囲碁将棋は相撲と並んで大切な日本文化だ。相撲の凋落を見ると囲碁将棋も心配になる。まだ一部の愛好家の間で根強い人気を保ってはいるが、将棋センターや碁会所は減っていると聞く。中高年の客が主体で子供達は居なそうだ。そうした場所に通う子供が減っても、普通の子供達に普及していれば衰退の心配はないのだが、実態はどんなものだろうか。
碁はともかく将棋は我々の時代(半世紀前)は誰でも知っていた。様々な効用は二の次で風物として子供の知識として囲碁将棋が行き渡っていて欲しいと願う。勝ち負けに無用な価値を与えたり、知能ゲームのようにもてはやすのは良い普及とは思われない。そうした付加価値など無しに、ただきちんと楽しく伝えて欲しい。面白さは自然にわかる。オンライン対戦も良いけれど、実際に碁石や駒を握って相手の息が聞こえる実戦をするのが子供の遊びと思う。
先日、NHKの碁で小林光一と趙治勲の対戦を見た。碁は不思議な競技で、将棋と違って失敗が成功の元になることがしばしばある。
碁は陣取り合戦なのだが、右下隅の陣地を取られた趙さんが完敗と思いきや、取られた陣地が心理的実践的に活用され、あれれ終わってみれば完敗が完勝というような妙なことになってしまった。趙さんはぼやきで有名なのだが、何処までが本当のばやきだったか。戦後の検討で何喰わぬ顔の小林光一氏も内心は憮然としていたのではないか。
年を取ると将棋から碁に移行する人が多いと言うが、損失や失敗が無駄に終わらず、少なくもなにがしかの慰藉をもたらすところが、全か無で鋭く厳しい将棋よりも年を経た人間の心に叶うのだろうと思う。
碁はともかく将棋は我々の時代(半世紀前)は誰でも知っていた。様々な効用は二の次で風物として子供の知識として囲碁将棋が行き渡っていて欲しいと願う。勝ち負けに無用な価値を与えたり、知能ゲームのようにもてはやすのは良い普及とは思われない。そうした付加価値など無しに、ただきちんと楽しく伝えて欲しい。面白さは自然にわかる。オンライン対戦も良いけれど、実際に碁石や駒を握って相手の息が聞こえる実戦をするのが子供の遊びと思う。
先日、NHKの碁で小林光一と趙治勲の対戦を見た。碁は不思議な競技で、将棋と違って失敗が成功の元になることがしばしばある。
碁は陣取り合戦なのだが、右下隅の陣地を取られた趙さんが完敗と思いきや、取られた陣地が心理的実践的に活用され、あれれ終わってみれば完敗が完勝というような妙なことになってしまった。趙さんはぼやきで有名なのだが、何処までが本当のばやきだったか。戦後の検討で何喰わぬ顔の小林光一氏も内心は憮然としていたのではないか。
年を取ると将棋から碁に移行する人が多いと言うが、損失や失敗が無駄に終わらず、少なくもなにがしかの慰藉をもたらすところが、全か無で鋭く厳しい将棋よりも年を経た人間の心に叶うのだろうと思う。