駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

相次ぐ辞任の診断と治療

2017年07月28日 | 政治経済

  

 奇しくも7月27日、民進党蓮舫代表と稲田防衛大臣が辞任することになった。北の記念日、籠池氏出頭の日そして田中角栄が逮捕された日でもあるようだ。天の配剤というよりは悪魔の差配かもしれない。

 蓮舫さんは身内に引きずり降ろされ、稲田さんは庇い過ぎて擦り切れたという処だろう。見た目はそう表現できても、民進党も自民党も、どちらもこれで一件落着とは問屋(国民)は卸さない。

 どうして専門外のことの診断と治療について発言するかと言えば、政治は国民の問題、国民こそが専門家だと考えるからだ。政治評論家の大半は私と同レベルで、中にはお知り合いを自慢にする程度の低いのも混じっている。但し、政策解説者は必須で、政策についてはできるだけ中立あるいはそれぞれの立場からの発言が求められる。

 民進党の病気はリーダーシップのある人物の不在よりも、フォロワーシップ欠如にある。マスコミを賑わす発言をする元政治家の中に、自分が不利な時には無言なのに相手の失策失敗を見つけると大声で咎め騒ぐ人達が居る。人目を引いてなんぼのマスコミに重用されている。わかりやすく、同感を得られやすいが、その場だけで建設的ではない。

 現役政治家でそうした姿勢の人に価値があるとは思えない。民進党議員には蓮舫氏が続投を意思表示すれば、なんで辞めないのとマスコミに公言し、辞めれば最悪の時に辞めると批判する議員がいる。当事者精神の欠如、フォロワーシップの欠如が、民進党の低迷の主因で、あら捜し専門家に付け入る隙を与えていると診断する。理念が欠如しているわけではなく、フォロワーシップがないのでまとまらないだけだ。去る者は追わず来るものは拒まずで、と申し上げたい。

 自民党の病気は一強でフォロワーが烏合の衆化していることだろう。権力だけが接着剤では、やがて剥がれる。権力の恐怖で接着させていれば、病は深刻で容易なことでは回復しないだろう。党としての理念の欠如はむしろ自民党の方にあると思う。大変失礼だが安倍首相は立法府の長を自認していながら、憲法やポツダム宣言をよくご存じないようで、その理念は強くても底が浅いように見える。自民党にはもっと深いものを醸成する力があるはずではと思う。自民党の方こそリーダーが不在ではないか。優れたポスト安倍を準備しないと、自民党どころか日本の危機だと申し上げたい。

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