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『深夜食堂』を渋谷TOEIで見てきました。
(1)『夏の終わり』の小林薫が主演の作品というので映画館に行ってきました。
本作(注1)は、路地裏にある食堂「めしや」が舞台。
営業時間は夜12時から朝7時頃まで、メニューは「豚汁定食、ビール、酒、焼酎」。
そんな店には、曰くありげなマスター(小林薫)が一人いて、「勝手に注文してくれりゃあ、出来るもんなら作るよ」と言っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/17/25d967c5927911670173041b309c1bbc.jpg)
映画の中では、「ナポリタン」、「とろろご飯」、「カレーライス」というタイトルを持った3つのエピソードが、この「めしや」で展開されます。
例えば、「とろろご飯」は、空腹のあまり無銭飲食をしてしまったみちる(多部未華子)が、暫くの間「めしや」の手伝いをすることになるお話。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b0/41c659083b1f10877f1ff9daaf4a13cf.jpg)
マスターの痛めた手が治るまでということで、食堂の2階に住み込むことになったみちるですが、なかなか腕がよく、「めしや」に馴染んできます。
そうしたところに、男(渋川清彦)が、「いい店だね。探し回ったよ」と言いながら「めしや」に入ってきます。男は、みちるの故郷の新潟からやってきたとのことで、彼女とは因縁がありそうです、さあどうなるのでしょうか………?
本作は、路地裏の食堂を舞台に3つの人情話を描き出したもので、良く言えば「心を優しく癒して小腹をほっこりと満たす味な物語がスクリーンに広がる」(注2)でしょうが、傾向が似ているような話が多い感じがしますし(注3)、また今更の昭和レトロの味付けがいささか濃い目ではないかと思いました(注4)。
(2)本作は、場所がラブホテルから飯屋に変わっただけで、ツイ先日見た『さよなら歌舞伎町』とほとんど同じ雰囲気を持った作品といえそうです。
まずは、Wikipediaの「深夜食堂」によれば、食堂「めしや」があるのは「新宿・花園界隈」とのこと(注5)。
それより何より、小林薫扮する飯屋のマスターが、まさにラブホテルの店長(染谷将太)に相当するでしょう。
また、それぞれのエピソードで顔を出す巡査の小暮(オダギリジョー)とか忠さん(不破万作)のような常連客などは、ラブホテルの従業員(南果歩ら)でしょうし、本作で描かれる3つのエピソードは、ラブホテルの各部屋で展開されるお話であり、各エピソードに登場する「めしや」のお客(高岡早紀など)は、ラブホテルの各部屋で蠢くお客(村上淳など)に該当するのではないでしょうか?
そんなところから、本作は、『さよなら歌舞伎町』と同じグランドホテル方式による作品と言っても構わないと思います(注6)。
とはいえ、『さよなら歌舞伎町』では、店長の徹の過去がある程度明らかにされるのに対して、本作の「めしや」のマスターの経歴については一切何の説明もありません(注7)。
マスターは本作の主役なのでしょうが、各エピソードの場を提供しているだけであり、いわば“狂言回し”なのでしょう(注8)。
マスターのみならず、他の登場人物についても、その過去はあまり描き出されません。
ただ、2つ目のエピソード「とろろご飯」では、みちるが玉子焼きにまつわる幼い頃の思い出を語ります(注9)。
また、3つ目のエピソード「カレーライス」では、福島の被災地にボランティアとして行っていたあけみ(菊池亜希子)を巡るお話が綴られていて、この点は、『さよなら歌舞伎町』でも店長の徹と妹・美優(樋井明日香)とが塩釜出身とされていることと通じ、時代性を感じさせます(注10)。
『さよなら歌舞伎町』を先に見たばかりというタイミングが悪かったのかもしれませんが、この映画にあまり新鮮味を覚えませんでしたし、その上、全体の雰囲気が昭和レトロといったものなので(注11)、『さよなら歌舞伎町』のように爽やかさを感じ取ることはできませんでした。
(3)渡まち子氏は、「繁華街の一角にある小さな食堂に集う人々の人間模様を描く「深夜食堂」。素朴で懐かしい料理の数々が魅力的」として65点を付けています。
佐藤忠男氏は、「実際にはなかなかそんな店はないと思うが、社交下手な日本人としては、そんな場がほしくて深夜の食堂や酒場に幻想を抱く。そんなささやかな夢としてよく出来た映画だと思う」と述べています。
(注1)元々漫画(安倍夜郎の『深夜食堂』)が原作で、それがTVドラマとなり、そして今回の映画公開に至ったものながら、クマネズミは、漫画もTVドラマも見てはおりません。
監督は、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007年)の松岡錠司(TVドラマの『深夜食堂』の監督も)。
(注2)劇場用パンフレット掲載の「イントロダクション」より。
(注3)本作で描かれる3つのエピソードは、どれも男女の関係に関わるものですが、どれも皆別れ話なのです〔例えば、最初の「ナポリタン」では、はじめ(柄本時生)がたまこ(高岡早紀)にあっさりと捨てられてしまいます〕。
そういえば、最後に出てくる骨壷を巡る話も(下記の「注6」をご覧ください)、亡くなった夫にまつわるものです。
ただ、新橋の料亭の女将(余貴美子)とマスターとの関係は例外なのかもしれません。
(注4)俳優陣については、最近では、小林薫は『春を背負って』や『夏の終わり』、高岡早紀は『花宵道中』、柄本時生は『幕末高校生』、多部未華子は『源氏物語―千年の謎―』、余貴美子は『寄生獣』、菊池亜希子は『わが母の記』(彼女は、『森崎書店の日々』が印象的でした)、田中裕子は『共喰い』、オダギリジョーは『渇き。』、渋川清彦は『外事警察』で、それぞれ見ています。
なお、『さよなら歌舞伎町』で見た松重豊や、『幻肢』の谷村美月もちょこっと顔を出しています。
(注5)本作の冒頭でも、靖国通りを西から走ってきた車がJR線の大ガード下を潜って東側に出て、左側に歌舞伎町のネオンサインを見ながら進んでいく様子が映し出された後、マスターのいる食堂「めしや」が描き出されます。
(注6)グランドホテル方式については、『さよなら歌舞伎町』についての拙エントリの「注8」をご覧ください。
なお、本作の3つのエピソードはどれも「めしや」で語られるものなので、決してバラバラとは思えませんが、さらに統一感を持たせるためでしょう、冒頭で「めしや」に置き忘れられた「骨壷」については、第1話「ナポリタン」では、派出所に届けられ、第2話「とろろご飯」では、再びマスターが警察から持って帰ってきて「めしや」の2階に安置し、第3話「カレーライス」では、マスターが寺に納めた後に本当の持ち主(田中裕子)が現れます(田中裕子の最後のセリフは、なんだか新劇じみていましたが!)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/24/09e707a8b225be9831022d35501c4e59.jpg)
(注7)マスターの顔の左側に大きな切り傷があるにもかかわらず。
(注8)ただ、マスターの醸しだす雰囲気がこの作品全体の雰囲気を決定していますから、劇場用パンフレットに掲載のインタビューで、小林薫は「マスターはお話ごとに登場するゲストの話を聞くだけ、脇役に徹している」と述べているとはいえ、決して「脇役」ではなく主役であることは間違いないでしょう。
(注9)この話は、『さよなら歌舞伎町』において、雛子(我妻三輪子)が正也(忍成修吾)に語る子供の頃の話にあるいは通じるのかもしれません。
(注10)東日本大震災の取り上げ方は大層難しいものと思います。『さよなら歌舞伎町』では取って付けたような感じがしましたし、本作でも、なぜ3.11と結び付くのか、特に、その災害で妻を亡くした謙三(筒井道隆)が、なぜそんなにあけみを求めるのか、にもかかわらず最後はどうしていともあっさりと東北に帰っていくのか、よくわかりませんでした(謙三が求めていたのは、やっぱり愛する妻であって、あけみはその単なる身代わりにすぎなかったということが、自分に納得できたというわけでしょうか)。
(注11)特に、「めしや」のすぐ側に設けられている派出所の外観は、現在の「KOBAN」よりもかなり古い時代のものではないでしょうか?
劇場用パンフレットに掲載されているインタビューで、美術の原田満生氏は、「昭和の香りは絶対に必要だと思い、壁や建具、色は意識しています」と述べています。
でも、話の時点は現在なのですから(壁に貼られている値段表は昭和のものでしょうか?)、描き出される人情などは昭和的だとしても、セットをわざわざ昭和的なものにする必要性があるのでしょうか(『さよなら』の舞台となるラブホテルは、昔のものではなく、回転ベッドなど置いていない現在のものとなっています)?
★★★☆☆☆
象のロケット:深夜食堂
(1)『夏の終わり』の小林薫が主演の作品というので映画館に行ってきました。
本作(注1)は、路地裏にある食堂「めしや」が舞台。
営業時間は夜12時から朝7時頃まで、メニューは「豚汁定食、ビール、酒、焼酎」。
そんな店には、曰くありげなマスター(小林薫)が一人いて、「勝手に注文してくれりゃあ、出来るもんなら作るよ」と言っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/17/25d967c5927911670173041b309c1bbc.jpg)
映画の中では、「ナポリタン」、「とろろご飯」、「カレーライス」というタイトルを持った3つのエピソードが、この「めしや」で展開されます。
例えば、「とろろご飯」は、空腹のあまり無銭飲食をしてしまったみちる(多部未華子)が、暫くの間「めしや」の手伝いをすることになるお話。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b0/41c659083b1f10877f1ff9daaf4a13cf.jpg)
マスターの痛めた手が治るまでということで、食堂の2階に住み込むことになったみちるですが、なかなか腕がよく、「めしや」に馴染んできます。
そうしたところに、男(渋川清彦)が、「いい店だね。探し回ったよ」と言いながら「めしや」に入ってきます。男は、みちるの故郷の新潟からやってきたとのことで、彼女とは因縁がありそうです、さあどうなるのでしょうか………?
本作は、路地裏の食堂を舞台に3つの人情話を描き出したもので、良く言えば「心を優しく癒して小腹をほっこりと満たす味な物語がスクリーンに広がる」(注2)でしょうが、傾向が似ているような話が多い感じがしますし(注3)、また今更の昭和レトロの味付けがいささか濃い目ではないかと思いました(注4)。
(2)本作は、場所がラブホテルから飯屋に変わっただけで、ツイ先日見た『さよなら歌舞伎町』とほとんど同じ雰囲気を持った作品といえそうです。
まずは、Wikipediaの「深夜食堂」によれば、食堂「めしや」があるのは「新宿・花園界隈」とのこと(注5)。
それより何より、小林薫扮する飯屋のマスターが、まさにラブホテルの店長(染谷将太)に相当するでしょう。
また、それぞれのエピソードで顔を出す巡査の小暮(オダギリジョー)とか忠さん(不破万作)のような常連客などは、ラブホテルの従業員(南果歩ら)でしょうし、本作で描かれる3つのエピソードは、ラブホテルの各部屋で展開されるお話であり、各エピソードに登場する「めしや」のお客(高岡早紀など)は、ラブホテルの各部屋で蠢くお客(村上淳など)に該当するのではないでしょうか?
そんなところから、本作は、『さよなら歌舞伎町』と同じグランドホテル方式による作品と言っても構わないと思います(注6)。
とはいえ、『さよなら歌舞伎町』では、店長の徹の過去がある程度明らかにされるのに対して、本作の「めしや」のマスターの経歴については一切何の説明もありません(注7)。
マスターは本作の主役なのでしょうが、各エピソードの場を提供しているだけであり、いわば“狂言回し”なのでしょう(注8)。
マスターのみならず、他の登場人物についても、その過去はあまり描き出されません。
ただ、2つ目のエピソード「とろろご飯」では、みちるが玉子焼きにまつわる幼い頃の思い出を語ります(注9)。
また、3つ目のエピソード「カレーライス」では、福島の被災地にボランティアとして行っていたあけみ(菊池亜希子)を巡るお話が綴られていて、この点は、『さよなら歌舞伎町』でも店長の徹と妹・美優(樋井明日香)とが塩釜出身とされていることと通じ、時代性を感じさせます(注10)。
『さよなら歌舞伎町』を先に見たばかりというタイミングが悪かったのかもしれませんが、この映画にあまり新鮮味を覚えませんでしたし、その上、全体の雰囲気が昭和レトロといったものなので(注11)、『さよなら歌舞伎町』のように爽やかさを感じ取ることはできませんでした。
(3)渡まち子氏は、「繁華街の一角にある小さな食堂に集う人々の人間模様を描く「深夜食堂」。素朴で懐かしい料理の数々が魅力的」として65点を付けています。
佐藤忠男氏は、「実際にはなかなかそんな店はないと思うが、社交下手な日本人としては、そんな場がほしくて深夜の食堂や酒場に幻想を抱く。そんなささやかな夢としてよく出来た映画だと思う」と述べています。
(注1)元々漫画(安倍夜郎の『深夜食堂』)が原作で、それがTVドラマとなり、そして今回の映画公開に至ったものながら、クマネズミは、漫画もTVドラマも見てはおりません。
監督は、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007年)の松岡錠司(TVドラマの『深夜食堂』の監督も)。
(注2)劇場用パンフレット掲載の「イントロダクション」より。
(注3)本作で描かれる3つのエピソードは、どれも男女の関係に関わるものですが、どれも皆別れ話なのです〔例えば、最初の「ナポリタン」では、はじめ(柄本時生)がたまこ(高岡早紀)にあっさりと捨てられてしまいます〕。
そういえば、最後に出てくる骨壷を巡る話も(下記の「注6」をご覧ください)、亡くなった夫にまつわるものです。
ただ、新橋の料亭の女将(余貴美子)とマスターとの関係は例外なのかもしれません。
(注4)俳優陣については、最近では、小林薫は『春を背負って』や『夏の終わり』、高岡早紀は『花宵道中』、柄本時生は『幕末高校生』、多部未華子は『源氏物語―千年の謎―』、余貴美子は『寄生獣』、菊池亜希子は『わが母の記』(彼女は、『森崎書店の日々』が印象的でした)、田中裕子は『共喰い』、オダギリジョーは『渇き。』、渋川清彦は『外事警察』で、それぞれ見ています。
なお、『さよなら歌舞伎町』で見た松重豊や、『幻肢』の谷村美月もちょこっと顔を出しています。
(注5)本作の冒頭でも、靖国通りを西から走ってきた車がJR線の大ガード下を潜って東側に出て、左側に歌舞伎町のネオンサインを見ながら進んでいく様子が映し出された後、マスターのいる食堂「めしや」が描き出されます。
(注6)グランドホテル方式については、『さよなら歌舞伎町』についての拙エントリの「注8」をご覧ください。
なお、本作の3つのエピソードはどれも「めしや」で語られるものなので、決してバラバラとは思えませんが、さらに統一感を持たせるためでしょう、冒頭で「めしや」に置き忘れられた「骨壷」については、第1話「ナポリタン」では、派出所に届けられ、第2話「とろろご飯」では、再びマスターが警察から持って帰ってきて「めしや」の2階に安置し、第3話「カレーライス」では、マスターが寺に納めた後に本当の持ち主(田中裕子)が現れます(田中裕子の最後のセリフは、なんだか新劇じみていましたが!)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/24/09e707a8b225be9831022d35501c4e59.jpg)
(注7)マスターの顔の左側に大きな切り傷があるにもかかわらず。
(注8)ただ、マスターの醸しだす雰囲気がこの作品全体の雰囲気を決定していますから、劇場用パンフレットに掲載のインタビューで、小林薫は「マスターはお話ごとに登場するゲストの話を聞くだけ、脇役に徹している」と述べているとはいえ、決して「脇役」ではなく主役であることは間違いないでしょう。
(注9)この話は、『さよなら歌舞伎町』において、雛子(我妻三輪子)が正也(忍成修吾)に語る子供の頃の話にあるいは通じるのかもしれません。
(注10)東日本大震災の取り上げ方は大層難しいものと思います。『さよなら歌舞伎町』では取って付けたような感じがしましたし、本作でも、なぜ3.11と結び付くのか、特に、その災害で妻を亡くした謙三(筒井道隆)が、なぜそんなにあけみを求めるのか、にもかかわらず最後はどうしていともあっさりと東北に帰っていくのか、よくわかりませんでした(謙三が求めていたのは、やっぱり愛する妻であって、あけみはその単なる身代わりにすぎなかったということが、自分に納得できたというわけでしょうか)。
(注11)特に、「めしや」のすぐ側に設けられている派出所の外観は、現在の「KOBAN」よりもかなり古い時代のものではないでしょうか?
劇場用パンフレットに掲載されているインタビューで、美術の原田満生氏は、「昭和の香りは絶対に必要だと思い、壁や建具、色は意識しています」と述べています。
でも、話の時点は現在なのですから(壁に貼られている値段表は昭和のものでしょうか?)、描き出される人情などは昭和的だとしても、セットをわざわざ昭和的なものにする必要性があるのでしょうか(『さよなら』の舞台となるラブホテルは、昔のものではなく、回転ベッドなど置いていない現在のものとなっています)?
★★★☆☆☆
象のロケット:深夜食堂
私は原作を摘み読みしてる感じなんですが、読み切り連載されるエピソードの大半が男と女の出会いとか別れみたいな話ばかりです。あまり浮世離れした話にも出来ないから、ある意味、いつもと同じ王道の話を持ってきたのかもしれません。
クマネズミは原作漫画もTVドラマも見てはおりませんから、傾向が似ているような話が多い感じがしましたが、原作においても「読み切り連載されるエピソードの大半が男と女の出会いとか別れみたいな話ばかり」であれば、そうなってしまうのも仕方がないところですね。