駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

リーダーシップ

2008年03月18日 | 世の中
 リーダーシップとは何か、優れたリーダーとは誰か。数多くの議論があるだろう。人の評価、殊に権力者のそれには毀誉褒貶が付きまとうから、優れていたかどうかは歴史の判断に待たねばならないが、同時代の日本の政治家の中では小泉純一郎という人にリーダシップがあったと思う。どうして急にそんなことを思ったかといえば、日銀総裁を巡るごたごたを見ていて、福田さんはリーダーの資質に欠けると感じたからだ。もともとそういう資質で首相に選ばれたわけではない人に、そういう能力が求められる局面が訪れたのが不運かもしれんが、何が起きるかわからないのが政治の世界だから、待ったなしで責任が問われる。
 何がリーダに求められるか。学識や教養はある程度必要だが、超一流である必要はなさそうだ。いやむしろ超一流の学識や教養は妨げになるかもしれない。数多いリーダー論がある、生憎それらに自分は不案内だが、おそらく一番大切なリーダーの資質は物事のプライオリティを見極めて決断する能力があって、その決断を人に飲ませる力があることではないかと思う。
 政治家を知る機会は新聞雑誌テレビしかないのだが、今の日本の政界にそんな人が居るだろうか?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医療費の不思議

2008年03月16日 | 医療
 天丼の値段は安くて六百円、高くて二千円くらいだろう。かなり値段に幅があっても、お客さんは実際に食べて評価することができる。満足すればまた来るだろうし、もう一つと思えば他の店にゆくだろう。そして値段は概ね材料費、手間、技術料に比例している(と思う)。ところが医療費は何処で診てもらっても(医院と総合病院では異なる)診察料と処方料は同じだ。値段に差が出てくるのは施行された検査や処方された薬が異なるからだ。天丼に比べれば評価は難しいと思うが、それでも診療の評価がされて、ある程度は医院も選ばれる(地域によっては選択するほど医療機関がないところもあるし、医院を変えるのには勇気もいる)。
 なんだ似たようなものだ、と思われるだろうか。全然違うのである。プロの料理人なら同じ味の天丼を同じテンポで作ることができるだろう。そして十年修行を積んだ料理人と一年目では味が違い、年期の入った方がおいしく良い値段で提供できると思う。ところが医療では一人一人病気も違えば診察の手間も診断の難しさも異なるのに同じ診察料なのだ。そしてベテランの医師の方が効率よく診断できることが多いので、合計の診療報酬は逆に安くなってしまう。どうしてこういうことになっているかというと、医師の能力評価と患者さんごとの診察料を見積もるのとが難しいからだ。卒業十年を過ぎた医師の能力判定は方法も実施も難しい。診察料を一定でなく例えば五段階に分けて、医師に判定させれば、相当のばらつきがでるだろう。そしてその判定が妥当かどうかの検証は極めて困難で調査には手間暇がかかり、守秘義務や個人情報の壁から実際には不可能だ。
 そのために一律概算平均を見なして料金が決まっているわけだ。なんだか非常に不自然で自由競争原理から外れた値段の決まり方だなあと思われるかもしれない。実際、そうなのである。医療の値段は政府(厚生労働省)が公的に無理矢理帳尻から一律概算方式で決めている(形は支払い側と医療提供者の協議となっている)。 来年度から医療制度が見直され、新たな診療報酬体系となる。その内容は、とにかく医療費を削ろうとして、今まで以上に医学的に不合理なものが多く、医師としては受け入れ難い。
 そんなに不満があるなら、評価を市場に任せればよいではないか思われる方もおられるであろう。確かに、それは一つの選択に見えるが、人間を診てきた医師には、そんなことをすればどうなるかが予測できるので(映画シッコのようになる)、それは望まない。医師は国民大多数の医療を守るために国民皆保険制度を維持しながら、よりよい医療ができることを望んでいる。矛盾したことを言っているようだが、人間はそうしたものだ。歴史から学んで欲しい。我々は綱渡りをしてきた。これからも綱渡りをしてゆくのだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉を診る

2008年03月16日 | 診療
 駅前のせいか、周辺にはアパートが多い。数十年前までは農業が多い土地柄だったのだが、今は専業農家はほとんどなくなった。田畑がアパートに代わり、脇に残った狭い田畑をじいさんばあさんが細々と面倒見ている。アパートの住人には転勤族が多く、時々腹痛や風邪で受診される。見慣れない名字と言葉の違いで、土着の人でないのがわかる。診察の終わりにどこから来たのか、当てるのを楽しみにしている。県まで当てるのは難しいが、地方は7割方当てることができる。アクセント、なまり(発音)、地方特有の言葉がその手がかりだ。若い人は標準語に近い人が多くわかりにくいが、それでもなにげない語尾や単語で出身地がわかることがある。年配者にはもう越してきて30年、40年経っていても故郷の言葉が明確に残っている人がおられる。よく言われることだが、関西の人は自分のなまりをほとんど気にされない。東北の方は気にされる方が多く、当てても余りよい顔をされない。誰が聞いてもなまりがあるのがわかると思うのだが、ご自身はほとんどなまりがなくなったように思われており、怪訝な顔をされるから不思議だ。
 自分は特別音感にすぐれているわけでもないし、旅行も好きだが何処へ行っても一カ所に長く居るわけではないので、どうして地方の言葉に詳しくなったのかよくわからない。ただ、故郷を離れた所に落ち着いたせいか、土地柄には非常に興味あり、住んだことのない土地の話を聞くのが好きだ。でもまあ、あまり根掘り葉掘り聞くのは感じの良いものではないので、反応を見て、よくわかりましたねと乗ってくる人にその土地のことを聞かせてもらうようにしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤福問題

2008年03月14日 | 世の中
 好物の赤福が製造年月日を誤魔化して、一時販売停止になっていた。再出発したようなので、また味わえる機会を楽しみにしている。もう何十年も食べてきたが、五回に一回くらい餅と餡のなじみが悪くこれはちょっと古いのに当たったと思っていた。当日製造のみと知っていれば、味がおかしいと注意してやったのに、惜しいことをした。まき直しなどという妙な言い換えで誤魔化すのは、どうも日本の悪い習慣だ。もちろん、何にも悪くないと開き直るのはもっと質が悪いのであるが。その質の悪さを何時も指摘してきたどこかの首長が自分のこととなると開き直るからややこしい。
 なぜまき直しのような問題が起きるかと言えば、明日どれだけ販売できるかを正確に予測できないからだ。これは経済学の積年の課題で、さまざまな研究がされているが、天候(最近はかなり当たるようになった)と同じでピタリと予測できる所までは進んでいないようだ。実際、当院のような小規模の内科医院でも、明日どれくらい患者さんがくるかの予想は難しい。もちろん連休明けは忙しいし、曜日や天候によってある程度の傾向はあるが、しばしば外れる。医業は利潤を追求しているわけではないので、数そのものはさほど気にならないが、大きな変動は同質の医療を提供するのに支障が出てくるので好ましくない。というのは、赤字になっては困るのでスタッフは僅かに余裕がある程度しか配置して居ないからだ。ピーカンで暇なこともあり、雨で空いていると思ったのにと言われることもある。まあでも、当院にはまき直しはありませんので、ご心配なく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交渉すべき相手は

2008年03月10日 | 診療
 病気というものは誠に理不尽なもので、予期せぬ時に出てくることが多い。明日は重要な?会議という時に限って調子が悪くなる。働き盛りの男性に多いのだが、例えば腸閉塞の可能性が高いので今から紹介状を持って総合病院を受診してくださいと説明すると、今すぐはちょっと都合が悪い2,3日先にして欲しい、あるいは忙しいので待たされるところはかなわん、ここで診てくれなどとおっしゃる。つい、いつもの仕事と同じように相手と交渉すれば、よりよい条件で折り合えるように考えてしまうらしい。本当に交渉すべき相手は腸を閉塞させている癌や癒着であって、医師ではないのだがと思いつつ、なんとか説得せねばと、最悪の場合を強調したりして、ぐずぐずやっていると、奥さんや娘さんが現れて鶴の一声。すると、不思議なことに直ぐ納得されて転院して行かれたりする。本当はわかっていながら決断するまでの一つの儀式だったのかもしれないなとも思う。それに、病気に慣れておらず、押してものごとを通すのに慣れている人には、病気というのが全く人の都合を考えず出現することが実感しにくいのだろう。しかしまあ、正直申し上げて、ちょっと手間を取らせますねと申し上げたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする