駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

社保庁の病膏肓

2008年05月21日 | 世の中
 文藝春秋の「年金消失社保庁の支配者は誰だ」を読んであまりのひどさに、腹が立つより、驚きあきれ恐ろしくなった。どうしてこんないい加減なことができたのだろうか。視野狭窄、身内の都合優先、無責任体制の三つが揃うとこういう病気になるようだ。治療の処方箋は簡単明瞭。無責任体制の打破、人事交流、徹底的情報公開で十分なはずだが、患者が治療を受けようとしないので、病膏肓に入ったようだ。自分が病気だという自覚がないことを病識がないというが、有能?な官吏官僚に病識がないはずはなく、見て見ぬふりをして己の利益を優先する体質に変化しているのだろう。薬が効かなくなるのを耐性ができるというが、病原菌の耐性化と同じように役人の公僕失念不全耐性化も恐ろしい。
 病気の難病は原因不明で良い治療法がないのだが、官僚組織の難病は原因や治療法はわかっているのに、患者が抵抗してうまく治療できないというメカニズムのようだ。本当は遡って責任を追及すべきだと思うが、それでは抵抗が強く隠蔽引き延ばしで時間がかかりそうなので、情報公開の徹底と人事交流をやったらどうか。穏やかで有効な治療法だと思う。実利を選ぶのが、こうした場合の定石だろう。
 社保庁に限らず、役所は天下りを廃止して、天上がり制度をつくったらどうか。退職後、自分で仕事を見付けるようにすれば、いかに自分達が高い評価をうけていたか思い知ると思う。
 リーダーに専門的な知識は必ずしも必要ではない。広い視野と常識があり、決断力が優れていれば十二分に勤まると思う。人事権があれば、孤立する事はなく天上がりも機能すると思う。
 町医者の診断治療は甘く、希望的観測にすぎるだろうか。町医者は今までしばしば不当な糾弾や一部の不届き者のために袋叩きに会ってきたが、最近はなぜか見直されている。我々は晒しの仕事をしてきている、それが腐敗を防ぎ、真っ当な評価への回帰につながっているのかも知れない。

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