駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

体質改善の難しさ

2009年04月10日 | 小考
 僅か数キロの減量、これが飽食日本では至難の業である。脅迫神経症のように毎回3キロの減量を迫るのであるが、おまじないのように「努力しているんですよ」、「いや何とか結果を出してください」のやりとりに終始する人が半数だ。指導通り痩せられる人は五人に一人居るかどうか、三人に一人は僅かに減る。
 中には険悪になって「わかっていますよ」。「気分が悪くなるから、言わないでください」。と言う患者さんも出てくる。
 どうしても痩せられなかった人が急に痩せることがある。聞けば舅姑が入院、孫が試験に落ちたとか、ストレスがあるのだ。稀には他の病気が隠れていることもあるので、細心の注意が必要だ。
 これは生活習慣の話だが、社会というか業界の慣習もなかなか変わらない。医者の勉強会(講演会)と言うのが頻繁にある。ほぼ七割が薬品メーカーのスポンサー付きで、一流の教授による最先端の話が無料で聞ける。しかも終了後意見交換会と称する立食会が付いている。この立食会が目当てで来ているのではないかと思えてしまう先生も居られる?。まあ、はっきり言って高カロリーのご馳走なので、糖尿病高脂血症などご馳走を食べてはいけないという講演の後で矛盾しているし、奢侈でもあるので、何度かもっと質素にしたらどうだといろんな場面で申し上げたことがある。残念ながらそうした感覚は少数派のようで、まあメーカーの負担だからいいんじゃないのとか、メーカーの係も他社より粗餐では沽券にかかわるらしく言葉を濁し、ホテルもそれでは困ると抵抗するので、実現していない。
 医師会主催の場合は何も出ないせいかどうか知らないが、やや出席率が落ちて、出席されるメンバー構成も少し変わる。
 薬品メーカーのスポンサーの付いた勉強会(講演会)は教授病院の部長クラスは懐が暖まり、受講者の一般医は脳と胃袋が暖まり、メーカーとホテルは売り上げが伸びるというポジティブフィードバックが掛かっているので、内からこの形態を変えるのは難しい。良いことだらけに見えるのだが、よーく考えるとなんだか変かもしれない。
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遙かなる大和撫子

2009年04月09日 | 世界
 大和撫子と言えば、清楚で可憐なのに芯は強く、不運不遇の時もめげず、健気に生き抜くといったイメージがある。実際にそうした女性が戦前には多く居たのかだろうか、微かに国策の香りもするのだが、そうした女性に対するあこがれや敬意は、母や祖母の思い出と共に今も中高年の男の胸にあると思う。
 現在の日本では絶滅危惧種の趣もあるが、興味深いことに、そうした日本女性が国外に沢山おられるように思う。先日も関口知宏の番組に、スイスに住まわれるキラリと光る日本女性が登場していた。切り絵に自己表現の才を発揮され、ここに幸せを見付けて、もう日本に戻ることはないだろうとさりげなく言われるのに圧倒された。
 二十年三十年の隔絶した外国暮らしで昔の日本女性の良さが保たれているのか、あるいは元来そうした女性が軽佻浮薄な日本に飽きたらず国外に活路を見い出だされるのか、異文化の中で凛々しく生きる日本女性を見て、感心しながらどこかに懐かしさも覚えた。
 
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狐と狸では困る医師と患者

2009年04月08日 | 医療
 国民病とも言える高血圧診療での話。現在、血圧の評価には家庭での血圧測定が大きな意味を持ってきている。患者さんの中にはどうも医師の前に来ると緊張して血圧が高くなる、所謂白衣性高血圧の方が一定数居られる。
 そうではあるが、どうも家庭血圧が良好な白衣性高血圧が多すぎるのではないかと疑いを持った高血圧の専門家が四国におられた。そこで彼はある実験を思いついた。患者さんには申し訳ないが、測定した時刻と血圧が自動的に内部に記録される血圧計をそのことは内緒にして患者さん貸し出してみた。その結果、正直に測定値を書かず、140を130とかに割り引いて記載してくるとんでも患者さんがたくさん見つかったのだ。どうも石川五右衛門を持ち出すのは大げさで気が引けるが、軽い気持ち?でちょっと嘘を書かれる方が結構おられるのだ。これは誠に遺憾で困ったことだ。
 最近は診察では思いやりや気遣いが大切と強調され、会話が尊重されるようになった。そのため医師と患者は対等に会話をする雰囲気ができてきた。そのことは良いことなのだが、気を付けないと医学が科学から商取引に変容してしまう。以前にもこのブログで指摘したことだが、患者さんが第一義に向き合わねばならないのはご自身の病気であって、診てくれる医師ではないのだ。値引きの交渉をするなら医師とではなく病気としなければならない。病気は残念ながら口先の交渉では絶対に譲ってくれない。継続した生活習慣の改善や正確な服薬によって始めて改善軽快の道が開けてくる。
 一昔前は医療に於ける信頼といえば医師の信頼性が問題とされてきた。ところが、調べると予期されたことではあるが患者さんの信頼性にも陰りがあるのが明らかになった。こんなことで相討ちは頂けない。相互の信頼関係があって始めて、納得の結果がもたらされるのを肝に銘じたい。
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本の見つけ方

2009年04月07日 | 小験
 若者の特権は、その多くは向こう見ずの若気の至りで、もう結構なのだが、あの果敢な登攀力は懐かしく羨ましい。
 新聞の日曜書評欄や広告にはいろいろお薦めの本が掲載されている。還暦を折り返し、プールの壁を蹴って一潜り、漸く水面に顔を出しきょろきょろと周りを見渡す年齢なのだが、最近買った本が積ん読になる率が高くなった。
 批評の多くは、ある意味当たり前なのだが、褒めてあったり面白い為になると推薦してある。年を取ってもおっちょこちょいは治らず、ついつい読んでみようかなと気軽に注文できるアマゾンを利用してしまう。若い時より時間と懐に余裕はあるのだが、悔しくも残念なことに若い時のように我慢して読破する体力、脳力かな、がなくなった。
 時々、自費出版などで本を出しましたと著書が送られて来るのは恐怖だ。送って来たからには次は必ずどうでしたかと聞かれるのは必至。本によってはどうしても読めない出来のものがあるのだ。読めない本を読まされるのは拷問に近い。内容も問題だが、分かり切ったことをくどくどと書いてある文体や易しいしいことを難しく書いてある文章にはアレルギーがある。
 勿論、多少読みにくくても優れた内容の場合もある(翻訳物に多い)ので、コツコツ読むこともあるのだが、プディングの味は一口でわかるので、折角購入しても一、二ページ読んで放り投げるのが半分くらいある。年を取ったせいばかりでなく、アマゾンの副作用もあるらしい。やはり手に取って買うのとネットで買うのとでは違う。
 批評家と著者を選べば外れが減るのに気付いた。批評家はプロと限らず、ブログの読書家にも信頼出来るというか相性の良い人達が居て参考になる。まだまだ新しい分野や著者に食指が動くので、若い時のようにばりばりと何でも読破とは行かないが、美味しい本を見つけて楽しみたい。

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絵筆再び

2009年04月06日 | 趣味
 2年ほど習い、その後しばらく遠ざかっていた絵に再挑戦することにした。5年ぶりに訪れると先生ちゃんと覚えていてくれ、持参した画材を点検し、豚毛の平筆6本、油それと好きな色の絵の具を五、六色追加するように指示してくれた。
 以前利用していた画材屋が閉じてしまったので、イエローページで探して近い方の店に出向いた。店の前に手入れの行き届いていない痩せた木が数本、一台きりの駐車場の周りには草が生えている。一応画材屋らしくだいぶん剥げてきてはいるが白塗り洋風の二階家に「名画堂」と看板が掛かっている。磨りガラスの入った背の高い扉を押すと、微かに上でベルの音がし、しばらくするトントンと六十代とおぼしきおばさんが、所狭しと並んだ画材の中に降りてきた。
 メモを見ながら要る物を読み上げると、「ふん、テレピン250多いわね」、「筆はこれでいいかな」とつぶやきながら適当に見繕ってくれた。「クサカベはちょっと渋めね」。というのでホルベインから気に入った色を選んで持って行くとカドミウムやコバルトが入っているのは高いのよ、こちらでいいんじゃないと何だかお値打ちな色を薦めてくれた。あのなー、儂は貧乏画学生じゃないないんだぞと言いたくなったが、腕に自信はなく又腕が上がったら来ればよいとコバルト入りは諦めた。どうも三日坊主の日曜絵描きと思ったらしい。全部で一万八百円だったが、九千円に負けてくれた。音痴で悪筆の自信があるのだが、だからといって画才があるとは限らない。先生がよく覚えていたところを見ると才能が開花しそうだったのではないか、ということにして再挑戦する。
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