映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ルーム

2016年04月19日 | 洋画(16年)
 『ルーム』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)本作は、本年のアカデミー賞作品賞にノミネートされ、主演のブリー・ラーソンが主演女優賞を受賞した作品だというので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、ベッドに寝ている5歳のジャックジェイコブ・トレンブレイ)に、母親のジョイブリー・ラーソン)が「寝なさい」と言います。



 ジャックは、寝返りを打って目をつぶります。
 そして、ジャックの声で、「昔々、僕が降りてくる前、ママは毎日泣いていて、テレビばかり見ていて、ゾンビになった。それから、僕が、天国から天窓を通って降りてきて、お腹の中からママを蹴って、外に飛び出すと、ママがへその緒を切って、「ハロー、ジャック」と言った」。

 朝になると、ジャックは目を開けて、「僕は5歳だ」と叫びます。
 ジョイは、「大きな子。もうお兄ちゃんね」と応じます。
 ジャックは、「お早う、じゅうたん。お早う、テレビ。お早う、トイレ。お早う、シンク」などと言って部屋の中を動き回ります
 そして、ジョイが「今日の計画、お誕生日のケーキを焼くの」と言います。

 ジャックは、歯磨きをしたり、背の高さをジョイに測ってもらったり、ジョイの真似をしてストレッチ体操とか腕立て伏せをしたり、それからケーキ作りを手伝ったりします。

 とうとうジョイが、出来上がったケーキを机に出します。
 ですが、ジャックが「ろうそくは?」と尋ねたところ、ジョイが「ないの。面倒なものは、あいつに頼めないの。ろうそくがなくてもケーキよ」と答えるものですから、ジャックは酷く怒ってしまいます。

 その夜、オールド・ニックショーン・ブリジャーズ)が「部屋」にやってきます。
 彼は、「あの子のジーンズだ。ブドウはものすごく高かった。代わりにナシの缶詰を買ってきた」と言いながら、机の上のケーキを見つけます。それが誕生日のケーキだとわかると、「いくつになった?言えばプレゼントを買ってきたのに」などといいます。

 ジャックは、この光景をベッドが置かれた洋ダンスの隙間から覗いています。
 こんなふうに映画は始まりますが、さあこれからどのように物語は展開していくのでしょうか、………?

 本作は、7年前の17歳の時に男に誘拐され、以来その男の家の庭に設けられた納屋(「部屋」と言われます)に監禁され、5年前に生まれた男の子と二人で生きてきた女性の物語で、前半が、その部屋の中での暮らしぶり、後半がその部屋を脱出してからが描かれます。原作は小説ですが、オーストリアで実際にあった話(注2)に基づいているとされます。何より、日本では、2年に及ぶ監禁事件が最近明るみに出たばかりですから(注3)、とてもフィクションとは思えないところであり、映画に惹きつけられます。

(2)それでも、前半部分については、少々問題点があるように思われます。
 例えば、17歳の時にニックがやってきて「犬が病気」と言われて騙されて誘拐された、とジョイはジャックに語っていますが、高校生にもなってそんな他愛もないことで人は誘拐されるものでしょうか(注4)?

 また、食料などはニックが納屋に運び込んでいますが、ジョイとジャックの2人分の生活物資として量が非常にわずかのように感じられます(注5)。
 それに、同じくらいに嵩張る廃棄物(ゴミ)の運び出しも描かれていません(注6)。
 これらのことは、納屋で人が生活していることを周囲に示す兆候であって、隣近所が不審に思って警察に通報する可能性が出てきます(注7)。
 7年間もの間、隣近所が何も気が付かなかったというのも疑問に思えるところです(注8)。

 とはいえ、本作は、監禁をメインテーマとしているというよりも、むしろ、親子の絆とか子供の成長ぶりといったことに焦点を当てているように思えます。そうであれば、こういったことはどうでもいいのでしょう。

 ですが、そうはいっても、前半部分についてはやはり異常な状況が描かれているので、興味を持ってしまいます。

 これまでも監禁を巡って映画は色々作られてきました。
 例えば、『アリス・クリードの失踪』は、ある大金持ちの一人娘を2人組みの男が誘拐・監禁するというものです(注9)。
 ただ、本作がこうした作品と異なっているのは、監禁の期間が7年と異様に長く、被害者が監禁されながらも一定の生活を営んでいるということでしょう。

 もっと言えば、従来の作品では、加害者が前面に出てくるのが普通でしょう(注10)。ですが、本作の前半で描かれる監禁状況においては、極力、ジャックとジョイの生活ぶりの方に焦点が当てられていて、加害者のオールド・ニックはほんの僅かしか登場しません。
 監禁がメインテーマならば重要な場面になるものと考えられますが、ジョイがニックに誘拐された時のことや、ジョイがトイレの蓋でニックに殴りかかって失敗した時のことは、ジョイがジャックに語る話の中での出来事に過ぎません。

 むしろ、納屋における2人の生活ぶり、特に、テレビを見たり、絵本を読んだり、歌を歌ったり、ラジコンで遊んだりと、活発に動き回るジャックの世界がどのように形作られているのか、見る者に想像させる方に主眼が置かれているように感じます。
 この場合、ジャックは、自分とかジョイと、テレビに映る人物とが違っているように思えてしまうようです。それで、ジョイは5歳になったジャックに、「テレビの中の人物は、私たちみたいな顔の人なら本物なの」と言ってきかせます。
 それでも、ジャックは、天窓に落ちている枯れ葉が本物だとは思えません。ジャックにとって葉っぱは、テレビで見た緑色の物しかありえないのです(注11)。



 生まれた時から外界と隔離された場所で育った子供が、自分の周りの世界とテレビの世界とをどのように見ているのか、本作におけるジャックの反応はリアルなものなのかどうか(小説として描かれたものにすぎないのかどうか)、クマネズミには判断がつきませんが、大層興味深い世界が本作で描き出されているな、と思いました(注12)。

 なお、解放された後の2人の様子は後半部分で描かれます。ただ、後半部分でも様々な騒動が持ち上がるとはいえ、特に、解放後にジョイは精神的にかなりのダメージを受け(注13)、自殺未遂まで引き起こすことになりますが、その展開はある程度推測出来るもののように思えます(注14)。

 また、確かに、主演のブリー・ラーソンの演技はなかなかのものとはいえ、本作のようなシチュエーションが与えられればこうした演技はプロならある程度出来るのではないか(主演女優賞には、やっぱり『キャロル』のケイト・ブランシェットがふさわしいのでは)、それより、5歳のジャックを演じた8歳(撮影時)の子役の絶妙の演技がなくてはこの作品は成り立たないのでは、と思ったところです(注15)。

(3)渡まち子氏は、「未知の環境にも柔軟に対応し、それを愛することができるのだから。世界を“発見する”息子ジャックと、世界に“戻る”母ジョイ。人生を取り戻した2人を演じ切ったブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイの名演に心を奪われる」として85点をつけています。
 村山匡一郎氏は、「監禁という残酷な出来事と解放後の騒動と厳しい現実を被害者の目線で綴っていくが、映画は被害者の傷ついた心に寄り添いながら、母子2人が新たな世界を力強く生きていく姿を描き出して胸に響く」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
 藤原帰一氏は、「映画の表現力が強いので、見るのがつらくなるほど感情移入してしまう。親子の姿を見るだけで泣きそうになりました。演技だけでも抜群の作品ですが、ここはひとつ、ただの「泣かせる映画」では終わらない巧みな演出の醍醐味も味わってください」と述べています。



(注1)監督はレニー・アブラハムソン
 脚本は原作者のエマ・ドナヒュー
 原作は『ルーム』(講談社文庫:未読)。

(注2)2008年に発覚した「フリッツル事件」。

(注3)日本でも、これまで「新潟少女監禁事件」(2001年に被害者発見)などが起きています(Wikipediaの「監禁」より)。

(注4)あるいは、ジョイはジャックがわかるように説明を簡略にしているのかもしれませんが。

(注5)あるいは、映画では描かれていない時に、もっと物を運んでいるのかもしれませんが。

(注6)さらに、ジョイが食事を作る際に、煙が外に排出されることも考えられます(あるいは、電子レンジやホットプレートで調理するのかもしれませんが)。

(注7)ニックの住まいは野中の一軒家ではなく、街中にあり、周囲は別の家に囲まれています(あるいは、塀に遮られて納屋の様子が見えなかったのかもしれませんが)。

(注8)さらには、納屋の台所にはナイフ・包丁があったように思われ、そうであればそれを武器にジョイはニックと戦えなかったのか、などの疑問も湧いてきます。
 こうした点は、下記の「注13」で触れているTVレポーターも疑問に感じたようです。ただ、監禁状態にある被害者の心理状態は、外部の者にはうかがい知れないところであり、こんなところで常識を振り回すのは慎むべきではないかと思われます(朝霞の女子中学生監禁事件について、TVのニュース・ショーなどのマスコミは連日そうした点(「なぜ被害者は逃げ出さなかったのか」)を取り上げていましたが、興味本位に事件を見すぎているように思いました)。

(注9)他にも、例えば、『リミット』は、テロリストに誘拐されて、棺の中に押し込められ、砂漠に埋められた男の物語です。

(注10)上記「注9」で触れた『リミット』では、閉じ込められた男しか画面に登場しませんが。

(注11)また、ニックが本物なのかどうかもわからなくなります(「半分本物なんだ」とか「テレビの中に入ってしまうんだ」などとジャックは言います)。
 それで、いろいろジョイが説明してもジャックは納得せず、「世界なんて嫌いだ。テレビの方が良い」と言い張ります。

(注12)あるいは、ジャックにとって、自分自身とかジョイの方が、テレビと同じように平面的に見えてしまうといったことは起こらないのでしょうか?
 もっと言えば、納屋の中には鏡が置かれていないようです。その場合、はたしてジャックはうまく自我を形成できるのでしょうか(ラカンの「鏡像段階」!)。

(注13)監禁期間中に「ばあば」(ジョーン・アレン)と「じいじ」(ウィリアム・H・メイシー)が離婚したこととか、TVインタビューでレポーターから心ない質問(異常な状況下に置かれていた人に対して、ごく常識的なところから、「なぜ……ができなかったのか?」という実に賢しらな質問をしてしまいがちではないでしょうか?)を受けてしまうことなどによって。

(注14)とはいえ、頑なな「じいじ」が手を引いてしまった後、「ばあば」の再婚相手・レオトム・マッカムス)とジャックは何気なく交流していきますが(食事とか犬の散歩などで)、こんなことからもジャックがスムースに新しい世界に入り込めるようになっていったように描かれていて、こうした場面は感動的です(ジョイにはジャックがいるとはいえ、新しい男性が必要なのかもしれません←ニックがトラウマとなって大層難しいかもしれないのですが)。

(注15)今や、どの国の作品でも、子役の演技には目を見晴らせます。
 最近では、『僕だけがいない街』における中川翼鈴木梨央が凄いなと思いました。



★★★☆☆☆



象のロケット:ルーム


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2 コメント

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Unknown (ふじき78)
2016-11-22 23:11:06
> 納屋で人が生活していることを周囲に示す兆候であって、隣近所が不審に思って警察に通報する可能性が出てきます

前提として、隣人が人を監禁しているという事は思い浮かびづらいのではないでしょうか? そういう兆候を見てはいませんが、私も自分の家の隣人が誰かを監禁してるとは思わないし、ある特定の部屋に「何かがある」と思う事もありません。
また、納屋の外見が、イナバ物置のちょっと贅沢バージョンみたいな奴だったので、逆にそこに人が住める訳がないというバイアスがかかっているかもしれません。暖房切ると凍死しかねない物置にあまり人が住んでるとは考えづらい。「人が見たがらない爬虫類みたいな動物を数匹飼ってる」みたいに言っておいてもいいですし。
Unknown (クマネズミ)
2016-11-23 05:31:01
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、「監視」ということになると、「思い浮かびづらい」かもしれません。
ただ、ある家で何か重大事件があると、通常、TVニュースで隣人がインタビューされ、「被害者はとてもいい人でした」とか「加害者はおとなしい人で、とてもそんなことをするようには思えませんでした」などと、さも親しくおつきあいをしているように語るじゃないですか。
隣人は、「監視」せずとも、隣の家の状況がどうなっているのか完全に無視していることはないのではないか、と思います。
それに、ちょっとでも通常とは違った徴候があれば、人は無意識にも注意を払うものではないかと思います。

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