青空がなく空気が澱んでいる。気温はやや低めだが湿度が高く不快指数は高い。自分が年を取って感覚が鈍くなったせいだけでなく、実際に季節感が薄れていると感じる。時蕎麦の今何時と同じように高齢者の患者さんに今何月とお聞きすることがあるのだが、六月とか九月と答えられても大きな間違いではないと判定したくなる。
三十年で高齢者診療が大きく変わった。まず介護という概念が導入され自立生活が困難な高齢者を保険を使い公的に支援する制度が生まれた。四半世紀前までは長期入院や家庭看護で呆けが進んだ高齢者に対応していた。しばしばそのために女性が家庭に縛られているのを目にした。末娘が嫁にゆかず両親の老後の世話をするのは珍しくなかった。彼女らの嗟嘆が聞こえる気がする。
介護保険制度の導入により、そうした事例は減ったが高齢者介護の困難は残存している。長く一か所で内科医院をやっていると徐々に介護が必要な高齢の患者さんが増えてくる。介護保険制度、訪問看護センター、デイケアセンターなどの普及により家庭や開業医にかかる負担はやや軽減したが、介護と介助そのものは減っていない。あれ大分弱られたなという患者さんにはあちこち連絡して徐々に看護介助体制を整えるようにしているが、難しい患者さん難しい家庭・・もあり苦労させられることも多い。
寝たきりのいないスウェーデン方式で自分で歩けない食べられない人はそれが終点でお世話しないというのも一つの選択だが、これには考え方を変える必要がある。自然発生的ならともかく、困るからそうしようというのはいかがなものかと思うが、ご都合で動くのが日本方式ですと言われてしまうかもしれない。