私たちの車室には年の若い順に、露文科の大学生、私立大の講師、社会科教諭、それに私の四人が乗り合わせていた。その中で教育学専門の大学講師のS氏はロシア語がとても上手であった。独学で習得した。まず耳に入れ、それから書き上げる訓練を重ねた。わずか2年でロシア人と話せるようになった。これまでに三回ソ連邦を訪れてぃる。誰もがその若々しい才能をうらやんだ。
彼はいつもそうなのだが 「お客様をお連れしました」 といって我々を喜ばせてくれた。このとき23歳のイリーナさんを車室に案内してきた。ロシア女性の中ではむしろ小柄な方であった。茶褐色の髪を巻いてうしろにたばね、そばかすのまじった色白の細長い顔立ちだった。化粧を全くしていないせいか、まるで少女のようだ。彼女はチェルノブイリの近くの立ち入り禁止区域での特別な用を終えての帰りだという。瞳を輝かせ、頬を紅潮させてほとんど一人で早口で喋っている。講師のS氏も急ぎ通訳するがそれが終らぬうちに彼女は別の話に移ってしまう。他の四人が日本人であることを全く忘れてしまっているかのようだ。すこし黙ってもらうために飲み物を勧める。ところがちょっと口をつけただけで寸暇を惜しんでまた話はじめる。そんな一方的な交流であった。そのうちに彼女が真剣に話していることのすべてを理解できたかのような気分になったのは不思議だ。
話しつかれてわずかな沈黙がうまれるとあなた方はなぜ黙っているのかと詰問する。日本の話になるとパチュムー (どうして?) を連発してくる。まるで学校に上がる前の子供のようだ。日本語をならいたいとまで言いはじめた。私もどれほどロシア語をならいたいと思ったか。白樺林の向こうに陽が沈みかけていた。彼女は組んだ両足を両手で抱え、遠くを眺めながら 「夕陽をごらんなさい」 と言うのであった。