医学は日進月歩で診断治療が精度と成果をあげている。こうした科学に基づく技術的な進歩だけでなく、患者さんへの対応も変わってきた。患者さんを患者さまなどと呼び変えることは進歩でもない枝葉末節のことと思うが、診療情報の公開は明らかな前進だと考えている。勿論、良いことばかりではなく不要な摩擦や差別を生んでいる側面はある。これは医療に限らず世の変化に付きまとうもので、情報公開を阻むものとはならないだろう。
診療情報公開が最も端的に感得されるのは癌告知だ。三十年前は癌は告知せず、隠すのが一般的で患者も医師もあいまいなまま、その話題には触れないように最後まで終始することが多かった。それが今では進行癌でも告知するのが一般的になっており、患者さんが総合病院の帰りに当院に寄り、「抗癌剤が効かなくなってね」。などと、切々とあるいは淡々と話される。
癌告知は医師が予想したほどの混乱をもたらすことなく受けいれられ行き渡っていると感じる。それには癌を告知しないと言っても多くはわかっておられたということ、癌が不治の病でなくなったこと、有名人や近親者の対応で学ぶことがあったことなどさまざまな要因があると思う。
癌告知の評価は数百字で出来ることではなく、否数千字でも困難なことで、結局は個別の私的な事柄として一般化はできないと思われるが、実際面での医療側の負担は大いに軽減された。病名を隠す必要がなく、治療方針も克明に説明でき、患者さんの意向を汲むのも容易になった。その分、医師が患者を気遣う部分に多少不具合がでてきているかもしれないが、まあそうしたことについてはここでは意を尽くせないので書かない。
長く臨床をやり、時折振り返ると変わらぬ部分もあるが、隔世の感があるというのが正直な感想だ。
診療情報公開が最も端的に感得されるのは癌告知だ。三十年前は癌は告知せず、隠すのが一般的で患者も医師もあいまいなまま、その話題には触れないように最後まで終始することが多かった。それが今では進行癌でも告知するのが一般的になっており、患者さんが総合病院の帰りに当院に寄り、「抗癌剤が効かなくなってね」。などと、切々とあるいは淡々と話される。
癌告知は医師が予想したほどの混乱をもたらすことなく受けいれられ行き渡っていると感じる。それには癌を告知しないと言っても多くはわかっておられたということ、癌が不治の病でなくなったこと、有名人や近親者の対応で学ぶことがあったことなどさまざまな要因があると思う。
癌告知の評価は数百字で出来ることではなく、否数千字でも困難なことで、結局は個別の私的な事柄として一般化はできないと思われるが、実際面での医療側の負担は大いに軽減された。病名を隠す必要がなく、治療方針も克明に説明でき、患者さんの意向を汲むのも容易になった。その分、医師が患者を気遣う部分に多少不具合がでてきているかもしれないが、まあそうしたことについてはここでは意を尽くせないので書かない。
長く臨床をやり、時折振り返ると変わらぬ部分もあるが、隔世の感があるというのが正直な感想だ。