石川です。
ミオスの本棚にアンドリュー・ワイエスという作家のカタログ画集がわりと多くあるということで、この作家を例に挙げて、今回は具象画・抽象画のあいだについて少し考えてみます。
一般的にワイエスはスーパーリアリズム(超写実主義)の作家として知られています。「え?これ描いたの?写真じゃなくて?」と思うようなデッサンや水彩画、テンペラ画を数多く残しているためです。
しかし、ワイエス自身は「周りの人々は自分のことを描写主義と言うけど、正直私自身は抽象画家だと思っている」と言っていたそうです。(言い方は微妙に違うと思いますが)
そもそも絵というものを物質的なレベルで見ると、抽象画と具象画は画面全体が筆の動きと絵の具の質感で出来ているという点で共通しています。 ワイエスはその共通点を熟知し、一歩引いた目線を持っていたように思います。だから具象と抽象の境界を自由にコントロールできたのでしょう。(たまに一見しただけでは抽象画にしか見えない作品もあります)
作品の近くに寄って見てみると、絵の中に描かれている植物は、画面上では植物であると同時に、ただ絵の具を引っ掻いた跡でしかなく、抽象画の様です。それらの様々な痕跡は、絵にリズムを創りだし、鑑賞者の視線を誘導します。そして、それら集積された痕跡は、鑑賞者の頭の中で風景や植物に変換されるという仕組みになっているのです。
言ってみれば、ワイエスは鑑賞者がその痕跡を植物だと感じたときに初めて植物の絵になるという状態を描いているのです。
ワイエスの作品はあくまでその「状態」を提示していて、判断は鑑賞者ができる余地を残しているのが作品の魅力となっているのだと思います。
なんかややこしい話になりましたが、ワイエスの画集は本棚に置いてあるので、是非一度、画集を手に取ってみてください。そして「ふーん。」と私が言ったことはサラッと流してくださいまし。