日本の植物の中で最もロマンを秘めたのが、オオガハス(以下大賀ハスという)ではないだろうか。
昭和26年(1951)、千葉市の東京大学検見川厚生農場にある、縄文時代の遺跡の泥炭層から、ハス博士と言われる大賀一郎がハス(蓮)の実を3粒見つけた。
この中の1粒が成長し、2千余年の眠りからさめピンクの大輪の花が見事に咲いた。
大賀博士は戦後府中市に移り住み、亡くなるまでの20年間をこの地で過ごし、住民に支えられハスの研究に没頭した。。
市内の郷土の森公園修景池は代表的な大賀ハスの生育地で、池の畔には郷里の岡山の方向を見つめる大賀博士の銅像がある。府中市の多磨霊園に墓がある。
大賀ハスは蓮根や実により増やされ、国内外約150箇所以上に植えられていると言われ、50余年で多種との雑種も生まれ、大賀ハスと名乗っていてもルーツは複雑のようである。
高尾山に近い町田市の圓林寺は、別名ハス寺として知られているが、先代ご住職が府中の知人から譲り受けたようで、寺の説明文には大賀ハス株分け第1号と書いてある。
大規模な生育地で知られる町田市薬師池公園は、圓林寺など2箇所から分根し、多摩市グリーンライブセンターは、さらに薬師池公園から分根のようである(詳細は調査してない)。
大賀蓮/ハス科/ハス属。
昭和26年に千葉市の東京大学検見川農場で、古代ハスの種3粒が発見され、ハス博士といわれた「大賀一郎」博士が1粒の発芽に成功した。別名縄文蓮、二千年蓮など。
名前の由来:ハス博士の「大賀一郎」に因んでこの名が付いた。
花期:7~8月。
(町田市圓林寺)
【山野草の索引(2)へ】
昭和26年(1951)、千葉市の東京大学検見川厚生農場にある、縄文時代の遺跡の泥炭層から、ハス博士と言われる大賀一郎がハス(蓮)の実を3粒見つけた。
この中の1粒が成長し、2千余年の眠りからさめピンクの大輪の花が見事に咲いた。
大賀博士は戦後府中市に移り住み、亡くなるまでの20年間をこの地で過ごし、住民に支えられハスの研究に没頭した。。
市内の郷土の森公園修景池は代表的な大賀ハスの生育地で、池の畔には郷里の岡山の方向を見つめる大賀博士の銅像がある。府中市の多磨霊園に墓がある。
大賀ハスは蓮根や実により増やされ、国内外約150箇所以上に植えられていると言われ、50余年で多種との雑種も生まれ、大賀ハスと名乗っていてもルーツは複雑のようである。
高尾山に近い町田市の圓林寺は、別名ハス寺として知られているが、先代ご住職が府中の知人から譲り受けたようで、寺の説明文には大賀ハス株分け第1号と書いてある。
大規模な生育地で知られる町田市薬師池公園は、圓林寺など2箇所から分根し、多摩市グリーンライブセンターは、さらに薬師池公園から分根のようである(詳細は調査してない)。
大賀蓮/ハス科/ハス属。
昭和26年に千葉市の東京大学検見川農場で、古代ハスの種3粒が発見され、ハス博士といわれた「大賀一郎」博士が1粒の発芽に成功した。別名縄文蓮、二千年蓮など。
名前の由来:ハス博士の「大賀一郎」に因んでこの名が付いた。
花期:7~8月。
(町田市圓林寺)
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いろいろ謂れがあるようですが、花は黙って咲いてくれますね。
野鳥の声が五月蝿くて目が覚めてしまいました。
こんな時には起きゴソゴソして、家人に嫌われるよりは、一人でパソコンに限ります。
パソコンのおかげで、指も老化せずよく動きます。
ところで信徳さん、蓮に自分が乗るのは早すぎます。
お釈迦さまが乗っているのを眺めましょう。
2千余年も眠れるのはうらやましい。
寅太はせいぜい5時間で、目が覚めてしまいます。
大賀博士は都心に住んでいたようですが、戦争で焼け出され府中に移ったようです。
ハスの種も途中で府中から千葉市に移し、そこで開花したようです。そんなことで千葉市と府中市が大賀ハスには熱心のようです。
銅像があるのは多摩川に近い健康センターのところです。
大賀ハスのお陰で早起きになりました。
(本当はいつも早起きで嫌われている)
圓林寺は法政大学の近くで、町田街道沿いにありますので、車でひとっ走りです。
ご住職も熱心な人がいるのでびっくりしているでしょう。
デジカメクラブメンバーで良い顔の写真をお互いに撮って準備OKです。弔辞は自画自賛で書いたものをCDに吹き込みます。当日寅太さんにスイッチを押して貰うだけです。箱ものはまだ準備していませんが資金は保険屋さんから出てきますので問題ありません。蓮に乗るのだけは事前練習しておかねばなりません。泳ぎが得意なので深いところでも大丈夫ですよ。