玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*難解本読みくらべ

2019年09月02日 | 捨て猫の独り言

 1932年生まれで脳生理学者・品川嘉也の ①「意識と脳」(紀伊国屋書店)と1937年生まれで解剖学者・養老孟子 ②「唯脳論」(青土社)を読んだ。①の出版は1982年で②はその7年後である。ウィキペデアによれば品川は右脳ブームの仕掛け人とあり、1992年に亡くなっている。読後の要約をつぎに記してみた。

 【①の序文】宇宙の誕生から、生命の起源を経て、人間の意識が生まれるまでを「情報構造」の立場から統一的に説明しようとするものである。すべての構造は情報によって造られる。情報は宇宙の膨張(光の速度で膨張している)によって産れた。宇宙の情報によって、物質・生命・意識が生れたのである。物質も生命も意識も情報構造にほかならない。

 【②のエピローグ】現代社会の禁忌は、じつは「脳の身体性」である。脳は必ず自らの身体性によって裏切られるからである。脳はその発生母体である身体によって、最後に必ず滅ぼされる。それが「死」である。個人としてのヒトは死すべきものであり、それを知るものは脳である。だからこそ脳は統御可能性を集約して社会を作り出す。個人は滅びても、脳化=社会は滅びないですむからである。

 【①で意識とは】人間が生長過程で外界を認識していくときのことを考えると、自分でないものの総体として世界を認識していく。しかし次には認識された世界の中に、世界の構成要素として、世界の一部としての自分が存在していることに気づく。こうして世界の一部である自分が全世界を認識したとき、自意識が生じる。さらに世界像の中の自分も意識をもっていて、その意識の中にさらに世界が映し出されている、という循環が成立していることに気づく。

 【②で意識とは】進化の過程を考えてみよう。ヒトが外界の条件に反応だけしていればいいうちは意識はなくてもいい。脳には剰余がなく、自分の中で何が起こっているか「知る」だけの容量がない。しかし、ヒトの脳ほどに大きくなれば自分の体に関することがある程度わかっても不思議はない。ヒトの脳は外界だけでなく自分の脳に気がついてしまった。それが「意識」に他ならない。

コメント
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