を奏でる中、眼差しに温和な光をたたえて正面を向いた初老の司祭と喪服姿で俯きがちなアスフィータ王女のふたりが、ブルネグロ公国旗に包まれて衛士たちに担がれた棺を先導してゆっくりと出てきました。
昔むかし、私がまだ高校生だった頃、晩のゴミ出しで家の外に出てたまたま星空を仰いだ折などによく、オーケストラ音楽が突然降りてきたものです。そうすると、家に駆け戻ってあわてて二オクターブ半のキーボードで音程を確かめながら自己流に三段や四段のピアノ譜で書き留め、翌朝、今はS高校で教えられている恩師の小峰和則先生のところにそのピアノスケッチ譜面を持って押しかけ、音楽室のピアノの前でみて頂いたものでした。先生はいつも、私のめちゃくちゃな譜面でもなんでも初見でさらさらと弾いてくださり、「君の書く譜面は、まったくアカデミックでないけれども、ここはマーラーみたいで面白いね」とか「ここはショパン風かな」とか「ここの和声進行は、こうするよりもこうした方がいいと思うね」とか、いろいろ教えてくださいました。私の書くものはまったく稚拙でどうしようもない譜面ばかりでしたけれども、先生がくださる温かいことばがすごく励みになって、私の作曲熱は進みました。
その頃のことを今でもときどきなつかしく思い出します。
大西民子さんの歌集『まぼろしの椅子』(昭和31年新典書房発行)のなかの一首、〈声の限り呼びたきみ名もある如し谷越えて迫る山のなだりよ〉。「如し」の利き具合の精妙さに感心した今朝。昨晩は頭が熱くて危ないと思い冷えピタ貼って早々に就寝、おかげで今朝は身体が楽です。