半月以上のロシア旅行から一昨日ようやく帰国したという、当時51歳の桶谷秀昭は「親鸞とドストエフスキイ」と題して講演した。初めは明恵と法然あるいは親鸞ということを考えていたという。国も時代も遠く隔たった思想家と文学者の二人の共通するところについて考察する。「浄土真宗の廻向発願心=キリスト教の回心」と「善悪」と「生命」の三つの問題が取り上げられた。
「大学の頃に歎異抄を読んで廻向発願という観念にひきつけられました。廻向というのは回転の意味です。人間の心をぐるっと回すのだ。人間を超えた何ものかが人間に南無阿弥陀仏という祈る言葉を発せしめる。これを廻向という」そして「人間の変化というもの、それは上っ面の変化でなく、魂のどん底からの変化というものがあるんだということをドストエフスキイによって知りました」と語る。
桶谷氏のつぎの指摘にはあらためて考えさせられた。「浄土真宗は三代目の覚如にいたって教団の基礎を確立する。念仏をとなえることが地獄へ落つる因か極楽へ往生する因かそんなことは知らぬという親鸞の実存的自覚は、親鸞死後ゆくえ不明になっていた。その予兆は親鸞晩年にすでにあった。親鸞はそのことをむろん知っていて、どうにもならぬ深い断絶を感じていた」(玉川上水のほとり・いろりの里)
1983年の8月の二日間に行われた三氏の講演録「親鸞・不知火よりのことづて」は時を経た今でも読みごたえがあった。あとがきに「差し出した色紙に書いて頂いた言葉が講演録ともどもそれぞれの個性をほうふつとさせるので次に記す」として紹介されている。吉本隆明「ほんとうの考へと うその考へを分けることができたら その実験の 方法さえ決まれば」これは宮沢賢治の言葉とのちに知る。桶谷秀昭「わが心のよくて 殺さぬにあらず ー親鸞―」石牟礼道子「椿落ちて 狂女がつくる 泥仏」 (次回投稿は20日ごろの予定)