玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*活躍する女性たち

2019年09月23日 | 捨て猫の独り言

 秩父生まれの友人に、埼玉の三大偉人を教えられたことがある。渋沢栄一と塙保己一と荻野吟子だという。渋沢栄一は日本資本主義の父と言われる。21年には渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「晴天を衝け」が放映される、そして24年には新紙幣一万円札の顔となる。塙保己一は全盲の国文学者。荻野吟子は初耳だった。日本初の女性医師だという。女性が医者の試験を受けられる道筋を開いた。

 荻野吟子は17歳で結婚するが、夫に性病をうつされ、子供の埋めない体になって離婚。自分と同じ運命言泣いている女性のために医者になる決意をする。女性に医者の資格を与える制度はなく、吟子は医学校を優秀な成績で卒業しながらも医術開業試験の願書を再三にわたり提出したが却下され続けた。受験が許可され、女性医師第一号となったのは34歳のときだった。

 調べてみると1970年には吟子の生涯を題材にした渡辺淳一の「花埋み」が出版されている。そして翌年にはさっそくテレビドラマ化される。1980年には山本陽子主演、1998年には三田佳子主演でそれぞれ舞台化された。知らなかったのは私だけだったようだ。そしてこのたび映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」が10月から各地で上映されるという。主演は仲代達矢主宰の「無名塾」出身の若村麻由美。

 この映画の監督が山田火砂子という87歳になる女性である。この監督については17年の作品「母 小林多喜二の母の物語」を見た。「一粒の麦、もし地に落ちて死なずばただ一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし」はヨハネ福音書の言葉である。吟子は39歳のとき、13歳年下のクリスチャン志方之善と結婚。夫はキリスト教による理想郷建設を目指し北海道に渡る。吟子も合流し、そこで医院を開業。夫の死後、1908年に帰京し墨田区で医院を開業するが1913年に62歳で死去している。

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