駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

政治知らんぷりの政治人

2010年08月10日 | 世の中
 NHK日曜朝の政治討論を垣間見たのだが、不偏不党を装いながら分析評論偏重で、現実を顧みないすれ違いの討論に苛立ちと虚しさを覚えた。
 頭脳明晰で口が奢り高級な背広に身を固めた論客が民主党のマニフェストの出来の悪さをこき下ろす。いかにも批判は正しいように聞こえた。 
 私は権力は腐敗するとの確信から政権交代を望んでいたのだが、実現した民主党政権の不甲斐無さにはちょっとがっかりしている。それはさておき、政治課題が徹頭徹尾机上で論じられ批判されることにイエローカードを出したい。
 確かに民主党のマニフェストに基づく政策は安普請で安請け合いのようで、しかも支える党員の協調性が欠如しており、自民中心の批判勢力の批判を待つまでもなく、欠陥商品に見える。
 それはそれとして、イエローカードを出したいのは、政治というものに対する理解不足だ(恐らく分かっているのに有利に事を運ぶために知らんぷりをしている)。私は政治学者でも何でもないただの町医者なのだが、政治というのは現実にできることを、可能な限り暴力に訴えることなく、いくらかでも良い方向へ選択実行してゆくものと理解している。
 恵まれない者を代表して理想を追い、百年河清を待つ日本**党も、数%の現実的成果を糧に頑張っているわけだし、恵まれている者を代表して、世のほころびを補填しつつ、現有勢力温存に傾く自由**党も目眩ましつつ数十%の現実的成果を得て支持されてきているのではないか。
 農家に一律の所得補償がオカシイのは、頭脳明晰で恵まれた政治経済学者が考えれば自明のことだろう。否、私にだって優れた施策とはとても思えない。しかし政治というものは、現実に対応し、幾らかでもましな選択決定をして手を打っていかねばならないものだ。それを知ってか知らずか(知っているはず)分かりきった机上の正論を述べて批判するのは、慇懃無礼というか謙虚のかけらもない鉄面皮で、結局虚しい討論に終わってしまう。
 個性を剥ぎ取って作られた理論も現実に適応するときは軋みと妥協を余儀なくされる。一千人の農民に一億円支援できるとする。頭割りは不合理だから意欲、技能、実績、年齢体重身長、家族構成、(思想信条)などを考慮して分配するのが正しいと主張すれば、何時までも決まらないだろう。ひょっとしたら血が流れるかもしれない。時機を得て断行するのが政治ではないか。仙石氏が政治は妥協の技術と発見したなどとと今更とろくさいことを言っているらしいが、今頃政治に目覚めてどうする。
コメント
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