この本の副題は「スティーブ・ジョブズの禅僧」となっている。そして巻末には弘文とジョブズの年表が併記されている。二人はジョブズがアップル社を立ち上げる頃から交流があり、結婚式も弘文が式師を務め、ジョブズが一度アップル社を追い出され、復活するまでの苦難の間、かなりの時を共に過ごしている。
年表によるとアップル社から追放された翌年の1986年に(ジョブズ31歳、弘文48歳)、ジョブズは弘文と一緒に新潟県加茂市の弘文の実家を訪ねている。ジョブズの死後、故人に多大な影響を与えた人物として、にわかに”禅僧弘文”に注目が集まり、世界中にその名が轟くことになった。
永平寺上山が同期で、弘文を知る高僧はつぎのように述べている。「弘文さんが日本にとどまっていたら、独身をとおしていたように思います。新潟や永平寺にいたら、気まじめでかたいお坊さんで終わっていたことでしょう。しかし彼はアメリカに行き、日本の縛りから解放されて弾けた。若い頃、禅僧になることを希望したジョブズに対し、《僧侶になるより、起業家として生きるほうが自身の命を生かせる》と、指導したのは弘文さんです。そのことにより、人類には大きな足跡が残りました」
弘文の「座禅の法話」で終わることにする。「今ここにいる自分を保つようななめらかで深い呼吸に身体を委ねることです。そのうちに、呼吸をしていることすら忘れる瞬間に出逢います。その瞬間、魂が呼吸に彩りを与え、心や目に映っているすべての映像が呼吸の中に溶け込みます。この時、みなさんは、それらの映像を消し去りたいとか、忘れたいと思うかもしれません。しかしそうするべきではありません。見続け、起きることを起こるがままにさせるのです。なぜなら、心や目に映るものは、あなた自身のとても大切な一部だからです。現象を判断しろと言っているのではありません。むしろ観察するのです」(了)