半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

今年も仕事が出来ました

2023年12月27日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今年最後の、「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 今年もこれで最後の野菜ボックスとなります。私は12/30(土)に自然薯掘りがあり、それが今年最後の仕事となります。みなさんは各家々で家族全員揃って年末年始を過ごせる予定でしょうか?。欧米は家族を大切にする文化が残っていますが、今の日本は個人の時間を優先するようになってしまいました。私もその口で、大学生の時は先輩の家で大晦日を過ごす事が多かったのですが。子どもが大きくなるとなかなか一緒に過ごせなくなりますので、出来る間は是非、家族一緒に過ごして下さいね

 さて、みんなの農村ネットワークを設立したのが2011年の原発事故の年でしたから、先月、13年目に突入しました。たまに「何年やっているんですか?」と聞かれて答えると「10年以上、凄いですね」と言われます。そう言われると「あぁ、そうか、そのぐらいやってきたんだな~」と気づかされます。

 仕事とは良く言ったもので「事に仕える」、つまり仕事があることで何があろうと働く事が出来ます。私は個人事業主として自分で仕事を創ってきたわけですが、その積み上げてきた仕事に従事することでご飯を食べられる。そして、ご飯が食べられる仕事が10年以上続いているのは、当然ご縁の力が大きいわけで、有り難いことだな~と感謝の念が沸くのです

 本来、人の仕事は食うためのもの、暮らすためのものでした。というか動物全般は巣作りとエサを手に入れるのが生きる事=仕事です。人間はそこに衣が入り衣食住となりますが、特に日本では弥生時代以降は農耕を中心に田畑をし、家を代々で守り継ぎ、麻や綿で衣類を作り、冬はワラ仕事、という感じで暮らしてきました。

 農家の根本さんのお話では「親父の時代は、宴会の際にお金より米俵を持って行った方が喜ばれた、なんて言ってたよ」と聞きます。農村でお米よりお金が主となってきたのは戦後しばらくしてからなわけで、それまではお金よりお米の方が貴重だったわけです。我が師匠の高柳さんからは「大工の棟梁の1日仕事は米2升。親戚で冠婚葬祭があったら何かと入り用になるから米を持って行くのが普通だった。だから、どの家もそういったいざという時のためにお米を貯蔵していたな」という話も聞きます。仕事の対価がお米なわけですから、「仕事をすれば食っていける」という事が直接的にわかりやすい時代だったのでしょうね。

 今はお金を手に入れて自分の好きな事をすれば良い、という観念が広がり、仕事そのものに価値を置く人、あるいは食べ物が手に入ることの有り難さ、家族の為に食事を提供する事の価値など、仕事や生活全般を滞りなくきちんと行う事そのものに価値を見いだせない人が増えていると思います。

 もちろん、今の若い子は地球環境問題や社会的価値が感じられる仕事への関心が私の世代よりよっぽど高く、凄いな~と思います。

 ただ、仕事の本質は自己実現や社会貢献と言った心高鳴る言葉を感じられるものだけでなく、やはり、きちんと生活をしていくためのもの、食べていけるためのものだと思います。その当たり前の事が当たり前に出来る事で人間が磨かれますし、仕事や日常に感謝が出来ると生活に根が張れるので、ずっしりと生きて行けると思うのです。

 そういった事を学べたのも私が農に携わる仕事を10年以上やって来れたからで、有り難いな~と思う事が出来ます。そして、そういったことをこれからも出来る範囲でご縁が繋がった人に届けていく事が私の仕事だと思っています。

 ということで、来年も引き続きのおつきあいを宜しくお願い致します。それでは、どうぞよいお年をお迎えください

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