
『マエストロ!』を渋谷シネパレスで見ました。
(1)西田敏行が指揮者に扮するというので見に行ってきました。
本作の話は(注1)、不況の煽りで解散した中央交響楽団の楽団員を指揮者の天道(西田敏行)が再び集めて再結成コンサートを開催するというもの。
映画の冒頭では、「音だけの夢をよく見る。幼い頃、父さんが弾いてくれたヴァイオリンだ。まるで天から湧いて出てくるような音色」という語りがあった後に(注2)、香坂(松坂桃李)がベッドから起きだして、テーブルの上に置かれている手紙に目を通します。
それは、ミュンヘン交響楽団からの「採用見送り」のレターでした。
次いで、香坂は、ヴァイオリンケースを持って、車で売工場の中に入ります。
来合せた楽団員からここが練習場と聞いて、香坂は「まともな練習場もないってことですか」と嘆きます。

どうやら、後から練習場に入ってきたフルート奏者の橘(miwa)が天道に頼まれて、他に行き場所がなく残っていた楽団員に連絡をとってここに集合させたようです。
天道は集まった楽団員に対して、「次の演奏会までに、君らを銭のとれるオーケストラにする」と宣言します。

ですが、この天道は、なかなか癖のある人物で、若くしてコンサートマスターになっている香坂らの楽団員と鋭く対立して、コンサート開催が危うくなってしまいますが、………?
西田敏行以下の俳優陣が指揮をしたり楽器を演奏したりする姿はかなり様になっていると思いましたし、なにより映画の中で最後に流れる交響曲(「運命」と「未完成」)は、やっぱり名曲だと思わせる演奏のものです(佐渡裕指揮のベルリン・ドイツ交響楽団が演奏)。
ただ、天道と香坂の父親との関係とか、天道の病気の妻の話など、邦画にありがちな人情話が組み込まれているのはどうかなと思いました(注3)。
(2)まだ『さよなら歌舞伎町』の余韻に浸っているせいでしょうか、あるいは同作に出演して活躍していた河井青葉や松重豊を本作でも見たからかもしれませんが、本作を見ても、これはグランドホテル方式の作品なのではと思ってしまいました(注4)。
例えば、中央交響楽団というオーケストラ(あるいは、練習場となる廃工場)が『さよなら歌舞伎町』に登場するラブホテルであり、西田敏行の扮する指揮者・天道は、ラブホテルの店長(染谷将太)に見えてきますし、コンマスの香坂がラブホの従業員でしょうか、そして、楽団員が属する各パートはラブホテルの客室といったような具合です。
同じように比較するとしたら、天道は、『深夜食堂』に登場する「めしや」のマスター(小林薫)でしょうし、コンマスの香坂は、巡査の小暮(オダギリジョー)とかみちる(多部未華子)に該当するかもしれませんし、「めしや」を訪れるお客は、オーケストラの楽団員ではないでしょうか?
そして、ラブホの店長(または、「めしや」のマスター)が、自分自身で、あるいは従業員(または、「めしや」の常連客など)を使って、ラブホ(または、食堂)を管理しているのと同じように、天道も、自分自身で、あるいは香坂を使って、オーケストラをコントロールしています。
とはいえ、雇われ店長に過ぎない徹と違って、天道ははるかに強く楽団員を指導しますし、コンマスの香坂は、楽団員のトップということで天道と対決しますから、ラブホの従業員的な存在とはいえないかもしれません(注5)。
それはともかく、仮に本作がグランドホテル方式の作品だとしたら、楽団員を巡るエピソードを、ラブホの客室内で起こる様々のエピソード(あるいは、『深夜食堂』の3つのエピソード)のように、もう少し充実させる必要があるのではという感じがしました。
勿論、そうしたものが描かれていないわけではありません。
例えば、フルート奏者の橘は、幼いころ阪神淡路大震災に遭遇して悲惨な光景を目にしています。
これは、『さよなら歌舞伎町』の徹の両親が東日本大震災で被災したり、『深夜食堂』の3番目のエピソードが東日本大震災を取り扱っているのと同じように思えるものの、それらの作品でも触れたように、取って付けたような感じがしなくもありません。
また、香坂については、彼の父親と天道との関係が明らかにされたり、天道の病気の妻の話が持ちだされたりします。
でも、どうして、音楽をめぐる映画にこうした人情話が挿入されるのでしょう(注6)?
本作に必要なのは、むしろ、楽団員同士の濃密な人間関係を描くエピソード(例えば、香坂と橘とのラブストーリー的なもの)ではないでしょうか(注7)?
ですが、映画で描かれているのは、楽団員の間での実によそよそしい人間関係にすぎないように思われます(注8)。
(3)本作は、音楽を巡る映画なので、素人の世迷い言ながら、音楽方面のことに少し触れてみます。
オーケストラの指揮者にまず必要なのは、入場料を支払っても構わないと聴衆が思えるようなレベルにアンサンブルを技術的に仕上げることでしょう。
この点で、天道は、個々の楽器について詳細な知識を身につけてもいて、各パートの技術的レベルの引き上げに成功していて、全体としてまずまずのレベルにあるように思われます。
ただ、プロの指揮者であれば、オーケストラが上手に演奏しましたね、というのは最低限のところであり、それだけでは済まないのではないでしょうか(注9)?
演奏者が自分で満足するのではなく、入場料を支払っている聴衆に、自分たちの音楽を聞かせなくてはならないものと思います。
そのためには、指揮者は、いったいどういう姿勢・考え方でもって「運命」や「未完成」に取り組んでいるのか、それを楽団員に十分にわからせて、実際の演奏において指揮者自身の「運命」や「未完成」を実現させる必要があるものと思います。
その点からすれば、本作における天道の描き方では不十分のような気がします(注10)。
(4)渡まち子氏は、「再結成した名門オーケストラの奮闘を描く音楽ドラマ「マエストロ!」。オーケストラやクラシックのトリビアが楽しい」として70点を付けています。
(注1)原作は、さそうあきらの『マエストロ』(双葉社)。
監督は、『毎日かあさん』(未見)の小林聖太郎。
脚本は、『バンクーバーの朝日』の奥寺佐渡子。
(注2)ラストで、指揮者の天道がコンマスの香坂に「天籟は聞こえたのか?」と問いますが、それに通じています(「天籟」は香坂の父が残した言葉。下記の「注7」にある「もがりぶえ(虎落笛)」にも通じているのでしょう)。
(注3)本作に出演する俳優は、実に多彩です。
すなわち、西田敏行(『武士の献立』や『終戦のエンペラー』)、松坂桃李(『万能鑑定士Q -モナ・リザの瞳-』)、miwa、古舘寛治(『シャニダールの花』)、濱田マリ(『はじまりのみち』)、河井青葉(『さよなら歌舞伎町』)、モロ師岡(『私の男』)、斉藤暁(『踊る大捜査線 The Final―新たなる希望』)、嶋田久作(『謝罪の王様』)、松重豊(『さよなら歌舞伎町』や『深夜食堂』)など。
(注4)グランドホテル方式については、『さよなら歌舞伎町』についての拙エントリの「注8」をご覧ください。
(注5)そういうことでいえば、店長の徹は、コンマスの香坂に相当するかもしれません。だとしたら、天道は、『さよなら歌舞伎町』では描かれていないラブホのオーナーに相当するのでしょう。
この点からしたら、『深夜食堂』の方が本作に類似しているといえます。
(注6)病床で香坂の父親が天道の指揮でヴァイオリンを弾き、それを天道の妻や幼い香坂が聞いていたというのが、復活コンサートの2日目における出来事の伏線になっているというのでしょうが、二つが合わさることで随分の“お涙頂戴”のシーンとなっているように思いました。
(注7)香坂は、マンションの一人住まいであり、橘はなぜか小さな舟の中で暮らしています(住むところがないので、天道に提供してもらったとのこと:それまではどこで暮らしていたのでしょうか?)。
そして、香坂は、何億円もするヴァイオリンを弾きながら橘のいる舟に行きます。

ただ、その時の会話は、橘の吹くフルートの音の素晴らしさを巡ってのもので、橘は「いつも思い出す音がある。もがりぶえ(虎落笛)って知ってる?震災の後に鳴っていた音」、「震災の後、焼け跡でお父さんの骨を拾った」、「音楽って切ない。今あると思っても、次の瞬間消えてしまう」等と話し、香坂は「でも、この世で一番美しいものは音楽だ」と答えます。
なかなか含蓄がある会話ながら、これではラブストーリー的な展開は望めないでしょう。
(注8)これらは最後には解消しますが、例えば、フルートのパートにおけるmiwaとモロ師岡とか、オーボエの小林且弥とクラリネットの村杉蝉之介との関係など。
(注9)劇場用パンフレットに掲載の「TRIVIA」には、「プロのオーケストラの定期演奏会は、3日ほどの練習で本番を迎えます」と述べられています。 本作の中央交響楽団は、その域まで達していないかもしれないとはいえ、元々プロの集団だったのですから、せいぜい1週間位の練習期間ではないでしょうか?
でも、本作では、演奏会まで1ヶ月位設けられています(劇場用パンフレット掲載の「STORY」には「復活コンサートは“わずか”1か月後」とあります!)。
加えて、映画で描かれる練習風景からは、アマチュアのオーケストラに毛の生えたレベルのような感じがしてしまいます(香坂が「これまで何度も演奏したことがある曲」と言っていたわけですから、「運命」の出だしが8分休符であることを今更注意されることなんてあるでしょうか?←尤も、この出だしこそが「運命」という曲の要なのかもしれません。例えば、このサイトの記事を参照してください)。
こんなオーケストラなら、潰れるのはあたり前ながら、本当にこれまで入場料を取る演奏活動をしてきたのか疑わしくなってしまいます。
この点に関し、優秀な演奏家は引き抜かれてしまい、残っているのはクズばかりだからとも考えられますが、オーケストラは皆で合奏するものですから、全体のレベルが重要のはずです。それに、現在はどのオーケストラの懐具合も火の車であって、優秀で能力があるからといって再就職先が簡単に見つかるとも思えません。彼らは「負け組」とされていますが、それは就活面だけのことであり、演奏面ではないのではないでしょうか(現に、コンマスだった香坂が「負け組」に入っているのですから)?
(注10)「運命」といった名曲には、過去の名指揮者による名演がいくつも録音されて残されています。そうした過去の蓄積に対して、天道は、どこに自分の独自性を出そうとしているのでしょうか?
実際には、映画で流されるのは、佐渡裕指揮のベルリン・ドイツ交響楽団が演奏したものであり、それを聞いて観客がそれぞれ判断すればいいことなのかもしれません。
でも、本作は、最後のコンサートに至るまでのオーケストラの舞台裏を描くものですから、そうしたことについての描写があってもいいのではないでしょうか?
★★★☆☆☆
象のロケット:マエストロ!
(1)西田敏行が指揮者に扮するというので見に行ってきました。
本作の話は(注1)、不況の煽りで解散した中央交響楽団の楽団員を指揮者の天道(西田敏行)が再び集めて再結成コンサートを開催するというもの。
映画の冒頭では、「音だけの夢をよく見る。幼い頃、父さんが弾いてくれたヴァイオリンだ。まるで天から湧いて出てくるような音色」という語りがあった後に(注2)、香坂(松坂桃李)がベッドから起きだして、テーブルの上に置かれている手紙に目を通します。
それは、ミュンヘン交響楽団からの「採用見送り」のレターでした。
次いで、香坂は、ヴァイオリンケースを持って、車で売工場の中に入ります。
来合せた楽団員からここが練習場と聞いて、香坂は「まともな練習場もないってことですか」と嘆きます。

どうやら、後から練習場に入ってきたフルート奏者の橘(miwa)が天道に頼まれて、他に行き場所がなく残っていた楽団員に連絡をとってここに集合させたようです。
天道は集まった楽団員に対して、「次の演奏会までに、君らを銭のとれるオーケストラにする」と宣言します。

ですが、この天道は、なかなか癖のある人物で、若くしてコンサートマスターになっている香坂らの楽団員と鋭く対立して、コンサート開催が危うくなってしまいますが、………?
西田敏行以下の俳優陣が指揮をしたり楽器を演奏したりする姿はかなり様になっていると思いましたし、なにより映画の中で最後に流れる交響曲(「運命」と「未完成」)は、やっぱり名曲だと思わせる演奏のものです(佐渡裕指揮のベルリン・ドイツ交響楽団が演奏)。
ただ、天道と香坂の父親との関係とか、天道の病気の妻の話など、邦画にありがちな人情話が組み込まれているのはどうかなと思いました(注3)。
(2)まだ『さよなら歌舞伎町』の余韻に浸っているせいでしょうか、あるいは同作に出演して活躍していた河井青葉や松重豊を本作でも見たからかもしれませんが、本作を見ても、これはグランドホテル方式の作品なのではと思ってしまいました(注4)。
例えば、中央交響楽団というオーケストラ(あるいは、練習場となる廃工場)が『さよなら歌舞伎町』に登場するラブホテルであり、西田敏行の扮する指揮者・天道は、ラブホテルの店長(染谷将太)に見えてきますし、コンマスの香坂がラブホの従業員でしょうか、そして、楽団員が属する各パートはラブホテルの客室といったような具合です。
同じように比較するとしたら、天道は、『深夜食堂』に登場する「めしや」のマスター(小林薫)でしょうし、コンマスの香坂は、巡査の小暮(オダギリジョー)とかみちる(多部未華子)に該当するかもしれませんし、「めしや」を訪れるお客は、オーケストラの楽団員ではないでしょうか?
そして、ラブホの店長(または、「めしや」のマスター)が、自分自身で、あるいは従業員(または、「めしや」の常連客など)を使って、ラブホ(または、食堂)を管理しているのと同じように、天道も、自分自身で、あるいは香坂を使って、オーケストラをコントロールしています。
とはいえ、雇われ店長に過ぎない徹と違って、天道ははるかに強く楽団員を指導しますし、コンマスの香坂は、楽団員のトップということで天道と対決しますから、ラブホの従業員的な存在とはいえないかもしれません(注5)。
それはともかく、仮に本作がグランドホテル方式の作品だとしたら、楽団員を巡るエピソードを、ラブホの客室内で起こる様々のエピソード(あるいは、『深夜食堂』の3つのエピソード)のように、もう少し充実させる必要があるのではという感じがしました。
勿論、そうしたものが描かれていないわけではありません。
例えば、フルート奏者の橘は、幼いころ阪神淡路大震災に遭遇して悲惨な光景を目にしています。
これは、『さよなら歌舞伎町』の徹の両親が東日本大震災で被災したり、『深夜食堂』の3番目のエピソードが東日本大震災を取り扱っているのと同じように思えるものの、それらの作品でも触れたように、取って付けたような感じがしなくもありません。
また、香坂については、彼の父親と天道との関係が明らかにされたり、天道の病気の妻の話が持ちだされたりします。
でも、どうして、音楽をめぐる映画にこうした人情話が挿入されるのでしょう(注6)?
本作に必要なのは、むしろ、楽団員同士の濃密な人間関係を描くエピソード(例えば、香坂と橘とのラブストーリー的なもの)ではないでしょうか(注7)?
ですが、映画で描かれているのは、楽団員の間での実によそよそしい人間関係にすぎないように思われます(注8)。
(3)本作は、音楽を巡る映画なので、素人の世迷い言ながら、音楽方面のことに少し触れてみます。
オーケストラの指揮者にまず必要なのは、入場料を支払っても構わないと聴衆が思えるようなレベルにアンサンブルを技術的に仕上げることでしょう。
この点で、天道は、個々の楽器について詳細な知識を身につけてもいて、各パートの技術的レベルの引き上げに成功していて、全体としてまずまずのレベルにあるように思われます。
ただ、プロの指揮者であれば、オーケストラが上手に演奏しましたね、というのは最低限のところであり、それだけでは済まないのではないでしょうか(注9)?
演奏者が自分で満足するのではなく、入場料を支払っている聴衆に、自分たちの音楽を聞かせなくてはならないものと思います。
そのためには、指揮者は、いったいどういう姿勢・考え方でもって「運命」や「未完成」に取り組んでいるのか、それを楽団員に十分にわからせて、実際の演奏において指揮者自身の「運命」や「未完成」を実現させる必要があるものと思います。
その点からすれば、本作における天道の描き方では不十分のような気がします(注10)。
(4)渡まち子氏は、「再結成した名門オーケストラの奮闘を描く音楽ドラマ「マエストロ!」。オーケストラやクラシックのトリビアが楽しい」として70点を付けています。
(注1)原作は、さそうあきらの『マエストロ』(双葉社)。
監督は、『毎日かあさん』(未見)の小林聖太郎。
脚本は、『バンクーバーの朝日』の奥寺佐渡子。
(注2)ラストで、指揮者の天道がコンマスの香坂に「天籟は聞こえたのか?」と問いますが、それに通じています(「天籟」は香坂の父が残した言葉。下記の「注7」にある「もがりぶえ(虎落笛)」にも通じているのでしょう)。
(注3)本作に出演する俳優は、実に多彩です。
すなわち、西田敏行(『武士の献立』や『終戦のエンペラー』)、松坂桃李(『万能鑑定士Q -モナ・リザの瞳-』)、miwa、古舘寛治(『シャニダールの花』)、濱田マリ(『はじまりのみち』)、河井青葉(『さよなら歌舞伎町』)、モロ師岡(『私の男』)、斉藤暁(『踊る大捜査線 The Final―新たなる希望』)、嶋田久作(『謝罪の王様』)、松重豊(『さよなら歌舞伎町』や『深夜食堂』)など。
(注4)グランドホテル方式については、『さよなら歌舞伎町』についての拙エントリの「注8」をご覧ください。
(注5)そういうことでいえば、店長の徹は、コンマスの香坂に相当するかもしれません。だとしたら、天道は、『さよなら歌舞伎町』では描かれていないラブホのオーナーに相当するのでしょう。
この点からしたら、『深夜食堂』の方が本作に類似しているといえます。
(注6)病床で香坂の父親が天道の指揮でヴァイオリンを弾き、それを天道の妻や幼い香坂が聞いていたというのが、復活コンサートの2日目における出来事の伏線になっているというのでしょうが、二つが合わさることで随分の“お涙頂戴”のシーンとなっているように思いました。
(注7)香坂は、マンションの一人住まいであり、橘はなぜか小さな舟の中で暮らしています(住むところがないので、天道に提供してもらったとのこと:それまではどこで暮らしていたのでしょうか?)。
そして、香坂は、何億円もするヴァイオリンを弾きながら橘のいる舟に行きます。

ただ、その時の会話は、橘の吹くフルートの音の素晴らしさを巡ってのもので、橘は「いつも思い出す音がある。もがりぶえ(虎落笛)って知ってる?震災の後に鳴っていた音」、「震災の後、焼け跡でお父さんの骨を拾った」、「音楽って切ない。今あると思っても、次の瞬間消えてしまう」等と話し、香坂は「でも、この世で一番美しいものは音楽だ」と答えます。
なかなか含蓄がある会話ながら、これではラブストーリー的な展開は望めないでしょう。
(注8)これらは最後には解消しますが、例えば、フルートのパートにおけるmiwaとモロ師岡とか、オーボエの小林且弥とクラリネットの村杉蝉之介との関係など。
(注9)劇場用パンフレットに掲載の「TRIVIA」には、「プロのオーケストラの定期演奏会は、3日ほどの練習で本番を迎えます」と述べられています。 本作の中央交響楽団は、その域まで達していないかもしれないとはいえ、元々プロの集団だったのですから、せいぜい1週間位の練習期間ではないでしょうか?
でも、本作では、演奏会まで1ヶ月位設けられています(劇場用パンフレット掲載の「STORY」には「復活コンサートは“わずか”1か月後」とあります!)。
加えて、映画で描かれる練習風景からは、アマチュアのオーケストラに毛の生えたレベルのような感じがしてしまいます(香坂が「これまで何度も演奏したことがある曲」と言っていたわけですから、「運命」の出だしが8分休符であることを今更注意されることなんてあるでしょうか?←尤も、この出だしこそが「運命」という曲の要なのかもしれません。例えば、このサイトの記事を参照してください)。
こんなオーケストラなら、潰れるのはあたり前ながら、本当にこれまで入場料を取る演奏活動をしてきたのか疑わしくなってしまいます。
この点に関し、優秀な演奏家は引き抜かれてしまい、残っているのはクズばかりだからとも考えられますが、オーケストラは皆で合奏するものですから、全体のレベルが重要のはずです。それに、現在はどのオーケストラの懐具合も火の車であって、優秀で能力があるからといって再就職先が簡単に見つかるとも思えません。彼らは「負け組」とされていますが、それは就活面だけのことであり、演奏面ではないのではないでしょうか(現に、コンマスだった香坂が「負け組」に入っているのですから)?
(注10)「運命」といった名曲には、過去の名指揮者による名演がいくつも録音されて残されています。そうした過去の蓄積に対して、天道は、どこに自分の独自性を出そうとしているのでしょうか?
実際には、映画で流されるのは、佐渡裕指揮のベルリン・ドイツ交響楽団が演奏したものであり、それを聞いて観客がそれぞれ判断すればいいことなのかもしれません。
でも、本作は、最後のコンサートに至るまでのオーケストラの舞台裏を描くものですから、そうしたことについての描写があってもいいのではないでしょうか?
★★★☆☆☆
象のロケット:マエストロ!
おっしゃる通りだと思いますが、踏み込むには時間が足りないでしょうなあ。やはり映画よりドラマ的な素材なのかもしれない。
「演奏」その物ではなく、ニアなところで、主人公の努力が不思議な力に連動してライブを成功に導く「アイカツ」は、不思議な力の内容が核心であるのにグレーにしておけるのだから、便利だよなあ、と余計な事を連想しました。
まあ、おっしゃるように、「踏み込むには時間が足りない」からこそ、これまで「指揮者」を中心に据えた映画があまり作られてこなかったものと思います(ただ、ネットで調べると、『歓びを歌にのせて』などいろいろありそうですが、映画的知識の乏しいクマネズミは、思い浮かびません)。
なお、「アイカツ」に関してはまったく何の情報も持ちませんでしたが、「ふじき78」さんは、『劇場版アイカツ!』をご覧になって、「見事に心が微動だにせずだ」との感想を書いておられますね!
映画荒筋喋るのは 映画ファンに対する冒瀆
映画ストーリー知って映画観に行きますか?期待感半滅
失礼ですけど文面読んでません 映画解説難しいですね
この作品は、各役者人が個性を発揮していましたね。そこに紅一点のmiwaちゃんが、なかなかいいアクセントになっていました。
音楽を扱っている作品は、いかに音楽の素晴らしさを表現できるかですが、これはその意味では満足でした。
西田ワールドでもありましたね。
さらに言えば、“文面読んでもいない”ものについて、どうして「映画荒筋喋る」と分かり、「映画ファンに対する冒涜」だと決め付けることができるのでしょう?「kaidou」さんは、エントリの表題さえ見れば、直ちにその内容まで透視できる能力をお持ちなのでしょうか、実に摩訶不思議なことです。
それでも実際のところは、拙エントリの「文面読んで」いらっしゃらないのでしょう。本当にお読みになっているのなら、拙エントリが「映画解説」など行っていないことをお分かり願えるはずですから。
そして、表題だけご覧になったということであれば、拙ブログの冒頭に「映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう」と掲げていることも、必ずや「kaidou」さんはスルーされてしまっていることでしょう!
ただ、こうやって続けていくと、『ビッグ・アイズ』に関する拙エントリに対する「おおはら」さんのコメントへのクマネズミの回答内容と全く同じこととなり、それでは繰り返すのも時間の無駄、時間を節約するためどうかそちらをご覧ください。
「どもこちらからはお返しができないみたい」とありますが、『サンバ』についてはTBをいただいておりますから、不思議ですね。
おっしゃるように、「紅一点のmiwaちゃんが、なかなかいいアクセントになっていました」が、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』のオーディションもを受けたことがあるという彼女は、これからも映画で活躍するのではないでしょうか?