映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

野火

2015年08月25日 | 邦画(15年)
 『野火』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)『鉄男』の塚本晋也監督の作品ということで、映画館に足を運びました。

 本作(注1)の冒頭では、小屋の中で分隊長(山本浩司)が田村一等兵(塚本晋也)を、「バカヤロー、食糧も集められない肺病病みを飼っておく余裕はない。防空壕は掘れるのか?無理だろ。分隊を離れろ!病院に行って来い」と怒鳴りつけています。
 曹長が芋をいくつか田村に渡して、「大事に持っていけ」と言います。
 そこで田村は、銃を担いでジャングルの中を一人で歩いていくことに。



 やっとの思いで病院が開設されている小屋にたどり着き、中に入ると、傷病兵が大勢苦しがっています。
 田村は、軍医に「肺が悪いために、分隊長から入院を命ぜられました」と申告し、食糧の芋を差し出します。
 ですが田村は、少しの間病院にいたものの、軍医から「原隊復帰だ。退院だ、出ろ!」と言われてしまいます。

 それで、場面は再び分隊の小屋。
 田村は、分隊長に、「なんで戻ってくるんだ、治っていないだろ、5日分の食糧を持っていったのだから、5日置いてもらえ!」と殴られます。

 そのことを病院で田村が軍医に言うと、軍医は「あんなの5日分とはいえない!」と殴られます。

 それでまたまた分隊に戻ると、分隊長は「帰れと言われて、帰ってくる奴があるか!どうやっても入れてもらえなかったら、死ぬんだよ。手榴弾があるだろ」と怒鳴ります。
 田村は、「病院に行ってまいります。入院出来ない場合は自決いたします」と言って、小屋を後にします。
 外で防空壕を掘っている兵士から、「そっちとこっちじゃ、どっちがいいかわかったもんじゃない」と言われます。

 こうして、田村はまたまた病院に行くのですが、はたして彼の前にはどんな運命が待っているのでしょうか、………?



 本作は、大岡昇平の原作を、現在の時点では望みうる最高のレベルで映画化したものではないか、当時のフィリピンの戦場の実態を描くものとしてはいろいろ問題があるのかもしれませんが、当該小説の醸し出す雰囲気を十二分に描き切っている優れた作品ではないか、と思ったところです(注2)。

(2)大岡昇平の原作小説の映画化については、先行作品として、市川崑監督の『野火』(1959年)があります。
 本作を見終わってから、TSUTAYAで1959年版のDVDを借りて見てみました。

 すぐに気が付くことは、『日本のいちばん長い日』の1967年版と2015年版の違いと同じように、本作はカラーですが、1959年版はモノクロですし、また1959年版の出演者は大層著名な俳優(船越英二ミッキー・カーチス滝沢修など)であるのに対し、本作はそれほどでもありません。

 さらに、冒頭部分を比べてみると、1959年版の場合、分隊長は田村を怒鳴る際に、「どうしてお前には、わが中隊の現状が飲み込めないのか」として、「タクロバン地区の敗勢を挽回するため、わが混成旅団は西海岸に敵前上陸してきた。その際、兵隊たちの3分の2は名誉の戦死を遂げた」云々と、客観状況を田村に向かって縷縷説明します。
 他方で、本作の冒頭部分では、(1)に記したように、そんな状況説明は何も行われません。
 確かに、1959年版の方が、観客にとってはずいぶんとわかりやすいとはいえ、原作小説にあっても、そのような客観情勢については地の文で行われているのであり(文庫版P.9)、実際の会話としては、本作の方がずっとリアルなものと考えられます(インテリの田村は、そんな事柄についてはよく知り抜いていることでしょうし!)。

 そういえば、田村が病院を離れて歩いている時に3人の日本兵(中の一人が中村達也)を少し離れたところに見つけますが、1959年版では、田村が「日本兵だ」とわざわざ口に出して言うのです(注3)。これも、内心そう思うとしても、そして観客にとってはわかりやすさを増すにしても、そばに誰もいない人間が口に出すことは考えられない台詞ではないでしょうか?

 総じて、1959年版は、観客に状況をわからせようといろいろ工夫がなされているように思えるのに対し(注4)、本作は、状況説明的なものは一切省いて、よりリアルな映像にしようと務めているように思われます(注5)。

 そうなるのも、1959年版の場合、ロケ地が日本国内であることは明らかですから(注6)、映像だけで状況を観客にわからせるのは難しいと考えられたのではないでしょうか?
 これに対して、本作の場合、「田村のみのシーンや実景のほとんどは、カメラマンら最小限の人数でフィリピン・ロケを敢行」して撮影されていますから(注7)、あえて状況を説明するまでもないと考えられたのかもしれません。

 このロケ地の問題ですが、1959年版を見た時に覚える違和感がこれに起因するように思います。出演者はそれぞれ皆一生懸命演じているにもかかわらず、全体としてなんだか空々しく感じてしまうのです。
 でも、あるいは、1959年版の場合、状況設定こそが重要で、その中で各人がどのように行動したかを離れたカメラの目で客観的に描いているように思えるために(注8)、ロケ地に余りこだわらなかったのかもしれません(注9)。

 これに対して、本作では、原作を読んだ時に印象に残ったこと(注10)を映像化しようとしているために、フィリピンでのロケこそが重要であり、その映像さえあれば、状況説明は不要と考えられたように思われます。

 他に、1959年版を見た時に印象に残る点は、船越英二が演じる田村の若さです。映画製作時、船越が35歳くらいですから、50歳台半ばの塚本晋也からすると20歳ほども若いのです。



 とはいえ、原作者の当時の年齢(35歳)とか当時の日本の兵隊の年齢の上限からすれば(注11)、1959年版の方がありうる姿と考えられるにもかかわらず、本作を見ると、塚本晋也が田村を演じたからむしろ良かったという感じになってしまうところが不思議です(注12)。

 それと、1959年版は、教会から逃げ去る青年が「私の覘いを避けるためであろう、S字を描いて駈けていた」(文庫版P.98)のをそのまま再現するほど原作に忠実でありながら、原作の末尾の「37狂人日記」~「39死者の書」のところはカットしてしまっています。
 こうすることによって、映画で描かれた物語が、主人公の妄想の産物であることの可能性がなくなってしまっているように思われます。
 他方、本作では、戦後田村が日本に帰還して、自宅でこの物語を描いている姿がラストで描き出されます。
 これは、「私がこれを書いているのは、東京郊外の精神病院の一室である」とする原作小説の設定(文庫版P.191)とは異なりますが、でも、原作小説にある「あるいはこれもすべて私の幻想かもしれない」とするフレーズ(文庫版P.203)が成立する可能性は残しているように思われます。

 全体として、クマネズミには、大岡昇平の『野火』の映画化としては、本作の方に軍配を上げたいなと思うところです。

(3)渡まち子氏は、「低予算の自主映画とは思えない強烈なインパクトを残す本作、戦後70年という節目の年だからこそ、この映画の底知れない恐ろしさ、戦争の狂気が胸に迫る」として70点をつけています。
 村山匡一郎氏は、「南方戦線での地獄のような過酷な現実はしばしば聞くところだが、本作はそんな狂気に満ちた戦争の実態を凝縮して描き出して心に響く。塚本監督のいつもの揺れ動く映像は抑えられているが、フィリピンや沖縄のロケ撮影による風景や暑さが効いていて、1つの世界に巧く仕立て上げている」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
 山根貞男氏は、「声高なメッセージを言葉で語る映画ではない。だが、非情に徹した描写の底から、静かな叫びが響いてくる。これが戦争だ、と。塚本をはじめ、リリー・フランキー、中村達也、森優作らが、鬼気迫る力演で不気味さを放つ。まさにその怖さが映画の核心を体現している」と述べています。
 砂川公子氏は、「元兵士の加害者の意識という心の内側にまで迫ったところに、塚本監督の独自の表現上の輝きがある」などと述べています。



(注1)製作・監督・脚本は、『KOTOKO』の塚本晋也
 原作は大岡昇平著『野火』(新潮文庫)。
 ちなみに、英題は「Fires on the Plain」

(注2)出演者のうち、最近では、塚本晋也は『KOTOKO』、リリー・フランキーは『トイレのピエタ』、中村達也は『るのうに剣心 京都大火編』で、それぞれ見ました。

(注3)その前の教会のシーンでも、入口の階段に死体がいくつも転がっているのを見て、1959年版の田村は「日本兵だ」と口にしますが、本作では死体の映像だけですから、観客にはどうしてそんなものがいくつも重なっているのかよくわからないままです。

(注4)また例えば、1959年版のラストには、「1945年2月 比島戦線」との字幕が映し出されます。

(注5)例えば、田村らの敗残兵たちが国道を越えてパロンポンに抜けようとして起きた戦闘場面に関し、1959年版では、国道を米軍が何度も行き交う様とか、国道前の沼地の様子などが予め俯瞰的に描き出され、その上での戦闘場面ですから状況がよく分かりますが(戦車が4両位出現し敗残兵をなぎ倒します)、他方本作においては、暗闇の中を兵隊たちが匍匐前進していると、突然サーチライトが照らされていきなり戦闘場面となってしまいます。敵側は描かれず状況が判然としないながらも、戦争のリアルな恐ろしさという点では本作の方が勝っているように思います。



(注6)風景や木々などが日本でよく見かけるもののように思われますし、雨も熱帯のスコールというよりは秋雨のような感じがします。どこがロケ地かはっきりしませんが、一部では富士山の裾野が使われているように思われます。

(注7)このインタビュー記事より。

(注8)この記事では、塚本監督は、「市川監督版のカメラは、主人公たちの心の中に迫っていくような感じだったので、自分が原作を読んだときに受けた印象のまま、挑んでみたいという気持ちがずっとありました」と述べています。
 確かに、1959年版では、例えば冒頭で、田村と分隊長の顔をそれぞれ長く大写ししたり、また所々で主人公のナレーションが入ったりします。でも、クマネズミには、「主人公たちの心の中に迫っていくような感じ」とまでは思えませんでした。

(注9)いってみれば、風景と登場人物とはなじまずに別物のように感じられてしまうのです。
 なお、ロケ地を国内にしたのは、単に、海外渡航の自由化(1960年)以前だったので、海外ロケが難しかっただけなのかもしれませんが。

(注10)塚本監督は、上記「注7」で触れたインタビュー記事に、「大自然の美しい描写と、その中で土色のドロドロとした愚かしい動きをしている人間の対比が、すごくくっきりと印象に残りました」と述べています。

(注11)Wikipediaの「召集」に関する項には、「1943年10月、兵役法改正により、徴兵による兵役の年限は従来の40歳までから満45歳になる年の3月31日までと延長された」と記載されています。

(注12)他にも、伍長役の中村達也は50歳ながら、当時40歳前の稲葉義男よりも様になっているように思いました
 なお、安田役のリリ―・フランキーは50台前半で、滝沢修とほぼ同年代です。



 この場合、1959年版の滝沢修が扮する安田は、いかにも意地悪そうな顔つきをしているがゆえに、部下の永松(ミッキー・カーチス)に人の行為を強いてもありえないことではないという感じがしますが、リリー・フランキーの安田の場合は、いかにも人が良さそうに見えるだけに、見ている方は常識が揺さぶられ一層恐ろしくなってしまいます。



★★★★☆☆




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6 コメント

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Unknown (ふじき78)
2015-08-26 01:28:59
「説明したい」と言うのが市川版なんじゃないでしょうか。何を説明したいのかと言うと、南方戦線での悲惨な兵士の境遇です。それは実際の兵士に語られる事が少なかったから。南方戦線での死因は補給線断絶による飢餓・傷病が大半と聞きます。映画内での米兵との交戦はダメ出しみたいな物で、「野火」のコアは行進の中、精根尽き果てて死んでいく戦いにすらならない死者の群れなのではないか。それはカラフルな南方の島だから起こった悲劇という訳ではないので、私自身は市川版のロケーションは全然、気になりませんでした。どちらかと言うと、市川版では、何万、何十万と死んでいそうなのに、塚本版では百人くらいしか死んでなさそうなところが気になりました。
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Unknown (クマネズミ)
2015-08-26 07:20:20
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
クマネズミも、おっしゃるように、「「説明したい」と言うのが市川版」ではないか、ですから、「市川版では、何万、何十万と死んでいそう」に見えるのではないか、と思います。そして、「南方戦線での死因は補給線断絶による飢餓・傷病が大半」だということを描く意義は、終戦から10年ちょっとの時点である1959年当時はずいぶんとあった、と思います。
ただ、今では、インパール作戦などを描いている本とか映像はずいぶんと出回っていますし(1985年の市川崑監督の『ビルマの竪琴』など)、また例えば藤原彰著『餓死した英霊たち』(2001年)では「全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと計算。さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけた」とされています。
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html
そうしたことを踏まえると(更に、戦場を具体的に体験した人の数がずっと少なくなってしまった現在)、悲惨なレイテ戦を客観的に解説している市川版よりも、その場にいた一兵士の目が個人的にリアルに捉えたものを描き出そうとしている塚本版の方に意義を認めたくなってしまいます。とりわけ、本作は、熱帯雨林の中で田村が見たせいぜい「百人くらいの死」を描いているがために、観客はむしろリアルさを感じるのではないかと思いました(熱帯雨林は、ブラジルでも見ましたが、まさに「カラフル」ながらも実りが何もない不毛の感じで、日本の豊かな森の様子とかなり違っているように思います。そうしたこともあって、塚本監督がフィリピン・ロケを敢行したことは正解なのではと思っています)。
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Unknown (ふじき78)
2015-08-26 23:25:05
著述レベルで、餓死者が多くを占めたといっても、一般レベルでは現在でもほとんど知られていないのではないかと思います。一般的に戦争で負けるのは銃撃戦など戦って負けるというイメージであり、戦う事すら許されず、ただただ死んでいくというイメージは一切ないのではないでしょうか? それが真実に近いにもかかわらず。

これはスキズキになってしまうのかもしれませんが、私が市川版を推すのは、市川版の負け方死に方の方がより、ぶざまだからです。敵とは戦いにならず、自国からは補給も届かず、ただ飢えて死んでいく。そしてそれか大半。これはぶざまだ。塚本版では「リアル」な銃撃が与えられる為、恩恵のように一瞬、ぶざまでなくなってしまう。

また、レイテから生き残った人はその引き上げ船への旅程内で数万もの打ちひしがれた死体を見るのだから(映画内の田村は途中で米兵にピツクアップされてしまうが)、数万人もの死体を「説明」ではなしに、絵として見せる事がリアルだったのではないでしょうか。そういうのが見たかった。
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Unknown (クマネズミ)
2015-08-27 06:19:54
「ふじき78」さん、再度のコメントありがとうございます。
ただ、揚げ足取り的になり申し訳ありませんが、例えば、「戦争で負ける」こととは、 原爆とか空襲でおびただしい非戦闘員(総力戦の場合意味がある概念なのかよくわかりませんが)が一度に死んだこと(「戦う事すら許されず、ただただ死んで いくというイメージ」が伴うのではないでしょうか)だと思う人も、日本にはずいぶんといるのではないでしょうか?
また、「塚本版では「リアル」な銃撃が与えられる為、恩恵のように一瞬、ぶざまでなくなってしまう」と述べておられますが、銃撃によって「一瞬、ぶざまでなくなってしまう」のは、市川版における戦闘場面においても同様ではないでしょうか?
違いは、その戦闘場面を、市川版のように引いて俯瞰的・マクロ的に撮るのか、塚本版のように近接してミクロ的に撮るのかという点ではないでしょうか?
それに、塚本版においても、国道を巡る戦闘の後で田村が森の中をさまよって歩くシーンでは、「ただ飢えて死んでいく。そしてそれか大半。これはぶざま」と いった様子が、むしろ市川版よりも克明に描かれているように思います(伍長の中村達也の体にハエがたくさんたかっていたりするなど)。
また、「数万人もの死体を「説明」ではなしに、絵として見せる事がリアル」とありますが、市川版にしても、いくら比喩にせよ、それほど大量の死体を画面に映し出しているわけではありませんし、大量死を感じさせるものでもないのではと思いました。
つまらないことをくだくだしく申し上げて恐縮ながら、要すれば、どちらの作品がリアルなのかということなのかと思いますが、そしてこれは見解の相違になると思いますが、クマネズミとしては、塚本版によりリアルさを感じたところです。
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徹底比較! (とらねこ)
2015-09-08 15:22:30
こんにちは。
市川版との比較を徹底的に検証していらっしゃいますね。
特に原作のラストについては、市川版も塚本版もその違いが明確にありますが、
こちらに関する明確な分析が見事でした。
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Unknown (クマネズミ)
2015-09-08 21:55:06
「とらねこ」さん、コメントをありがとうございます。
今週の日曜日にBS朝日で放映された「ザ・インタビュー」に塚本晋也監督が出演されていて、何度も読んでボロボロになった原作の文庫版をインタビュアーのヤン・ヨンヒ氏に見せていましたが、あそこまで読み込んだ上での本作なのだな、とつくづく思いました。
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