映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

鈴木先生

2013年01月31日 | 邦画(13年)
 映画『鈴木先生』を渋谷TOEIで見ました。

(1)原作の漫画(武富健治作)やTVドラマが色々の賞を受賞していることを耳にし、にもかかわらず事前には漫画もTVドラマも見ないまま、映画館に出かけてみました。

 物語は、三鷹市立のある中学校のあるクラス(2A)とその担任で国語教師の鈴木先生長谷川博巳)を巡って展開されます。



 冒頭に「Lesson11」と表示されることから分かるように、映画はTVドラマで描かれたLesson1~10に引き続くものとされています(注1)。
 といって、話は映画だけを見ていても相当程度理解できるように作られています。

 映画で描かれるメインの学校行事は、学年末に行われる生徒会役員選挙。
 その選挙に向けてクラス2Aでは二人が生徒会長に立候補するところ、そのうちの出水はそんなことをするタイプではないと皆から思われていたため、鈴木先生は、彼の立候補の裏には何か魂胆があるなと睨みます。
 案の定、立会演説会で出水は、この選挙のシステムはおかしい、「ふざけた投票をしない、棄権をしない、公正な選挙を」という学校側が決めた常識的なルールは間違っている、と爆弾発言をします。
 そればかりか、投票日には、別の大事件が持ち上がります。
 同校OBのユウジ風間俊介)が、2Aのクラスの女生徒小川土屋太鳳)を人質にとって、とんでもないことをしようとします。
 さあ、小川は大丈夫でしょうか、鈴木先生はどう対応するでしょうか、生徒会役員選挙の結果は、……?

 本作では、現在の公立学校で問題とされるような事柄(いじめ、不登校、暴力行為、モンスター・ペアレントなどなど)はほとんど取り上げられず、その結果、熱血先生の活躍とか生徒同士の友情などといったこれまでの学園物におきまりのシーンは描かれません。
 それらはあるいはTVドラマの方で取り上げられたのかもしれませんが、むしろそうした要素がなくとも学園物が成立することを示している点で、本作はかなりユニークな作品といえるでしょう。

 主演の長谷川博巳は、『セカンドバージン』でミソをつけた感じですが、本作では、観念的で妄想癖がありながらも生徒たちには強く慕われている教師という実に難しい役柄を、上手にこなしていると思いました。
 また、小川役の土屋太鳳も、中学2年生でありながら鈴木先生の妄想の対象になるなど、これまた大変難しい役柄を目覚ましい演技力でこなしていて、これからが期待されます(注2)。




(2)とはいえ、本作の場合、ラストの方で、文化祭にクラス2Aが行う演劇が驚いたことに『ひかりごけ』であることが唐突に、それもごく簡単に示され、また鈴木先生が「俺たちは全身全霊で教師を“演じていく”」などと言ったりします。
 こうなったのも、本作が依拠している原作漫画の第8巻~第11巻で取り上げられている三つの大きな出来事の内の際立って重要と考えられる演劇関係の部分が、本作ではその扱いが随分と後退させられているため(にもかかわらず一部分が残されています)、と思われます。

 この点について、このインタビュー記事では、河合勇人監督の話しとして次のように述べられています。
 監督が脚本の古沢良太氏と打ち合わせを行った際、原作漫画には「演劇篇選挙篇立て篭もり事件と大きな柱があって、どれをやろうかという話から入」り、「最初僕は演劇篇をやりたいと言っていたんです。でも、演劇篇は大変だろうとなって」、「古沢さんが、選挙篇と立て篭もり事件の根っこの部分のテーマがうまく貫けるんじゃないかというアイディアがでてきて、演劇篇は背景として成立させようと。とにかくこれで鈴木先生をやれるのも最後なので、なんとか全部を描きたいなということで今回の劇場版の形になりました」。

 確かに、出水は、学校側が決めた常識的なルールはおかしいと演説しますし、また、OBのユウジも、今の社会に対する恨み辛みを叫びます(注3)。
 どちらも、社会の基盤的な事柄に対する挑戦という点では類似しているといえるかもしれません。
 ですが出水の発言は、投票率が低い場合の記名投票に反対しているだけで(注4)、選挙システムそのものを批判しているわけではありません(注5)。
 また、OBのユウジが小川を人質に取って主張していることも、独りよがりな内容で上滑りしているように思えます(注6)。

 いうまでもなく、「選挙篇」は随分と分かりやすい話しですし、「立て篭もり事件」は映画的に盛り上がる内容と言えます。
 とはいえ、この際、「演劇篇」をも前面に出して、なぜ鈴木先生は、わざわざ古色蒼然とした『ひかりごけ』をクラス演劇の演目として取り上げたのか(注7)、その練習・上演を通じて生徒たちは何を学んだのか、各人がそれぞれの「役割」を演じるとは具体的にどういうことなのか(注8)、といったこともあわせて描き出してほしかったな、そうすれば、ラスト辺りのシーンもわかりやすくなり、本作全体もより一層ユニークなものとなるのかな、と思いました。
 尤も、そんなことをしたら上映時間が3時間を越えてしまでしょうが!

(3)渡まち子氏は、「独自の理論で教育に取り組む教師と生徒たちの学園ドラマ「映画鈴木先生」。“普通の危うさ”に着目する発想が鋭い」として50点をつけています。



(注1)Lesson1~10の話の中身については、このサイトにある程度記載されています。
 例えば、映画でははっきりと分からなかった鈴木先生の教育メソッドに関しては、「鈴木先生は、この2年A組で自分なりの教育理念を試す実験をしようとしていた。一見普通に見える生徒たちほど心の中には鬱屈したものを抱えていると感じる鈴木先生は、「大人しくて優等生が多いクラスはつまらないクラスになり、不良や問題児がいてこそクラスは活性化する」――そんな教育現場の常識を打ち破り、彼らの心の中を改革することにより、理想のクラスを作り上げようとしていたのだ。その為にはクラスの中心にスペシャルファクターが必要であり、それが小川蘇美だった」と述べられています。

(注2)土屋太鳳は、すでに、『トウキョウソナタ』に出演し、また『日輪の遺産』でも「スーちゃん」という重要な役をこなしています。
 なお、『ふがいない僕は空を見た』の田畑智子が、鈴木先生の同僚の教師役で出演していますし、また、2Aの生徒達が演劇の稽古をしている西公園にたむろするユウジとミツルのうち、ミツルに扮しているのは、以前『婚前特急』に出演していた浜野謙太

(注3)ユウジは、「中学の頃が一番楽しかった」、「しかし、先生の言う通りにやって社会に出たら、俺たちはまるで使い物にならなくて、どこにも居場所がなかった」、「純粋でまじめな生徒は、社会に出たら淘汰される」、「この子たちはまだ間に合う」、「だから、その前にこの子たちを汚してやる」などと主張します。
 元々ユウジは、友達のミツルがDVによって逮捕されたのも、西公園の喫煙所が撤去されそこから締め出しを食ったせいで、そうなったのは云々ということで犯行に及びます。

(注4)一般の選挙において無記名投票とされるのは、投票の秘密を確保するために、むしろ当然のことではないでしょうか?その意味から、投票率が低かったら記名投票にするという学校側の方針(富田靖子演じる足子先生が提案し、職員会議で了承されました)こそ、常識に反していると思われます。
 なお、出水には、小学校の学級委員の選挙が記名投票方式にされたために、子役として知られていたものが当選し、学級委員に選ばれたがっていた友人が落選してしまい不登校になってしまったという経験があったようです。

(注5)現に出水は、生徒会長選挙に立候補しているわけですし、それに勝利すると、最初の内は渋っていたものの(選挙を批判するために立候補したのであり、会長なるつもりはないとして)、結局は会長に就くことを承諾するのです。

(注6)社会に自分の居場所がないわけを自分を棚に置きながら学校のせいにするのは、喫煙年齢に達した大人がすることではないように思われます。
 それに、映画ではよくわからなかったのですが、原作漫画によれば、ユウジは大学を中退しているようです。とすると、なぜ中学教育にばかりそんなに恨みを抱くのかよく理解できないところです。

(注7)『ひかりごけ』は、武田泰淳による1954年の短編小説。戦前の1944年に起きた「ひかりごけ事件」に依拠しています。
 同作は短篇小説ながら、後半部分が二幕物の戯曲形式で書かれており、さらに前半部分には、ひかりごけ事件を最初に「私」に話をする「中学の校長」が登場します。
 こんなところから、あるいは鈴木先生は演目として着目したのかもしれません。
 とはいえ、なにせ60年ほども前の作品であり、作中で「私」が「この上演不可能な「戯曲」」と述べているほどのシロモノなのです。中学校のクラス演劇の演目として鈴木先生がこの作品を取り上げる理由を、是非とも明らかにしてもらいたいものです〔なお、原作漫画の第10巻では、この作品は「我々が現代の今!日常的に犯しがちな逃れがたい愚かで悲しい罪…業について寓話として象徴的にかつ同時に生々しく描き切っている」と述べられていますが(@神の娘「その12」)、酷く抽象的です←もしかしたら、戯曲の中の配役の行動が、それを演じる2Aの生徒の行動とダブってくるのかもしれません(例えば、「私は我慢しています」「よく私を見てください」という台詞!)。そうだとしたら、原作漫画は大層高いレベルを追及しているといえそうですが!〕。
 尤も、三条会という劇団が、ここ10年以上この作品を上演しているようですし、1955年にこの作品を上演した劇団四季も、創立60周年を記念して再演するというニュースがあることはあるのですが!

(注8)映画の前半部分で、鈴木先生が、「演劇を真剣に学ぶことは有意義だと思う」、「俺は教師を演じている」「おのおのが役割を演じて成り立っている部分もある」などと教室で語ったりしますが、とってつけたような感じが否めません。




★★★☆☆



象のロケット:鈴木先生


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