駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

花森安治、異形の人の真顔

2015年09月07日 | 

         

 津野さん、そうだったのと聞きたくなる。異形の人としか知らず、暮らしの手帳が花森安治そのものだったとは知らなかった。聞きかじりで大橋鎮子さんの力も大きいと思っていたのだが、それはきっかけを与え、支える力であったようだ。「僕には責任がある」と大橋さんのプランに乗って、花森は日本の暮らしを変えようと全身全霊で動き出したのだ。

 生みの親であり育ての親であるのに、暮しの手帖には花森という人が居るという程度にしか表には出て来なかった印象がある。これだけ個性的な人がどうしてさほど前に出て来なかったのか不思議だが、一つは花森自身が表に出るのを好まなかったということもあるようだ。それは意図的というか意志的というか、理由あってのことと推察される。それは津野さんのこの優れた評伝から読み取ることが出来る。

 花森安治は1978年1月に亡くなっているからやがて四十年になる。暮しの手帖が花森以降どう変わったかは、私の手に余る問題で感覚を述べるしかないが、変わったけれども脈々と引き継がれているものがあると思う。

 一読、斬新革新的ではあるけれど穏やかな「暮しの手帖」の裏に堅く強い異形でありながらふつうの人々の感覚を理解する男が控えていたとは知らなかった。戦争体験から僕には責任があると日本人の暮らしを変える雑誌を創り出した男の隠れた否それを可能にした才能は優れた美術感覚と実技能力だったとも知った。

 評伝が何処まで実像に迫っているか、分からない。私が言っては滑稽でしかないが、恐らく花森はこれを読んで良く書けていると言うだろう、勿論、余計なことまで書きおってと津野さんを睨むと思うが。

 *津野海太郎さんは何度も読み返している「歩くひとりもの」の著者で私の愛読著者の一人だ。ちょっと遅れましたが、読みましたよと伝えたい。

 

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