「戦後戦後と言ったって、戦後もう63年過ぎているわよ。でもこの人には未だ続いてんだねェ」 「何度同じことを聞くのッ。たった5分前答えたじゃないッ」 「壊れちまってんだねェ。こ~んなに」 2週間不在の間にお仲間が増えていた。長年付き合いのあった方同志が、数年ぶりにここで会話された後、その方の目前で嘆息し、吐かれた言葉である。それでも相手は気に留める風すら一切ない。そんな風景が1~2日繰り返され、疲れたお仲間は”事の次第”を了解された。
別の日には別の知り合いの人と同席された。前回の了解から遠くない日である。「私を覚えていますか?」 と今回は穏やかだ。相手の方はしばし質問者を見つめた後ユックリと頭をふる。「そう。私はよ~く覚えているわ」 「どこでだったかしら?」 とやや困惑した表情だ。「あなた、穏やかな顔になったわよ」 「あらそう?」 と戸惑いつつニッコリなさった。
このお二方共、表情は豊かで会話を交わさない限り ”それ” とは分からない。かって何処かで席を並べた方々と再会する。かっての続きを語ろうとするが回線は全く繋がらない。こんな風景はここでは珍しくない。振り返って思う。私達ももう助走を始めていやしまいか?既にレールの上に乗っていやしまいか?