あられの日記

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杉並さんぽ2 ガンジー像が?

2018年06月08日 06時10分36秒 | インド旅行記
2018.5.20、東京メトロ荻窪駅から杉並さんぽ開始。長屋門→西郊ロッヂング→読書の森公園へ。杉並区中央図書館は黒川紀章の設計だと知り立ち寄ったら、ガンジー像を見つけた。
なぜここにあるの???
事前に知らなかったので本当に驚いた。ので、今日の記事のカテゴリーは「インド旅行記」です。

像の背後にプレートがあった。
7つの大罪
汗なしに得た財産
良心を忘れた快楽
人格が不在の知識
道徳心を書いた商売
人間性を尊ばない科学
自己犠牲をともなわない信心
原則なき政治

これはガンジーさんが英語で刊行していた雑誌[Ypu India]に1925年10月22日に掲載されたもので、ガンジーさんの思想が考え方を端的に表しているものです。
日本では七つの大罪といえば、アニメや漫画で有名です。でもそれはキリスト教の罪の考え方です。いわく「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「嫉妬」ですね。
プレートには、日本語・英語・たぶんヒンドゥ語で彫ってあります。
台座には「ガンジー修養所再建トラスト ガンジー主義(非暴力・不服従主義)に基づき、国際社会の平和をめざす団体で、国際平和センターの設立、社会的弱者や貧困層を救う ガンジー主義諸機関への支援などを目的とする団体です」とプレートがついてました。
もう1枚。こちらも日本語と英語とヒンドゥー語で。
マハトマ・ガンジー 1869年10月2日−1948年1月30日

「東京都杉並区にこのガンジー翁の銅像を、2008年11月6日にガンジー・アシュラム(修養所)再建財団創立者・インド国会議員・故ニルマラ・デシュパンデ女史の遺志により、ガンジー翁の精神に基づいて、世界平和と相互理解が強めされることを祈念して、贈る」
記事を書くにあたりなぜ杉並にガンジー像があるのか?調べました。
答え:日印交流の促進を目的として設立された杉並区日印交流協会が、ガンジー修養所再建トラストの活動に賛同して募金活動をおこなったことへのインドからの感謝の意として贈られたものです。その像を、杉並区とインドとの今後の一層の交流推進を願って協会が杉並区へ寄贈しました。
除幕式が平成21年5月24日、像の高さ2メートル、おそらくガンジーさんの等身大ではなかろうか?日本人がガンジーさんといえばこれ!と思い浮かべるお姿ですね。

さて、建物を見よう。正面に回る。

おそらく建物が建つ前からこの地にあったと思われる巨木が、存在感を主張しています。
図書館なので、内観もしたい。

窓の外の緑光が素敵。でも黒川紀章設計だからさぞキテレツなんだろうと思ったのに、地味!あれ〜??
期待はずれだったな。と、建物を出ようとして「ガンジー資料展」が地下で常設展という張り紙を発見!
そりゃあ見ないと!

ひっそりとガンジー資料展はあった。

若き日のガンジーさんの写真や。

ガンジーさんといえば糸車!な写真も。中にはイギリス留学中の写真や、詩人のダゴールさんと2ショット写真もある。

あれ?これは?チャンドラ・ボースさんじゃないかな?
ん??
杉並にはチャンドラ・ボースさんの胸像もあるのか?それはぜひ見たい!

先年、インド旅行をしたのでガンジーさんもチャンドラ・ボースさんも名前くらいは知ってます。でもさ、後日別記事で紹介しますけど、ボースさんのお墓が杉並にあったとは〜〜〜っ!!
ってか、ヒンドゥー教徒にお墓はない。ガンジーさんのお墓もインドにはない。ヒンドゥー教徒はしんだらガンジー川に遺灰を流しておしまいなのですよ。そういう宗教なのですよ。なぜにチャンドラ・ボースさんのお墓が杉並に??
さて、時刻は12事25分、次行ってみよう。

次は大田黒公園です。

追伸:え〜、文中に「チャンドラ・ボースさんのお墓があった」という表現がありますが、記事を書くにあたり資料を探したら、墓ではありませんでした。遺骨が長い間蓮光寺さんにあったのは事実ですが、平成に入ってチャンドラ・ボースさんの親族に返還されてました。

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