半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

日本人のルーツ

2023年12月19日 | 自分の時間

忙しい日々が続いていますが、ふと、「予定が入っちゃうかな」と思っていた今日、予定が入らなくなったので、気を張っていたのがゆるんで、少し心に余裕が出来ました

人って、忙しい時に入るかもしれないと思っていた予定が入らないだけで、忙しいのは変わっていないのですが、少し気持ちにも余裕が出るものなんですね~。

 

そんなこんなで、久々にTVのお話。

NHKの「フロンティア」という番組で「日本人とは何者なのか」という回があり、録画して見て見ました。

いや~、面白い

何が面白いかというと、「日本人のルーツの常識、定説が覆った」という話なのです。

まあ、興味がある人は「面白い、凄い」となるのですが、そうじゃない人にとってはどうでも良い内容なのでしょうね

 

日本人のルーツというのは、渡来人だ、というのが定説です。

アフリカから見たら東の果てである日本大陸。そこに長い時間をかけて大陸に住んでいた人達が移り住んできた。その達が縄文人のルーツ。ここに3000年前に稲作の文化と技術をもってやってきた新たな渡来人が弥生人で、その混血が今の日本人だ、という事ですね。

ここで言う「人達」というのは、一定のDNAをもっている集団、つまり1つの民族、文化、言語をもっている集団なわけです。

この定説が覆ったわけです。

ここ3~4年のDNA分析機械の精度向上で、昔の人骨の化石からDNAを一部ではなく網羅的に分析、解析出来るようになったそうです。

そこでわかったのが、縄文人のDNAは、今、大陸に住んでいるどの集団のDNAとも合わない、特殊な位置にいる、ということがわかったそうです

 

まず、現代人を遺伝的特徴で分けられる集団、中国人少数民族(ダイ族)、ベトナム人(キン族)、南中国人、中国人(北京)、ベトナム人、モンゴル人といった人達、つまり一定のDNAの特徴をもった人達で分析すると、少しずつDNAが違っているので、ある意味、近縁性が規則的だそうなのです。

ということは、今までの説が正しければ、こういった大陸の人達と日本人のDNAも近縁性がわかりやすくある、というがDNA分析で読み取れるはず、遺伝的に似ているということがわかるはず。

ところが、今の日本人は今の大陸の人達とは全く違うグループとなっている。周辺国の人達と異なるDNAをもった特異なグループだそうです。

あれ 大陸の人達が移り住んで来たんじゃなかったの?じゃあ、今の日本人のルーツは

となると、縄文人と呼ばれている人達だろう、ということになるわけですが、じゃあ、その縄文人はどういった人達なの?という疑問が生じます。

そこで、最新のDNA解読が出来る機械によって、古代人、ホアビニアンという、2~3万年前に東アジアに到達した人達がいるのですが、その人達の化石のDNAが分析して解読が出来るようになって、この人達の一派が縄文人である、という事がわかったそうなのです。

ホアビニアン文化、狩猟・採集をして暮らす文化をもっていた東南アジアなど初期に住み着いていた人達がいたわけです。

もっと遡ると、20~30万年前にほぼサピエンスがアフリカに誕生し、6~7万年前ぐらいから西アジアに出てきて、ヨーロッパの方に行ったグループと東に向ったグループに分かれました。

東に向ったグループは北のルート、もう1方は南ルートでインドを通って4~5万年前に東南アジアに到達した。数万年栄えたホアビニアン。しかし、その後に、大量の農耕民が入って来て、そのホアビニアンというDNAはほぼなくなってしまったそうです。

しかし、農耕民族が入ってくるその前に東南アジア北上した人達がいて、その1グループが日本列島に辿り着いた。

つまり、アフリカから東アジアへ3万年前に辿り着いた最初の人達が、縄文人の祖先だった。というわけです。

「凄いフロンティア精神があった人達なんだろう」、と学者はいいますし、その最初の規模は計算上「1000人ぐらいだった」と言います。

少し話がずれますが、天皇家の系統の学者の竹田さんの本を何年か前に読んだ時に、「日本の独自の文化は無くて大陸からやってきた人達が住み着いたのが日本人だというけど、いやいや、まだ文化というのが無い時代に日本に来た人達がいて、その人達が日本人になった、つまり日本のルーツは大陸では無く日本なんだ」と書いてあったのを思い出しました。まさにその通りだったわけですね

この縄文人の祖先のDNAを今でもアイヌの人達は7割、沖縄の人達は3割、東京の人達は1割、受け継いでいるそうです。

2万年前、縄文時代以前は氷河期で、北海道は大陸と繋がっており、対馬海峡も今よりずっと狭かった。それが氷河期が終わると海面は100m以上上昇し、大陸との遺伝的交流が極端に減って、独自の真価、独自な文化を創っていった。それが縄文文化であり縄文人と呼ぶわけです。つまり、大陸とは関係が無いDNAグループが独自文化を1万年以上かけて創っていった、という事です。

一方、その頃に農耕が起こり、大陸では人の移動、DNAの交雑もどんどん行われていった。世界的にも閉鎖された、独自のDNAと文化が育まれていった。それが縄文人、という事なのです。

 

なんか、江戸時代に鎖国がありましたが、これは自然環境による鎖国のようなものですよね。面白いですね~

 

さて、ここまで読んでいる人は暇なのか、この話が面白い、と思える人なので、さらなるお話を。

TV番組的にはもう1つの「定説がひっくり返った」というお話をしていました。

 

「今」の日本人のDNAの定説は、学者的には「2重構造モデル」というもので、大陸からやってきた人達が日本に住み着き、それが縄文人になり、その後に弥生時代に大陸からやってきた人達、つまり大陸系弥生人が混ざって今の日本人になった、と言われてきました。つまり2重構造なわけです。

ところが、DNAを調べてみると、確かに弥生時代は「縄文人のDNA6割ぐらい+弥生人のDNA4割ぐらい」となっているのが、現代人には7割ぐらいがこの2つのDNAとは違う謎のDNAが含まれている。これは

 

そして、最新の分析をしてみると、古墳時代に入り、文字や製鉄、機織りの技術をもっていた人が、渡来してきたけど、それは少数だった、というのが定説だったのですが、それが間違いで、どうやら、実際はそれよりはるかな規模の人数がやってきた、というのがわかったわけです。

具体的には古墳時代を調べたら、今の私達の日本人のDNAとほぼ同じで、第三のグループのDNAが6割ぐらいを占めている、という事なのです

番組では、大陸では漢、三国志時代などずっと戦乱の世で、それを逃れて日本にかなりの規模でやってきたと予想していました。

ということで、これは「三重構造モデル」なわけです。

じゃあ、その第三のグループはどこからやってきた人達なの?と調べてみたわけです。

すると、弥生人は北東アジアからの遺伝子が多い。ところが、古墳時代の渡来人は東アジアから、つまり今までとは異なるグループがやってきたらしい、ということがわかりました。

 

これによって二重構造モデルではなく、大陸の広い地域から様々な渡来人がやってきて、様々な人種が混血し、今の日本人に至る、という流れがわかったわけです。

 

結論、として「日本人のルーツ」は

・アフリカから一気に日本列島に来て住み着いた「縄文人」のDNA、氷河期が終わり海で大陸と隔てられて、1万年以上もの間、孤立し、独自の文化を形成した縄文人。

・北東アジアから稲作文化を持ってやってきた渡来人である「弥生人」DNAが半分ぐらい混ざり、稲作文化も根付いた。

・そして、古墳時代、つまり3世紀~7世紀半ば、各地に権力者によって大きな古墳が作られた時代、それは東アジアからやってきたグループのDNA。

 

この混血の古墳時代のDNAが現代人とほぼ近いDNAの比率であり、第3の人達が大きな割合を占めている、という事だったわけです。

 

学者さんが言っていたのが面白かったのですが、「今、研究費をもらったらやりたいのは、古墳時代の研究。そこが日本の基盤が出来上がってきたところだから」と。なるほどね~。

今までとは全く違うグループ、というか、日本人の縄文DNAと弥生DNAを一気に塗り替えていったグループがいるわけで、そこがDNAだけでなく、文化、国家という形を作っていったグループなわけですからね。

そして、「古墳時代は、姿形、言語、文化も違う今以上にバラバラな人達が混ざりあっていた時代であった」というのは、なるほどな~と思います。

もの凄い広い地域のもの凄い人達の数のDNAがミックスされている。そうなると、じゃあその「古墳時代にやってきた第三のグループはどこから来た人達なの?」という疑問が湧きます。もっといえば、「農耕民族の弥生人もそのルーツはどこなの?」という疑問が湧きます。

そうなると、結局はアフリカまで遡る事になるわけですよね~。

面白いですね~

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 農家の出張もちつき | トップ | 野菜ボックスを通じたご縁に感謝 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自分の時間」カテゴリの最新記事