半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

東城先生、さようなら、ありがとうございました

2020年02月24日 | 自分の時間

昨日、知り合いから「東城先生が土曜日に亡くなったそうですよ」と教えて頂きました。

ついに、その時が来たんだな~と。

東城百合子さんは「あなたと健康」を45年以上に渡って書き続け、また、「自然療法」でも有名な先生です。

大体、オーガニックの子育てママさんは「自然療法」は大体知っているのですが、私もその程度でした。

 

やはり、きちんと学ぶのは、体を壊してみないとなかなか出来ないと思うのです。

私が東城先生を「心の師」として仰ぐようになったのは、やはり、自分の体を壊してしまったから。

農作業のやりすぎで、死にかけたと思うのですが、一度、壊した体はそうは簡単には戻らない。

毎朝、体調が良く目覚める事が出来ない。

人間、それが半年、1年続くと、「どうして自分はこうなってしまったんだろう?」と悲観的になります。

幸い、私はどんなことでも「これが人生の流れで、そうなる意味がある」と思える人間だったのですが、それでも1年の内に体調が良い日が数えるぐらいしかないと、なかなかつらいものです。

お酒も飲めない、電車でちょっと出かける事も、体調を考えると出来ない。

そういった「日常が普通に送れない」という苦しみは、実体験した人でないとわからないものなのです。

そういった時に、ガンや家庭内不和や先天性の病気など、様々な問題を抱えている人達へ発する東城先生の言葉がグッと心に刺さったわけです。

私がやっている「食と命の教室」に、「あなたと健康社の教室」に通っていた方が何人か来た時期があり、それを機に私も月刊誌をとるようになりました。

ちょうど、我が家の奥様が更年期障害真っただ中で、罵詈雑言をこれでもか、と吐かれ続けて顔面けいれんにもなりましたが、そういった「苦しみ」も含め、毎月の月刊誌の言葉で「何があってもいいのよ、そこから学べば」というところで、自分の心をリセットしてきました。

月刊誌の読書は、ほとんどが女性のため、「旦那が浮気している」とか、「姑も私の事をちっともわかってくれない」というのがありますが、東城先生は大正時代の人で、命の根源を常に目を向けながら生きていくことの大切さを伝えている方だったので「そういった原因があなたにあるの!」と叱咤します。

生活をきちんとしない、家に笑顔で帰って来れるような家庭にしていない、お天道様が家にいなくなっては、誰もが帰ってきたがらない。

祖先があって今の家があることをわかっていない、家事も手抜き、掃除も洗濯も料理も「面倒くさい」で、生活の基礎が出来ていない。

そして極めつけは、お天道様があって初めて私たちは生かされている、という命の重みを知らない。

だから挨拶が出来ない、手抜きばかりする、悪いのは周りばかりで自分の生活、生き方を省みない。

そういった人たちを叱咤激励してきました。

また、病気もそういった命の根源を大切にしない生き方=根から出た「枝葉に過ぎない」という指導で、病気になる人は、「根性が悪い」、と叱咤します。

東城先生の根性というのは、一般的なガッツとかの根性ではなく「性根」のことです。

暴飲暴食で、食べもの1つ1つがお天道様の恵みで感謝して食べる、ということをせず、自分の好きなものを好きなように食べる。

生活も不規則で、感謝の無い、自分中心の生き方。

そういった人は神経も詰まるし、病気にもなる、と。

そして、東城先生の指導を受けて、本当に自分を省みた人は、天に召されるのも天命、病気が治るのも天命、ただ、自分がきちんと自然に感謝して生きていけるようになりたい、と自分の生活を省みて、生活を整え、周りに感謝し、誠実に生きる事をし始めるのです。

私もそういった学びを頂いて、自分のぶれる心を整えてきました。

 

また、著書の「マイナスもプラスで生きる」という本を愛読しています。

東城先生の半生を記した本ですが、読む度に「あぁ~、昔の人はなんて凄い生き様なんだろう。自分はなんて小さな人間なんだろう」と涙がこぼれる内容です。

凄まじい生き方で、とても私の世代では考えられない生き方をしてきました。

戦後、しばらくたってから、沖縄はアメリカ文化に侵されてスパムやステーキ肉や清涼飲料が普及し、病人が大量発生しながらも外国同然だった沖縄では健康保険も無く、どうにもならない状況でした。

そこに裸同然で飛込み、「沖縄の人を救うため」と、健康運動を始め、病院にもかかれない人たちを野草や伝統的料理を取り戻せば元気に戻れる、という事を始め、その輪は沖縄全土に広がり、学校給食まで変えるに至りました。

その後、旦那が外に女性を作って家出。しかし、その原因を自分に求め、旦那の家系が一家離散や離婚が多いことを知り、それを自分で止めないと罪のない子にもその血筋が残る、と、先祖供養をし、墓を建て、旦那にそれまで築いてきたものを全て渡し、10年ぐらい経って旦那が急死した後は、億単位の旦那の借金も自分で背負って返済。

病気で困っている人がいれば自然療法を教え、自然の力を取り戻す価値を伝え、お料理教室も始め、今に至ります。

最初は「自然療法の先生」と思っていましたが、結局、それは表面的な捉え方であって、「人はどうやって生きるべきか」という、生き方の教祖だったと思うのです。

私は良く書いていますが、90歳代の著名な方の生き方は、まるで今と違っていて、感服してしまうのです。

高柳さんの師匠の無着成恭さん、命のスープの辰巳芳子さん、東城先生、といった方々は、我々のような「自分のために」という発想では無いのです。

私はこの数年で、「やっぱり、人が生きる目的は、誰かの役にたつこと」という事が明確にわかりました。

大きく言えば「社会のため」です。

もっと具体的に言えば「子ども達のため」です。

それは自然界の動植物、全ての共通目的です。

それを人間だけが、自分の快楽や自分の事を中心に起きたがる。

でも、昔の偉い人はそうではなかった。

そして、「生きる事=どう死んでいくか」という事も日本人には伝統的な考えがあった。

「徳を積んで、人様の役に立って天に還っていく」という考えです。

私は農の世界に入って、深い学びを得ているのは、平均年齢70歳を超す農家さん達が普段の会話で「俺もそろそろお迎えが来るな(笑)」と平然と死を口にしている事です。

じいさん、ばあさん、親戚が死ぬ、というのは1年に何回もある当たり前のこと。

死ぬことはタブーではなく、「俺ももうそろそろだな」という事が当たり前に口に出来ること。

逆に言うと、私は親父の死しか立ち会った事がないのですが、「あぁ、死ぬのは当たり前なんだな」と初めて「昔の農村の生と死の捉え方」に触れる事が出来ました。

そして、「あぁ、こういった農家さん達が沢山死んでいくこと事を体験させてもらえるのだな」と思うのです。

死んだ時に、人は初めて「どう生きたか」がわかります。

そういった事を考える人は私の年代では珍しいのかもしれませんが、まあ、昔は40代は家督を譲る年代でしたから、昔はそう珍しくは無かったんじゃないかな、とは思います。

そういった「生き方、死に方」を考えを教えて頂いたのも東城先生でした。

多くの病人や苦難をもった方々を導いてきたその東城先生も、ついに「天に還っていった」わけです。

いつ死んでもおかしくないお年でしたが、やはり「立派な生き方だった」と心から思うのです。

東城先生とはどちらかというと紙面を通じてのご縁でしたが、死してなお言葉は残っているわけで、これからも学び続けていきたいと思います。

師がいる人生ほど有難いことは無いです。

ご縁を有難うございました。

ご冥福をお祈りいたします。

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