昨日の朝は暖たかかった。午前中は軒並み患者さんの血圧が良好だった。アーでもないコーでもないと薬を調合し、口酸っぱく塩分制限を指示するよりも、一陣の春風が勝っていたわけだ。何の不思議もない、命はそうして育まれてきたのだ。唯、この頃人間がちょいとそれを忘れて、天狗になっているだけのこと。
家内などは、エアコンの調子が悪いと直ぐ設置業者やメーカーに厳しい言葉を浴びせるが、並の個人の力などはあるやなきやの微々たるもので、何世代にわたって先人が積み上げてきた実績と仕組みによって、二十一世紀に生まれ合わせた者の早く直して頂戴という言葉が有効性を持っているのだ。
感謝というか謙虚というか、あるいは恐れと言っても良いのかもしれない、人間は忘れ物をしたのではないかと感じる。我々は錯覚しているように思う。仮想敵国なんて半ば幻想、内なる敵の鏡像かもしれない。不運不幸を絡め取る仕組みにも思える。
忘れたものを思い出せるかどうか。二十一世紀の課題かもしれない。