半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

王子~戸田公園~大宮へ

2023年04月28日 | 自分の時間

月に1度のお出かけday。今年は月1回東京とかに出かけようというモードなのです。

さて、今日は農業界では超老舗の「現代農業」を編集している農文教へ行ってきました

昨年、自然薯掘りで知り合った方が釣りで有名な方で、その方に打診してもらった後、あれやこれやと連絡を続け、「情報交換」という事でお時間をようやく頂いたのでした。まずは種蒔き、ご縁作りから。

以前は赤坂にあったのですが、昨年に戸田にオフィスも移転したばかり。また、編集の現場を垣間見たのですが、若い女性も結構多く、若手も多い感じ。現代農業は老舗なのですが、スタッフは思ったよりフレッシュな感じでした


農文教は戸田にあって、時間が午後からだったので、早めに家を出てどこか行こうと考え、何となく十数年ぶりに降り立ったのが王子駅。飛鳥山公園というところが面白そうだったからで、直感で降りてみました。

すると、渋沢栄一を前面に押し出していてびっくり。この前の大河ドラマで町おこしをしたのかも知れませんね。無理に漫画化していましたが、まあ今の時代なんでしょうね。

そして近くの飛鳥山公園に行ってみると、都会のオアシスという感じで新緑が気持ち良い

また、博物館が3つあったのですが、その1つにぶらりと入ったら、ドナルド・キーンさんの小さな展示があって感動

詳しくは知らないのですが、もともと日本の文学を日本に紹介していた先駆けで、2011の原発事故で外国人が海外に脱出しているさなか、「日本人に帰化します。少しでも日本人に勇気を与えたい」となった方。猛烈に感動してからファンなのです

展示によると、古本屋で出会った紫式部の翻訳に衝撃を受けたのが日本にあこがれをもち始めたきっかけ。頭が良くずっとクラス1位で、飛び級飛び級で16歳で大学に入り、大学では友達から「とても面白いよ」と紹介してもらった日本思想史を選択。ところが、日米の関係が悪化していく中で、受講生が自分1人だった。それでもその先生は「1人いれば十分です」と言って授業をしてくれたそうです。

その後、戦時中は翻訳官として従軍し、捕虜になった若い将校が「生きている意味が無い」というので、「戦争が終わったら一緒に新しい日本を作っていきましょう」と生きがい、勇気づけをしていたそうです。

戦後、日本に渡り、半分は日本、半分がアメリカの大学の授業という生活を数十年。川端康成、芥川龍之介、有吉佐和子などと交流し、日本の文化、思想、文学を欧米に伝える活動をし続けました。特に「へ~」と思ったのが、三島由紀夫が割腹自殺する前に、3人に手紙を送った1人で、「名前どほり魅死魔幽鬼夫(みしまゆきお)になりました」書いたそうで、遺作の翻訳版を発刊して海外に伝えてもらいたい、という思いを遺したそうです。

96歳まで長生きされて、最後は養子縁組した方が今はキーンさんの財団を引き継いでいるそうです。

また、その博物館の1階では、地元に愛されたスーパーの長い歴史を「チラシ」をもとに振り返る展示がやっていました。面白いですね~

 

また、農文教の後、さらに大宮まで足を伸ばして縄文神社の1つである氷川神社へ行ってきました。たまたま図書館で見つけた「縄文神社」という本が読みやすく、そこに載っていたからです。

「縄文神社」というのは、著者が名付けた「縄文時代も祭祀の場であったであろう、今も残る神社」で、縄文時代は今とは違った海岸で、例えば千葉県であれば香取神宮、埼玉であれば氷川神社など、どこも目の前が海で、そこに岬のようにたっている場所で、そこには湧き水があって、人の暮らしがあって、神社の境内や周辺からその証拠として縄文遺跡が発掘されているところ、みたいな定義です。

で、戸田に行くなら行ってみようと。

大宮は昔、良く降り立った駅ですが、まさか近くにあんなに大きな神社があるなど知りませんでした

大宮駅から少し歩くと、参道があるのですが、都会の喧噪から切り離されたような、道路沿いの家々も大きいのですが静かなたたずまいで、幼児連れのお母さんが参道を通り過ぎる時にちゃんとおじぎをしていたし、ジョギングをしている人も門ではちゃんとおじぎをしていて、「あ~、神社が生活に溶け込んでいるな~」と感心しました

さて、本殿などあまり私は神社仏閣は写真を撮らない主義なのですが、まずあった「さざれ石」は面白かったです。君が代の「さざれ石」の産地から持ってきたようです。これがさざれ石なんですね~。

また、その近くに「戦艦武蔵」の碑がありました。武蔵のお祓いをしたのが氷川神社だそうで、艦内にも氷川神社の分社があったそうです。

そして、左奥にある「蛇の池」が一番の見所と本には書いてあって観にいきました。そうしたら、近くにお住まいで良く来る方が「ここが開放されたのはここ数年なんですよ~」と教えてくれました。それまでは入れなかったそうです。

氷川神社は本殿まわりが盛り上がって円形、あるいは馬の蹄型で、その真ん中の広場、今の本殿あたりで祭祀をしていたようです。また、神社の目の前まで海が来ていたそうです。そしてここの蛇の池は縄文時代から霊泉だったという説も。全体的に整っていてきれい過ぎる感じでしたが、社叢(神社の森)はとても気持ち良かった

 

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