
『アリスのままで』を新宿ピカデリーで見てきました。
(1)ジュリアン・ムーアが本年のアカデミー賞主演女優賞を本作で受賞したというので見に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、主人公のアリス(ジュリアン・ムーア)の50歳の誕生日の食事会。

そこには、夫のジョン(アレック・ボールドウィン)、長女のアナ(ケイト・ボスワース)とその夫、それに長男のトム(ハンター・パリッシュ)が同席しています。
トムが、「彼女と別れたんだ。プレゼントは忘れた」と言い、また、アリスは、「(次女の)リディアはオーディションで来られないと言っていた」と付け加えます。
そして、夫のジョンが、「僕の人生を通じて、最も美しく最も知的な女性だ。乾杯!」と挨拶して盃をあげます。
次の場面では、講師として招かれたUCLAで、アリスは、子供が自然に母語を話せるようになるのはなぜかといった話題で講演をしています。
「ダーウィンはそういう本能があるからだとしましたが、私の最新の研究をお話しましょう」と言って話し続けようとしたところで、ある言葉を忘れてしまい、話が中断してしまいます。
その場は、シャンパンを飲んだことが悪かったようだ、などと取り繕いましたが。
後の車の中の場面で、アリスは、忘れてしまった言葉が「lexicon(語彙)」だったことを思い出します。
次いで、アリスは次女のリディア(クリステン・スチュワート)に会います。

演劇の道を志している彼女に対し、アリスは、「もう考え直す時では?」と尋ねますが、リディアは「大学に行くべきということ?でも私は、これで満足している」と答えます。
今度は、アリスが街の中をジョギングしています。
ですが、勝手知ったコロンビア大学の構内にもかかわらず、アリスは、自分が今どこにいるのかわからなくなってしまいます。
それで、アリスは心配になって病院を訪れるのですが、一体どんな診断が下されるのでしょう、………?
本作は、ニューヨークのコロンビア大学で言語学を教えている女性が、50歳で若年性のアルツハイマー病に罹患してしまったことを巡るお話です。この病気によって、彼女の記憶は次第に失われ、大学を辞めざるを得なくなるばかりか、家族をもいろいろ巻き込んでいくことになります。それでも、家族のそれぞれが、自分の立場から出来るだけのことをしようと努力する様が描かれ、そんなに暗い作品になっているわけではありません。
むしろ本作は、アルツハイマー病の怖さを世の中に訴えることを主眼とするものではなく、それを通して、家族の絆を描き出そうとしているようにも思われます。
とはいえ、映画では描かれないこの先、主役のアリスをも含めて皆がどのようになるのか、とても気になるところですが(注2)。
(2)本作は、アリスを巡る状況設定を、これでもかというくらいに厳しくしすぎている感が否めません。
本作で中心的に描かれる若年性アルツハイマー病自体、余り見かけないものですし(注3)、とりわけ本作で言われている「家族性アルツハイマー病」(注4)はごく稀にしか起こらないもののようです(注5)。
なお、アリスのアルツハイマー病が「家族性」のものであるというのは、DNA検査をすることでわかるのでしょうが(注6)、同病に対する予防法・治療法がまったく確立していない現在、結果が判明しても家族の不安を煽ることになるだけで、意味がないようにも思われるところです(注7)。
特に、本作の場合、DNA検査を受けた長男のトムは陰性だったからよかったようなものの、長女のアナは子供を産んだにもかかわらず陽性の判定なのです。本人ばかりでなく、それらの子供(それも、よりによって双子とは!)は一体どうなるのでしょう(注8)?
また、アリスが高名な言語学者(コロンビア大学の言語学科教授)とされているのも、ことさらな感じがするところです。なにしろ、言葉を研究している学者がその言葉自体を次第に失ってしまうのですから(注9)。
とはいえ、そうした事柄は(注10)、本作の物語をくっきり描き出すための方策として止む得えないかもしれません。
それに、なにはともあれアリスを演じるジュリアン・ムーアの演技が素晴らしいのです。
例えば、最初の方で、ジョギング中にコロンビア大学構内で道に迷ってしまった時のなんとも言えない表情。
あるいは、次女のリディアに対し、もっと安定した道に就くように説得するときの母親の顔。
さらには、アルツハイマー協会でのスピーチにおける姿(注11)。

なるほどアカデミー賞主演女優賞を受けた女優だなと思ったところです。
ただ、夫のジョン(注12)や長女のアナ(注13)の描き方については、本作が家族の絆を描き出したいというのであれば、今一よくわからないところがあるように思いました。
(3)渡まち子氏は、「若年性アルツハイマー病を発症した女性とその家族の葛藤を描く「アリスのままで」。オスカーを射止めたジュリアン・ムーア渾身の演技に目を見張る」として80点をつけています。
藤原帰一氏は、「これは暗い。ハッピーエンドになるはずのない、救いのないお話ですが、最初から最後まで目が離せない。その理由はただ一つ、主演のジュリアン・ムーアがいいからです」と述べています。
小梶勝男氏は、「身につまされるのは、程度は全く違うが、誰もが老いていく中で今の自分でなくなるのを受け入れざるを得ないからだろう。自分がなくなって、我々は何を残せるのだろうか」と述べています。
(注1)脚色・監督は、リチャード・グラッツァー&ウォッシュ・ウェストモアランド。
原作は、リサ・ジェノヴァ著『アリスのままで』(邦訳はこちら:未読)。
(注2)出演者の内、最近では、ジュリアン・ムーアは『クロエ』、アレック・ボールドウィンは『ブルージャスミン』で、それぞれ見ました。
(注3)映画では、つとに『明日の記憶』(2006年:若年性アルツハイマー病にかかる主人公は49歳)や『私の頭の中の消しゴム』(2004年)などで取り上げられているとはいえ、アルツハイマー病(AD)の5%未満が若年性発症型のアルツハイマー病であると推定されています(例えば、この記事)。
さらに、このサイトの記事では、「一般集団における早期発症型ADの頻度を10万人あたり41.2人(発症年齢40~59歳)」(0.04%!)とする研究が引用されています。
(注4)映画の中で、家族性の若年性アルツハイマー病がその患者の子どもたちに遺伝する確率が50%で、発症率は100%だとされています(ただし、この記事では、「遺伝子に異常が見つかっても100%アルツハイマーを発症するとは限りません」とされています)。
(注5)このサイトの記事によれば、「家族性アルツハイマー病は、アルツハイマー病全体の約5%程度である初老期発症アルツハイマー病の約10%に過ぎないわけですから、極めて稀な疾患と考えられます」とのこと(ただし、前記「注3」で触れている記事によれば、「早期発症型ADの約60%が家族性」とのことですが)。
(注6)アリスのDNAのなかに、家族性の若年性アルツハイマー病を引き起こすいくつかの遺伝子(この記事)のどれかが見つかったということなのでしょう。
あるいは、アリスの両親のどちらかが、そうした遺伝子を持っていたのでしょう。とすると、アリスの兄弟姉妹の中でも、若年性アルツハイマー病に罹患している者がいるかもしれません。
(注7)次女のリディアは検査を拒否します。前記「注3」で触れている記事によれば、「検査後の重篤な抑うつ症状も報告されている」とのことですから、ある意味で当然ではないかと思われます(検査を受けずとも、確率が50%なのですから、精神的に耐え難いことでしょう)。
(注8)ここらあたりのことは、特殊アメリカの状況なのかもしれません(日本では、この記事によれば、神戸大学付属病院では、発症前診断は行なわれていないとのこと)。
(注9)アリスが講義している最中に言い淀んでしまうシーンがありますが、その後の車の中で、出てこなかった言葉が「語彙」だということにアリスは気が付きます。
(注10)これらの設定に加えて、さらに、本作の監督の一人であるリチャード・グラッツァーがALSを患っていて、映画の完成後に亡くなっているのですから、言うことはありません(Wikipediaのこの項目によれば、「90%程度が遺伝性を認められない孤発性である。残り10%程度の遺伝性ALSでは、一部の症例に原因遺伝子が同定されている」とのこと。なんだか、家族性の若年性アルツハイマー病と類似した状況にある感じです)。
(注11)話した部分を黄色のペンで消しながら、また原稿を床に落としてしまいながらのスピーチですが、大学での講義と同じように、毅然とした態度で、「やってみたいことがあるのです。苦しんでなんかいません。闘っているのです。瞬間瞬間を生きているのです」とスピーチします。
(注12)夫のジョンは、まだ働き盛りの年齢ということから仕方がないとはいえ、ニューヨークに残る妻を次女のリディアに託して、ミネソタ州のメイヨー・クリニックに移籍してしまうのです(逆に、彼が、そういう良い話があるにもかかわらず、ニューヨークに残って献身的にアリスの介護をするという展開も、より作り話的な感じがしてしまうでしょうが)。
ここらあたりについて、劇場用パンフレット掲載のエッセイ「それでもアリスは、アリスのままだった」において、心理学者・植木理恵氏は、「一見、浅薄なように見えるかもしれませんが、仕事を辞めて介護に専念して、アリスの人生に引きずられていくことが、彼女に敬意を払っていることにはなりません。彼女をひとりの人間として尊重しているからこそ、自分も人生を捧げてきた研究をまっとうするという道を選んだ。その上で、次女に「君は僕より、いい人間だ」と流す涙には深いものがありました。より高度な人間関係であり、大きな愛だと思います」と述べています。
ですが、ジョンがそう考えているとしたら、単なる自分勝手な言い訳にすぎないようにクマネズミには思えてしまうのですが(ニューヨークに残っても、ある程度の研究は可能でしょうし)。
(注13)長女のアナについては、若年性アルツハイマー病について陽性だと判明したのであり、さらには双子の子供を産んだわけですから、その苦悩の深さたるやもしかしたらアリスを凌ぐものかもしれません。にもかかわらず、動揺した姿が映し出されるとはいえ、いともあっさりと舞台から消えてしまいます(尤も、本作はアリスが主役の作品ですから、アナの厳しい状況を突っ込んで映し出すわけにも行かなかったのでしょうが、それにしても)。
★★★☆☆☆
象のロケット:アリスのままで
(1)ジュリアン・ムーアが本年のアカデミー賞主演女優賞を本作で受賞したというので見に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、主人公のアリス(ジュリアン・ムーア)の50歳の誕生日の食事会。

そこには、夫のジョン(アレック・ボールドウィン)、長女のアナ(ケイト・ボスワース)とその夫、それに長男のトム(ハンター・パリッシュ)が同席しています。
トムが、「彼女と別れたんだ。プレゼントは忘れた」と言い、また、アリスは、「(次女の)リディアはオーディションで来られないと言っていた」と付け加えます。
そして、夫のジョンが、「僕の人生を通じて、最も美しく最も知的な女性だ。乾杯!」と挨拶して盃をあげます。
次の場面では、講師として招かれたUCLAで、アリスは、子供が自然に母語を話せるようになるのはなぜかといった話題で講演をしています。
「ダーウィンはそういう本能があるからだとしましたが、私の最新の研究をお話しましょう」と言って話し続けようとしたところで、ある言葉を忘れてしまい、話が中断してしまいます。
その場は、シャンパンを飲んだことが悪かったようだ、などと取り繕いましたが。
後の車の中の場面で、アリスは、忘れてしまった言葉が「lexicon(語彙)」だったことを思い出します。
次いで、アリスは次女のリディア(クリステン・スチュワート)に会います。

演劇の道を志している彼女に対し、アリスは、「もう考え直す時では?」と尋ねますが、リディアは「大学に行くべきということ?でも私は、これで満足している」と答えます。
今度は、アリスが街の中をジョギングしています。
ですが、勝手知ったコロンビア大学の構内にもかかわらず、アリスは、自分が今どこにいるのかわからなくなってしまいます。
それで、アリスは心配になって病院を訪れるのですが、一体どんな診断が下されるのでしょう、………?
本作は、ニューヨークのコロンビア大学で言語学を教えている女性が、50歳で若年性のアルツハイマー病に罹患してしまったことを巡るお話です。この病気によって、彼女の記憶は次第に失われ、大学を辞めざるを得なくなるばかりか、家族をもいろいろ巻き込んでいくことになります。それでも、家族のそれぞれが、自分の立場から出来るだけのことをしようと努力する様が描かれ、そんなに暗い作品になっているわけではありません。
むしろ本作は、アルツハイマー病の怖さを世の中に訴えることを主眼とするものではなく、それを通して、家族の絆を描き出そうとしているようにも思われます。
とはいえ、映画では描かれないこの先、主役のアリスをも含めて皆がどのようになるのか、とても気になるところですが(注2)。
(2)本作は、アリスを巡る状況設定を、これでもかというくらいに厳しくしすぎている感が否めません。
本作で中心的に描かれる若年性アルツハイマー病自体、余り見かけないものですし(注3)、とりわけ本作で言われている「家族性アルツハイマー病」(注4)はごく稀にしか起こらないもののようです(注5)。
なお、アリスのアルツハイマー病が「家族性」のものであるというのは、DNA検査をすることでわかるのでしょうが(注6)、同病に対する予防法・治療法がまったく確立していない現在、結果が判明しても家族の不安を煽ることになるだけで、意味がないようにも思われるところです(注7)。
特に、本作の場合、DNA検査を受けた長男のトムは陰性だったからよかったようなものの、長女のアナは子供を産んだにもかかわらず陽性の判定なのです。本人ばかりでなく、それらの子供(それも、よりによって双子とは!)は一体どうなるのでしょう(注8)?
また、アリスが高名な言語学者(コロンビア大学の言語学科教授)とされているのも、ことさらな感じがするところです。なにしろ、言葉を研究している学者がその言葉自体を次第に失ってしまうのですから(注9)。
とはいえ、そうした事柄は(注10)、本作の物語をくっきり描き出すための方策として止む得えないかもしれません。
それに、なにはともあれアリスを演じるジュリアン・ムーアの演技が素晴らしいのです。
例えば、最初の方で、ジョギング中にコロンビア大学構内で道に迷ってしまった時のなんとも言えない表情。
あるいは、次女のリディアに対し、もっと安定した道に就くように説得するときの母親の顔。
さらには、アルツハイマー協会でのスピーチにおける姿(注11)。

なるほどアカデミー賞主演女優賞を受けた女優だなと思ったところです。
ただ、夫のジョン(注12)や長女のアナ(注13)の描き方については、本作が家族の絆を描き出したいというのであれば、今一よくわからないところがあるように思いました。
(3)渡まち子氏は、「若年性アルツハイマー病を発症した女性とその家族の葛藤を描く「アリスのままで」。オスカーを射止めたジュリアン・ムーア渾身の演技に目を見張る」として80点をつけています。
藤原帰一氏は、「これは暗い。ハッピーエンドになるはずのない、救いのないお話ですが、最初から最後まで目が離せない。その理由はただ一つ、主演のジュリアン・ムーアがいいからです」と述べています。
小梶勝男氏は、「身につまされるのは、程度は全く違うが、誰もが老いていく中で今の自分でなくなるのを受け入れざるを得ないからだろう。自分がなくなって、我々は何を残せるのだろうか」と述べています。
(注1)脚色・監督は、リチャード・グラッツァー&ウォッシュ・ウェストモアランド。
原作は、リサ・ジェノヴァ著『アリスのままで』(邦訳はこちら:未読)。
(注2)出演者の内、最近では、ジュリアン・ムーアは『クロエ』、アレック・ボールドウィンは『ブルージャスミン』で、それぞれ見ました。
(注3)映画では、つとに『明日の記憶』(2006年:若年性アルツハイマー病にかかる主人公は49歳)や『私の頭の中の消しゴム』(2004年)などで取り上げられているとはいえ、アルツハイマー病(AD)の5%未満が若年性発症型のアルツハイマー病であると推定されています(例えば、この記事)。
さらに、このサイトの記事では、「一般集団における早期発症型ADの頻度を10万人あたり41.2人(発症年齢40~59歳)」(0.04%!)とする研究が引用されています。
(注4)映画の中で、家族性の若年性アルツハイマー病がその患者の子どもたちに遺伝する確率が50%で、発症率は100%だとされています(ただし、この記事では、「遺伝子に異常が見つかっても100%アルツハイマーを発症するとは限りません」とされています)。
(注5)このサイトの記事によれば、「家族性アルツハイマー病は、アルツハイマー病全体の約5%程度である初老期発症アルツハイマー病の約10%に過ぎないわけですから、極めて稀な疾患と考えられます」とのこと(ただし、前記「注3」で触れている記事によれば、「早期発症型ADの約60%が家族性」とのことですが)。
(注6)アリスのDNAのなかに、家族性の若年性アルツハイマー病を引き起こすいくつかの遺伝子(この記事)のどれかが見つかったということなのでしょう。
あるいは、アリスの両親のどちらかが、そうした遺伝子を持っていたのでしょう。とすると、アリスの兄弟姉妹の中でも、若年性アルツハイマー病に罹患している者がいるかもしれません。
(注7)次女のリディアは検査を拒否します。前記「注3」で触れている記事によれば、「検査後の重篤な抑うつ症状も報告されている」とのことですから、ある意味で当然ではないかと思われます(検査を受けずとも、確率が50%なのですから、精神的に耐え難いことでしょう)。
(注8)ここらあたりのことは、特殊アメリカの状況なのかもしれません(日本では、この記事によれば、神戸大学付属病院では、発症前診断は行なわれていないとのこと)。
(注9)アリスが講義している最中に言い淀んでしまうシーンがありますが、その後の車の中で、出てこなかった言葉が「語彙」だということにアリスは気が付きます。
(注10)これらの設定に加えて、さらに、本作の監督の一人であるリチャード・グラッツァーがALSを患っていて、映画の完成後に亡くなっているのですから、言うことはありません(Wikipediaのこの項目によれば、「90%程度が遺伝性を認められない孤発性である。残り10%程度の遺伝性ALSでは、一部の症例に原因遺伝子が同定されている」とのこと。なんだか、家族性の若年性アルツハイマー病と類似した状況にある感じです)。
(注11)話した部分を黄色のペンで消しながら、また原稿を床に落としてしまいながらのスピーチですが、大学での講義と同じように、毅然とした態度で、「やってみたいことがあるのです。苦しんでなんかいません。闘っているのです。瞬間瞬間を生きているのです」とスピーチします。
(注12)夫のジョンは、まだ働き盛りの年齢ということから仕方がないとはいえ、ニューヨークに残る妻を次女のリディアに託して、ミネソタ州のメイヨー・クリニックに移籍してしまうのです(逆に、彼が、そういう良い話があるにもかかわらず、ニューヨークに残って献身的にアリスの介護をするという展開も、より作り話的な感じがしてしまうでしょうが)。
ここらあたりについて、劇場用パンフレット掲載のエッセイ「それでもアリスは、アリスのままだった」において、心理学者・植木理恵氏は、「一見、浅薄なように見えるかもしれませんが、仕事を辞めて介護に専念して、アリスの人生に引きずられていくことが、彼女に敬意を払っていることにはなりません。彼女をひとりの人間として尊重しているからこそ、自分も人生を捧げてきた研究をまっとうするという道を選んだ。その上で、次女に「君は僕より、いい人間だ」と流す涙には深いものがありました。より高度な人間関係であり、大きな愛だと思います」と述べています。
ですが、ジョンがそう考えているとしたら、単なる自分勝手な言い訳にすぎないようにクマネズミには思えてしまうのですが(ニューヨークに残っても、ある程度の研究は可能でしょうし)。
(注13)長女のアナについては、若年性アルツハイマー病について陽性だと判明したのであり、さらには双子の子供を産んだわけですから、その苦悩の深さたるやもしかしたらアリスを凌ぐものかもしれません。にもかかわらず、動揺した姿が映し出されるとはいえ、いともあっさりと舞台から消えてしまいます(尤も、本作はアリスが主役の作品ですから、アナの厳しい状況を突っ込んで映し出すわけにも行かなかったのでしょうが、それにしても)。
★★★☆☆☆
象のロケット:アリスのままで
予防も治療もできないがんじがらめの病気ですが、ケアも含めて、世界規模での取り組みが必要な問題でもあることが認識されれば。
主演女優賞は納得でした。
おっしゃるように、こうした映画によって「ケアも含めて、世界規模での取り組みが必要な問題でもあることが認識され」て、現状が改善されていけばいいなと思います。
とは言え、アナはアリスというお手本を目の前にする事が出来る。自分の子供たちに対しても、自分が発病する前に先々手を打っておく事が出来る。そういう意味では早期発見は不幸中の幸いだったかもしれない(不幸その物は避けられないのだけれど)。
おっしゃるように「早期発見は不幸中の幸いだったかもしれ」ませんが、早期発見と言っても、なんだか「スキルス胃がん」を宣告された場合のように、受けるショックが大きすぎるのではと思いました。