駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

十年は一昔

2010年08月26日 | 医療
 医学は日進月歩で診断治療が精度と成果をあげている。こうした科学に基づく技術的な進歩だけでなく、患者さんへの対応も変わってきた。患者さんを患者さまなどと呼び変えることは進歩でもない枝葉末節のことと思うが、診療情報の公開は明らかな前進だと考えている。勿論、良いことばかりではなく不要な摩擦や差別を生んでいる側面はある。これは医療に限らず世の変化に付きまとうもので、情報公開を阻むものとはならないだろう。
 診療情報公開が最も端的に感得されるのは癌告知だ。三十年前は癌は告知せず、隠すのが一般的で患者も医師もあいまいなまま、その話題には触れないように最後まで終始することが多かった。それが今では進行癌でも告知するのが一般的になっており、患者さんが総合病院の帰りに当院に寄り、「抗癌剤が効かなくなってね」。などと、切々とあるいは淡々と話される。
 癌告知は医師が予想したほどの混乱をもたらすことなく受けいれられ行き渡っていると感じる。それには癌を告知しないと言っても多くはわかっておられたということ、癌が不治の病でなくなったこと、有名人や近親者の対応で学ぶことがあったことなどさまざまな要因があると思う。
 癌告知の評価は数百字で出来ることではなく、否数千字でも困難なことで、結局は個別の私的な事柄として一般化はできないと思われるが、実際面での医療側の負担は大いに軽減された。病名を隠す必要がなく、治療方針も克明に説明でき、患者さんの意向を汲むのも容易になった。その分、医師が患者を気遣う部分に多少不具合がでてきているかもしれないが、まあそうしたことについてはここでは意を尽くせないので書かない。
 長く臨床をやり、時折振り返ると変わらぬ部分もあるが、隔世の感があるというのが正直な感想だ。
 
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好守備も必要

2010年08月25日 | 診療
 内科系の町医者は半径2kmに三分の二の患者さんが居る。勿論、10km先から物好きと言っては失礼だが、医者が気に入ったか受付が気に入ったか看護師が気に入ったか遠路はるばる来られる方も少しは居られる。
 ご近所だと待合室で顔見知りに会うことが結構ある。話に花が咲いてひとしきり話し込んで行かれる中高年女性も多いのだが、注意しなければいけないのは「あんた、何処が悪い」。という詮索だ。笑って誤魔化すのが一番だが、食い下がるしつこい人には「ちょっと、血圧で」。とぼんやり答えるのが賢い。その辺は負けず劣らすのおばさん達なので心得ている。大声なのでしばしば私にも聞こえるのだ。
 図々しいおばさんは診察室に入るなり声を潜めて「あの人、何処が悪い」。と聞いたりする。「ええ、ちょっと」。と誤魔化すこともあるし、まともに「そういうことは教えられないことになっているんですよ」。と答えることもある。多少硬い言い方でも、こうしたおばさんには角が立たない。何たって神経が太い。
 気を付けなければいけないのは名人芸だ。高熱が出たと呼ばれ往診に行ったはいいが、路地裏で駐車スペースがなく困っていると、どこから現れたかおばさんがこっちと誘導してくれる。「ありがとうございました」。と車を降りてお礼を言う擦れ違いざま、患家に顔を微かに傾げ「悪いの」。と聞く。うっかり答えてしまいそうになるが、こちらもベテラン「あーどうも」。と誤魔化して通り過ぎる。
 
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碁の不思議

2010年08月24日 | 人生
 囲碁将棋は相撲と並んで大切な日本文化だ。相撲の凋落を見ると囲碁将棋も心配になる。まだ一部の愛好家の間で根強い人気を保ってはいるが、将棋センターや碁会所は減っていると聞く。中高年の客が主体で子供達は居なそうだ。そうした場所に通う子供が減っても、普通の子供達に普及していれば衰退の心配はないのだが、実態はどんなものだろうか。
 碁はともかく将棋は我々の時代(半世紀前)は誰でも知っていた。様々な効用は二の次で風物として子供の知識として囲碁将棋が行き渡っていて欲しいと願う。勝ち負けに無用な価値を与えたり、知能ゲームのようにもてはやすのは良い普及とは思われない。そうした付加価値など無しに、ただきちんと楽しく伝えて欲しい。面白さは自然にわかる。オンライン対戦も良いけれど、実際に碁石や駒を握って相手の息が聞こえる実戦をするのが子供の遊びと思う。
 先日、NHKの碁で小林光一と趙治勲の対戦を見た。碁は不思議な競技で、将棋と違って失敗が成功の元になることがしばしばある。
 碁は陣取り合戦なのだが、右下隅の陣地を取られた趙さんが完敗と思いきや、取られた陣地が心理的実践的に活用され、あれれ終わってみれば完敗が完勝というような妙なことになってしまった。趙さんはぼやきで有名なのだが、何処までが本当のばやきだったか。戦後の検討で何喰わぬ顔の小林光一氏も内心は憮然としていたのではないか。
 年を取ると将棋から碁に移行する人が多いと言うが、損失や失敗が無駄に終わらず、少なくもなにがしかの慰藉をもたらすところが、全か無で鋭く厳しい将棋よりも年を経た人間の心に叶うのだろうと思う。
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猛暑対策

2010年08月23日 | 旨い物
 僅かに朝夕涼しくなったとはいえ、無茶苦茶な暑さが続いている。暑い夏を乗り切るには鰻とカレーが宜しいと言われているので?、私も鰻重を十日に一回、カレーを週一回くらい食べている。カレーなぞ、好きな人は毎日食べているかもしれない。
 残念ながら此処は美味いと言うカレー店が当地にはないので、殆どタイカレー時々ビ-フカレーを食している。鰻は名古屋方式(当地に一軒のみ)を探し出して、その店で鰻重時々ひつまぶしを頂いている。
 カレーは自分で作った方が旨いんだが、このところ週末に用事が入り作る暇がない。
 鰻は子供の頃から食べ慣れているせいか、名古屋方式の蒸さない芳しい歯ごたえのある鰻が好きで、これが一番美味いと思っている。友人知人に紹介すると、成る程美味いとファンになる方が多く、この頃は大繁盛で待たされることもしばしばになった。嬉しいけど、秘密にしておけば良かったかとちょっと複雑な心境だ。
 未だ東北の鰻は食べたことはないが、九州の鰻は柳川と佐伯で食べた。関東式に蒸してあるようだが、ちょっとタレが濃いめで、洗練されていないが情は濃い感じだ。これはこれで美味しい。
 まあ、どの方式が美味いなど、お互いに譲らぬ譲れぬ好みで言い募ってもきりがないが、ただひつまぶしだけは由緒正しく芳しい名古屋方式の蒲焼きでないと美味しくないと、断言しておこう。
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梅、竹に松も

2010年08月23日 | 町医者診言
 こんな事を書くとふざけている言われそうだ。
 65歳以上を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と扱ってきたが、最近どうもこれでは不十分というか納まりが悪い感じがしている。大体丼物には松竹梅とある。75歳以上を中期高齢者とし、85歳以上を後期高齢者としたらどうかと思う。
 三段階はなじみやすいし、75歳くらいではまだまだお元気な方も多いからめい案かもしれない。
コメント (4)
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