新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2016年師走の仙台旅行記(その13)

2016-12-31 15:13:34 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その12)」のつづきです。

瑞巌寺本堂を拝観したあと、6年前にも拝観した庫裏に向かったのですが、、、、

瑞巌寺・庫裏

庫裏の内部は非公開でした

6年前は、本堂修理中だったことから、その代わりとして庫裏臨時に公開されていたようです。
う~む、残念 ということで、庫裏の真向かいにある宝物館へ…。 

瑞巌寺のHP 「沿革」に、

伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は110余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により、ようやく維持されていたのですが、明治9年(1876)、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。

とあります。

またもや登場しました、廃仏毀釈

瑞巌寺宝物館(拝観料のみで観覧できます)では、企画展「明治維新と瑞巌寺 〜仏教の灯を守り抜いた禅僧達」が開催されていまして、廃仏毀釈の嵐と庇護者だった伊達家の「降板によって存亡の危機に瀕した瑞巌寺で、寺の伽藍人材の存続に奮闘した当時の住職太陽東潮禅師を始めとする人々の奮闘が紹介されていました。

瑞巌寺窮乏を脱し、再興のきっかけとなったのが、明治9年(1876)御巡幸の際に明治天皇から賜った内帑金(天皇のポケットマネー) 1,000円だったというのは、明治初期熱病廃仏毀釈が公式の国の政策ではなかったことを如実に示しているような気がします。

それにしても、中国の文化大革命のように10年間廃仏毀釈が続いていたら、今の日本はどうなっていたのだろうかと考えたりして…もっとも、易姓革命の名の下に、繰り返し文明や歴史スクラップビルドされてきたお隣の国と、日本とは感覚がまったく違いますから、日本では徹底的に旧文明破壊し尽くすことはあり得なかった気がします。

ところで、瑞巌寺宝物館(青龍殿)では、企画展以外にも常設の展示品を拝見することができました。

伊達政宗甲冑椅像例えば、11月中旬まで東京出張「松島 瑞巌寺と伊達政宗」展 @三井記念美術館)から「帰宅」されたばかりの「伊達政宗甲冑椅像」は宝物館きってのお宝です。

この像は、

政宗公17回忌にあたり、正室陽徳院が1652年に制作させたもので、公27歳、朝鮮出兵時の雄姿を再現した等身大の木像です。
政宗の遺言により、両眼が備わっています。

というもので、木像とは思えないほど、甲冑素材感が表現されていますし、 等身大だけに、伊達陸奥守政宗という戦国武将の存在感が伝わってきました。

それにしても、弦月前立デカいこと…
こんなにデカい前立だと、あちこちに引っかかって動きづらそうな気がします。
翌日、仙台市博物館で拝見した政宗所用の「黒漆五枚胴具足(複製)」はといいますと、

実際、前立はデカいのですが、やはり、「伊達政宗甲冑椅像」「記念品」としてちょいとデフォルメして制作した感がありますな…

瑞巌寺宝物館(青龍殿)を楽しんだ私は、杉林再生工事が行われている表参道を通り、

松島シンボルとも言える五大堂に向かいました。
何度か松島に来たことのある私ですが、五大堂を間近に拝見するのは、これが初めてでした。
そして、とんでもない思い込みをしていたことを知ったのは、このあとのこと。

そのお話は、来年書くことにいたします。

ということで、これが今年のブログの書き納めです。
一年間、拙文にお付き合いいただきましてありがとうございました。 m(_ _)m 

つづき:2017/01/03 2016年師走の仙台旅行記(その14)

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