新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

好天に誘われて江戸東京たてもの園(その1)

2016-10-15 23:20:38 | 美術館・博物館・アート

首都圏で土日が晴れる(予想)なのはなんと6週間ぶり なんだそうで、この機を逃すモノか と、小金井市にある江戸東京たてもの園(以下、「たてもの園」)に行ってきました。

たてもの園8年ぶり2度目の訪問でして、前回来たとき、たてもの園の入口、ビジターセンター(旧光華殿)修復中でしたっけ…

この建物は、

1940年(昭和15)1月10日から14日まで宮城(現在の皇居)前で行われた紀元二千六百年記念式典の式殿、のちの光華殿が前身となっている。(中略)
式典終了後の翌16年8月には、式殿は同事業の一環として計画された小金井大緑地である現在の場所へ移された。

だそうです。
そうかそうか、現在の小金井公園紀元2600年記念事業が発端だったのか…
ちなみに「ゼロ戦」こと「零式艦上戦闘機」0は、同機が制式採用された1940年の「0」ではなく、紀元2600年の「0」から採られています。

それはさておき、今回は、建物の外観を拝見するのはコンプを目指す一方、建物の内部は、8年前に拝見しなかったところ狙いを定めました。

まず内部侵入(?)を図ったのは、「田園調布の家(大川邸)[1925年築]」

外観もステキなんですが、中に入ると、いやぁ~、イイ

何がイイって、私としては、どの部屋も明るいのがイイ
書斎は明るいし、寝室も明るい

大川邸の寝室

さほど大きな家ではないけれど、いいなぁ~

そうそう、寝室から食堂に繋がるドアが、茶室っぽくて面白い

ところで、田園調布といえば、国内有数の超高級住宅地ですが、住宅地として開発された1920年代半ば当時は、富裕層ではなく、都心で働くホワイトカラー層をターゲットに据えていたのだとか。

この辺りの事情は、猪瀬直樹「土地の神話」に詳しいです。

土地の神話
(小学館文庫)
猪瀬 直樹
小学館

   

逆に、どの部屋も暗くて、これはイヤだ と思ったのが、デ・ラランデ邸8年前にはありませんでした)。
外観は、ここはどこ? と戸惑うような魅惑的な建物なのですが、

デ・ラランデ邸

内部はといいますと、1階の応接はまだマシな方で、

主寝室も、

その他の部屋も、ひたすら暗い

この家は、

新宿区信濃町にあった西洋式住宅である。1階部分は明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎が自宅として設計したと伝えられる木造平屋建て・瓦葺き・寄棟屋根・下見板張りの洋館であった。1910年(明治43)ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、木造3階建ての住宅として大規模に増築された。その際、北尾次郎居住時の1階部分も大改造されている。

というもので、神戸トーマス家住宅(風見鶏の館)を設計したゲオルグ・デ・ラランデさんが、平屋建ての洋館3階建て大改造したんですな。
で、

デ・ラランデは、1903年(明治36)に来日し、横浜を拠点として日本での活動を開始。のちに、この住宅に拠点を移した。デ・ラランデは、この住宅で、妻と4女・1男の7人家族で生活していたが、1914年(大正3)に41歳で亡くなった

だそうな。
41歳亡くなったなんて、若すぎませんか
でも、こんな薄暗い家で暮らしていたら、長生きできそうもないのですが…

う~む、、、福岡旅行記を書き終えて奈良旅行記集中できる と思ったら、また新しいシリーズを始めてしまった…

つづき:2016/10/17 好天に誘われて江戸東京たてもの園(その2)

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